焼き畑農業、伝統的で節度があれば何の問題もない。パーム油、節度を持って作れば問題なかったはず。ヒトは不自然に増え過ぎた。もはや何をやってもそれは悪でしかない。自然を守ることはヒトを人工的な世界に閉じ込めること。多くの場合自然を愛でる人が一番自然を破壊している。マルサスを忘れるな。
選択肢が「あえてしない」であるような世界は自由だ。選択肢が「思い切ってする」であるような世界は不自由だ。エントロピートラップを越えなければならない不可逆的な反応だからだ。
文句があって、かつ、やる気がない人は辞めたら良いと思う。なぜならば、辞めない人というのは文句がないか、または、やる気がある人だからである。
コスパを考えたら生きてなんていられない。苦しいこと(コスト)が多い方が喜び(パフォーマンス)が大きいとでも言うのか。ブラックかよっ。
金で救われた人は金でなんとかしようとするようになってしまうのだろうか。誰かの金に救われた人は少なからずいるはずだが世界全体が救われていないのだからそういうことなのだろう。全ては連鎖する。悪い流れは繋がることはあっても断ち切れはしない。
普遍なんてつまらない、とよく言われる。確かに想像には難くない。しかし、それを口にして良いのは普遍の愛で生きとし生けるもの全てを救えた者だけだ。この現実はあまりにもそれにはほど遠い。そもそも普遍に近づいてさえいないのだから。
8月6日、物理を学ぶ者が忘れてはいけない日の1つ。文明を維持してこそ科学。
ヒトもまた動物なれば闘争・逃走反応あり。しかれども逃走先の無きはヒトをして闘争せしむるなり。スペースコロニー作ろうぜ!反省しなきゃただの時間稼ぎだがな。それでも逃げて、逃げて、逃げきれればそれで良し。とにかく不毛な闘いをするな。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、なのはあくまで現実。
守りたいものを守るために必要な要素の重要度で価値は決まる。自分の気分を守りたいだけならイエスマンも価値は高いかもしれない。自分の会社を守りたいだけなら冷酷な経営者も価値は高いかもしれない。社会を守りたいときには、自分勝手なそいつら全部無価値!常により大きなものを守るために戦え!
与えたいけど与えられないから辻褄を合わせるために、とか、多くの人に与えたいから原料や手間を抑えて結果的に、とか、そういうことであって、システムありきで楽をして稼ぎたいから購買意欲を刺激して、とか、売り尽くしたいからただ価格を引き下げるとか、そんなの全然理に適ってない。何がしたい?
システムありきで生活が成り立っているなら、そりゃあ誰も本質的な解決なんて望まないはな。教育者は万人に等しく教育を施そうとはしないし、製薬会社は手のひらを返したようにいまさら「風邪」の特効薬づくりに熱心になっている。大衆の大衆による大衆のためのシステム、それこそが現代社会。
お坊ちゃんってのは箱入りだから、自分の眼に映ったものだけが全てだと思っていやがる。自分の中にしかない世の中で他人を虐げたがるくせに、自分が自分の外にある世の中から虐げられることは絶対に許せない。手に負えない。箱の中から一歩たりとも出てくるな。私なら出て行かない。それが筋だろうが。
世界を知らないのは恥ではない。世界を知ろうとしないのが恥だ。って誰かが言ってそう。
フェルフルストが正しいからこそマルサスを胸に生きていかなければならない。当然の権利は行使し過ぎればいずれしたくてもできなくなる。
この社会の目的、向心力が分からない。しかし、だからこそはっきりと分かることは目的がない以上、共有されるべき場ではないということだ。なら何のために束縛されている?
社会を維持するために労働が必要な場合があったとしても、労働そのものに価値があるとか不要不急の労働によって資源を浪費してまで“経済的豊かさ”を追求して良いということを意味しない。