複雑な話ほど 交通整理 順を追って、いつまでに、なにを どこへ、どうする ①今置かれてる状況、すべきこと ②次にする検査日時、注意事項 ③その次の検査、結果 いつ、どこで、だれに なにを確認して、どうなったら終了 みんなで忘れないで いっこずつ、確認。 今月、病院にて
「何が入ってるの?」 「ハートがみっつ。ぱわあがつまってるんだ。8月の満月の夜、一斉に空へとばすのさ」 「どこにいくの?」 「ぱわあが必要な人のところへ。手術を控えた人、さみしい人、命を支えている人に」 「じゃあ私は、お水でぱわあをあなたにあげる。かわりにあの子へ届けてくれる?」
すまほがバキバキである。表面を撫で回すと指がキラキラする。危ない。だから、すまほケースをつけた。ちゃんとタッチに反応するし実用に耐える。ただしバーコード読取に難がある。これでええのやと思うが、電車の中などで「あれは何だ」という顔で見てジップロックとか言うなや。悲しいやろ。ぐむう。
ここ最近の暑さはこれまでの日本語の語彙では足りない。そう思っているうちに8月が去った。日中を避けて夕方に外出する。久しぶりに雲のない空。夕暮れの色が変わっていた。向かい風に弛緩した涼しさが忍び込んでいた。この感覚は知っている。夏の中に小さい秋。呼んでるくちぶえ、もずの聲。
草っ原に転がる私は8月の空を見る。下旬ともなれば夕焼けの色も変わる。夏よさようなら。この夕焼けにためらいもなく心を開けそうな気がするのは、もう夏がいなくなってしまうからだろう。涼しさとともに退場する夏には、余韻を引くやさしさのような色彩を感じる。あんなにぎらぎらとしていたのに。
美容整形手術でワタクシ事を切除した。入院はなく日帰りだ。「切除されたワタクシ事、見ますか?」と言われたので手に取ってみたら、ワタクシ事はふるふると震え出し転がるように手から離れた。「変なの」と思った。挨拶もそこそこに病院を出たら、蝉の声と日差しにうんざりする。そういう8月。
エッセイとはワタクシ事を書くものだという。短期間で書いても良い。そういえば昔は女性研究者の集まりを婦人科学と言ったとか何とか。その表現が気にいらず荒ぶりを見せた方は勢い余って転がるに至り、入院して手術までしたそうだ。あれはヒマな8月だったと、当時のnoteに記されている。