藤井あき乃

和紙の折り出しだけで、贈る品を美しく包む折形の魅力に心酔しています。 私らしいやり方で。。。和紙と遊印を使って、日々の小さな「包み」実践と学びをここに記録したいと思います。

藤井あき乃

和紙の折り出しだけで、贈る品を美しく包む折形の魅力に心酔しています。 私らしいやり方で。。。和紙と遊印を使って、日々の小さな「包み」実践と学びをここに記録したいと思います。

最近の記事

勘に頼れるまで

度々登場していますが、三つ折り紙幣がぴったり納まる折形です。 全体のサイズは、ぽち袋とほぼ同じ寸法で作っています。 横に置いているのはいつも作る文香よりも少し大きめですが、 この折形と一緒に使うわけではなく、 「福寿」エンボスつながりで。 そして内包みはこんな感じ。 「源氏香図」印はお正月の「初音」、 乙巳印は金色で少し重ねて捺す。 雛形は、サイズを書き込んで保管しています。 特に帯幅は一旦決定したら残しておくととてもとても重宝します。 5ミリ幅なのか5.5ミリ幅なのか

    • いろんな秋

      急に冷え込んできて、深まる秋。 というよりなんだかもうすぐ冬だなと思わせる空の色。 午後三時過ぎのきらめくような光は一瞬で、 瞬く間に日が傾いてゆく。 美しく色づく間もなく枯れてしまったような葉っぱは地に吹きだまる。 この時季の便箋は、 色とりどりの自然の風景になぞらえて作るのが例年だけど、 ここのところ違和感を否めず無彩色に落ち着いている。 いろんな年があって、 私の中にもいろんな秋がだいぶたまった。 機嫌よくいきましょ 藤井あき乃

      • 130年前の風景

        木枯らしが吹く肌寒い一日。 道端に吹きだまった色とりどりの木の葉が舞う。 日本の紅葉が美しいとされるのは落葉樹の種類が多いからだとよく聞くが、 空気感というのも多分にあるだろう。 夏くらいから読み始めてまだ読了していないラフカディオハーンの「日本の面影」には、美しい日本の記述に溢れている。 1890年はじめに書かれた作品集が元になっているので、 ざっと130年位前の日本の光と色のこと。 今とは随分違っている気もするけど、 何も。。。変わっていない気もする。 懐かしく

        • 機嫌よく粛々と

          ぽち袋を作り続けておりますが。。。 この形は紙幣を折らずに入れる封筒にも使えそうです。 お年玉というよりもお年賀に。 「乙巳」印を 「御祝」や「寿」印にかえると、使い道も広がりそう。 私にしては相当にシンプルなつくりで、 量産できそうな気がして嬉しい。 (しないくせにね。何故そう思うのか。。。) さて金曜日。 朝から降りみ降らずみの空模様で、霜月としては温かな雨。 そして今日も今日とて私は度々に着替えている。 これは、気温の上下によるものではなく、 自分の体温調整機能

          今日は午後からずっと印の仕上げ作業。 一旦整理してしまっておいた半袖に着替えて、窓全開。 作業熱量のせいじゃなくふつうに暑い。 完全に陽が落ちたら、南南東の高い空に月が見えるはず。 今日は旧暦十月十四日。 満月まであと二夜。

          今日は午後からずっと印の仕上げ作業。 一旦整理してしまっておいた半袖に着替えて、窓全開。 作業熱量のせいじゃなくふつうに暑い。 完全に陽が落ちたら、南南東の高い空に月が見えるはず。 今日は旧暦十月十四日。 満月まであと二夜。

          追風用意

          今日の読書 徒然草 四十四段 全文引用するのは少々長いので、心に残った文章を。 原文にある「追風用意」の意味 秋の夜の月明かりと虫の音と、庭の小流れののどかな音の中 しめやかに執り行われる御仏事の様子が目に浮かぶ。 自然の恩恵に十分な人の配慮が重って美しい一場面が完成する。 機嫌よくいきましょ 藤井あき乃

          年賀状用(乙巳)の素材づくり

          和紙封緘紙の色塗りのついでに、 年賀状用の素材を作ってみた。 ぽち袋を作る際に出てしまう端紙に、かなり濃い目にを顔彩を塗る。 捨てるしかないサイズの紙を使い切れたヨロコビと、 きれいに生まれ変わった紙を見るヨロコビと。 色を変えると気分も変わり、 組み立ては同じでも飽かずに熱心を保てる。 よくあるデザインでも、 自分が手ずから作ったものだけを使うのは満足度も達成感も違うもの。 毎年、それほど多くの年賀状を出すわけではないけれど、 相手を思い浮かべながら、 最初から最後ま

          年賀状用(乙巳)の素材づくり

          やっぱりお年玉はぽち袋で

          落ち着いた感じのお年玉袋を作ろうと思っていたのに、鈴をつけた途端に、 え。と思うほど仰々しい感じになってしまった。 しかし、使うときにはふた部分を折り返すので鈴は背中にまわるしな。 ということで良しとする。 今年は「ぽち袋」をやたら作っていて、 いまだ抜け出せない。 以前、最近のお年玉は、 ほんとのお子ちゃまを除いて紙幣を折らずに渡す事が多いから、 いわゆるぽち袋は使わないの。と言われてからあまり作らなくなっていた。 そういえば、姪や甥にここのところ渡していたお年玉もそ

          やっぱりお年玉はぽち袋で

          包む

          今日は立冬。 昨朝、揺らぎ続けていた季節感が、 やっと心を決めたように吹く風が変わった。 本日「木枯らし1号」発表もあり、 今度こそほんとうに半袖をしまえるなと思う。 今年は随分長く半袖だったな。 お世話になりました。 最近、 源氏香図エンボッサーと散りもみじエンボッサーの組み合わせにたいそうはまってしまい、 作るものすべてに乱発している。 既に随分使い続けたエンボッサーなのに(源氏香図は、今年香図を入れ替えたが配置は同じだから雰囲気は変わらない)、 こんなふうに組み合わ

          本体付でエンボッサーをおもとめ戴いた時の包装。 頻繁に変わるので、3日後は違っているかもしれないけれど。 最近マチ付封筒を作るのがとてもとても上手にになったと思う。 我ながらきぶんがよい。 封筒作りだけして毎日過ごせたらなぁ。 機嫌よくいきましょ 藤井あき乃

          本体付でエンボッサーをおもとめ戴いた時の包装。 頻繁に変わるので、3日後は違っているかもしれないけれど。 最近マチ付封筒を作るのがとてもとても上手にになったと思う。 我ながらきぶんがよい。 封筒作りだけして毎日過ごせたらなぁ。 機嫌よくいきましょ 藤井あき乃

          雨の一日

          霜月朔日。 朝からずっと雨。 風はなく、この時季にしては温かな雨だけど、 さすがに、窓ガラス越しに見る空は秋の灰色。 今日は長袖を着ている。 霜月の箋には、久しぶりに「ふくろう」遊印に登場してもらおう。 全体的に押印数も色目も少なめを意識した。 ほんとうは紅葉も闌へと向かう時季のはずだけど、 あまりに現実と違うから、 今回は「今」の空気感で作ってみました。 早くも金曜日。。。 今、台風21号は今日にも温帯低気圧に変わる見込みというニュースを見たところで、 連続して避難発

          江戸時代の色感覚

          昨年から日めくりを楽しんでいる「にっぽんのいろ日めくり」(暦生活)。 今年の分は、色別に整理するつもりで日々のノートには貼付けずにとってある。 既に十ヶ月分だから結構な枚数になった。 色別にと思っていたのだけど、 これがなかなか難しく、どうやってまとめようかと毎日めくる度に思っている。 それにしても!常に思うが色名のつけ方がたいそう楽しい。 「納戸色」とか「灰汁色(あくいろ)」、 「濡葉色」とか。。。 「葉っぱ色」じゃぁなく、特定の葉っぱの色名でもなく、 葉が雨に濡れたと

          江戸時代の色感覚

          邪が潜んでしまうところ

          紙幣を折らずに入れることができる封筒に移りたいと思いつつ、 ぽち袋作りで足踏みしている。 定番サイズのぽち袋を作ったのは久しぶりだから、 単純に楽しい!ということもあるけれどなかなか次に進めない。 同時に「紅白ねじり水引」もかなり作ったけれど、 こちらは作れば作るほど、下手くそになっている。 最初のひとつが、滅法よい出来でそこに自分で感動してしまうと、 しばらく抜け出せなくなるのはままあることだが、 その後の出来具合は、 どんどん下ってゆくというのもよくあること。 最初

          邪が潜んでしまうところ

          こさめときどきふる時候

          その風景がこころの中いっぱいに広がる。 彩りも温度感から湿度まで。 雨の音まで聞こえるよう。 現代の日本のどこかにも、こんな自然の様を見られる場所があるだろうか。 因みにこの歌は、紀貫之が今の滋賀県守山市付近にて詠んだもので、 「古今集」秋下に出ている歌なのだそう。 私は、和漢朗詠集の「秋 紅葉」で知った。 今朝の読書の一ページ。 今日は旧暦九月二十六日。 霜降の次項で こさめときどきふる頃にはいりました。 朝から静かな雨が降ったりやんだりしています。 機嫌よくいきま

          こさめときどきふる時候

          憧れの生活とは

          随分と日暮れが早くなった。 いつまでも暑かったから(今も半袖)、 暦上と体感の季節が全く一致しないけれど、 夜が長くなると、時がゆっくり流れる。 朝陽もなかなか昇ってこない。 同じ15分が夏より少し長く感じる。 以前聴いた渡辺和子氏の講話(CD)の中で、 修道女になった理由のひとつに 「一日を決められた時間割で淡々と過ごすその生活様式に憧れがあった」というようなことを語っておられた。 その時に自分の中にも同じ憧れがあるのを初めて意識した。 粛々と同じことを繰り返して毎日を

          憧れの生活とは

          人間の手には、信頼すべき性質が宿る

          最近、「民藝とは何か」(柳宗悦 著)を読んでいる。 気にはなりつつ何年も、手に取ることなく過ぎていた。 この仕事をするようになってからその存在を知ったので、 20年近くは過ぎている。 何十年ではないけれど、数年でもなく、 その間自分が人生で経験したことを考えると相当な年月。 それを、なぜ今「読みたい!」と思うようになったかはほんの偶然で、 アマゾンKindleでしか読めない本(古本はあると思うが苦手なので)を購入し、何度も試したがうまくゆかず脱力していたとき、 『Kindl

          人間の手には、信頼すべき性質が宿る