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【ゴダールとキモヲタ】アンチ・シネフィル映画論。

※ジャン=リュック・ゴダール監督逝去時に書かれたテキストです。

実は私はゴダールが大好きであった。

しかし、長年に渡りゴダールやら小津やらには、ホントに気持ち悪い映画オタクが取り巻いていて(知らぬ間にシネフィルと名乗っているようだ、ただのキモヲタなのに)、近寄るのもおぞましい状況であった(ファッキン◯見重彦のせいだ!ファック!)。

そして私は時々名画座でゴダールを観ていた。

そこで目の当たりにするのが、
「文化芸術ファン・カースト」の中で最下位が「映画オタク」だ、という現実である。

逆に、第一位は「テクノ」、ミネラルウォーター首から下げて超可愛い女の子が一人でフロアで踊り狂ってる様はこの世で一番美しい笑。

演劇はエロいサブカル女が多い。

舞踏はそもそも女が自分から脱いじゃう笑。

レゲエは「オーガニック臭」が嫌だが社交的なだけマシ。
またダンスホール・レゲエ・ギャルはいつの間にか田舎ヤンキーの亜種になり、それもレゲエ祭バブルが弾けて今や絶滅種に指定されたが映画オタクよりはマシ。

ヒップホップのビッチは好みにもよるが、音楽と性欲に真っ直ぐに生きており映画オタクよりは遥かに健康的だ。

文芸女は可もなく不可もなく底値安定。早稲田の文学部とかなら結構イケる。

そんな中、
「映画」、特に「名画座」系に集まる女、というか、そもそもそんな場所には基本的に女が居ないのだが、ごくまれに映画キモヲタ男に交じって、居る。

大学生の時に、フランソワ・トリフォーの上映会の後に映画オタク女に声をかけられたことがある笑、「来週の上映も来ますか?」って。

もちろん行かなかったがな笑。

そんな壊滅的な名画座界隈を取り巻く状況であるが、我々の世代はそんな映画キモヲタの地獄からゴダールを救ったのである。

1990年代後半の東京のウェッサイのダウンタウンにおける「カフェ」という文化の始まりに、
我々は「深夜のカフェでお茶しながら、プロジェクターで壁に投影されているゴダール映画を眺める」という作法を生み出した(菊地成孔先生は、コレを「カフェ・ゴダール」と称した)。

中目黒がまだ赤提灯飲み屋街の頃のお話だ。

そこでは夜な夜な、ミッドセンチュリー家具と可愛いカフェ女給さんの中、「音を消した」ゴダール映画がプロジェクターで壁に投影されていた。

何しろ、ゴダール作品の音を消して、カフェのBGMや店内の客の騒めきと勝手にリミックスしてしまうのだ。
逆説的にゴダール的と言えばゴダール的な手法であるところが妙である。

こうして我々が、腐れ映画オタクから「オシャレ・ゴダール」という形で、ゴダールを奪還したのである。

ゴダール映画の「意味」の解説なんかまったくどうでもよく、我々はゴダール映画の「ファッション」「グラフィック」「音楽」そして「グルーヴ」を愛でた。

ゴダールの「物質性」にヤラレていたのだ、

「そもそもゴダールはおしゃれで、かっこいい、という事だけで十分である」ことを「こちらサイド」は宣言したのである、オシャレなカフェ女給の援軍を得て笑。

そんな恵比寿や中目黒の「カフェ創世記界隈」には、小汚い映画オタクなんかは寄り付けなかった。

ざまあみろ!ファック!

と叫びながら、私はゴダールの『中国女』のカットを「意味をロンダリングして」自分の建築作品のプレゼンに入れたりしていた。
キモヲタの元祖である団塊世代の蘊蓄大好きジジイ建築家へのアンチテーゼとして。

そんな私はゴダールが大好きだったんだなあ、、

と追悼ニュースに便乗して文章を書いてみました。

完。


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