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【ニュース感想文】安倍派・二階派の会計責任者“パーティー収入の一部不記載”認める「記載しなければいけないことはわかっていた」

こんばんは!
たまには、疑問や不満なんかを綴ってみてもいいかなと感じている男、小栗義樹です。

はい!本日はニュース感想文ですね!

冒頭で「疑問」とか「不満」なんて言葉を使いましたけど、別に絶望したり落ち込んでいるわけではありません(笑)

この題材でいくとなると、これはまぁネガティブになりそうだなぁと(笑) 頑張らないといけないなぁ~と思ったので、ある意味覚悟を決めたという方が正しいと思います(笑)

さて、そんな僕が覚悟を決めた題材ですが、こちらになります。

安倍派・二階派の会計責任者“パーティー収入の一部不記載”認める「記載しなければいけないことはわかっていた」

はい・・・お待たせしましたね(笑)
政治ネタです。

この企画はもともと、政治についても扱いたいなぁという考えから立案したのですが、なんだかんだで今回、初めて政治の話をします。

正直ですね、最近の政治ネタは「感想を抱けないくらいつまらなかった」です。世界は確実に変革に向かっているのに、なぜか日本はそうじゃない。そんな気がして、感想を書く気にすらなれませんでした。

あと、政治で感想を書くとなると、結局最後はパターン化してしまいますよね。だから乱発するのは危険かなという考えのもと、極力避けてきたというのもあったりします。

こちらは裏金問題についての記事ですね。自民党の政治パーティーの余剰金が、どこにも記載されずに、政治家たちのポケットマネーに早変わりしていたというものです。

別に分かりやすくする必要はないと思うのですが、
・企業と政治家の献金問題
・政治パーティーが裏金製造機とかしている問題
・政党助成金問題
・国民への増税対応と政治家のリスク管理のずさんさ問題
・構造、権力の腐敗問題
・清和会がやり玉にあげられている問題

大体、この辺りが絡んでくる問題だと思っておけばいいのではないでしょうか?

今回の記事では、一部の意図的な不記載を認めたと書いてありまして、なにやら最新の情報では、特捜部が清和会への捜査に踏み切ったというニュースも出てきています。

そもそもですね、この問題が明るみになる前から、最近の政治行動や政治体制は問題を孕みまくっていました。これ、自民党がというわけではなく、政治に関わる者・組織など、全体的に構造の腐敗が顕著になってますよね。国を動かす人間の暴走に対して、あらゆるチェック機能が不全している危険な状態が今なのではないでしょうか?

今回こちらの題材を取り上げるにあたり、関連しているニュースや時系列などを、改めて追いかけてみました。その上で僕のスタンスは、善悪という軸で考えてはいけないんだろうなぁというものに落ち着いています。

これ、政治パーティーという裏金製造システムにどっぷりと浸かっていた政治家も悪いのですが、そもそも周辺にある、あらゆるシステムがエラーを起こしている気がしてなりません。誰が善なのか?という問いに対して、明確な答えが出せない以上、善悪軸で片づけることは出来ないように思います。

その上で、やっぱり監視が甘いのが大きな原因なのではないか?というのが、現在の僕の所感でもあります。国民が政治家を選び、選んだ政治家を監視するというシステム。これ自体が難しいと思うのです。負担が大きすぎやしませんか?と。

政治家は監視されたくないでしょう。本当に必要な増税さえ、増税という大きな括りで囲まれてしまうわけですし、プロが見ている視点とアマチュアである我々が見ている視点では、やっぱり大きな乖離があるわけで、折衷案は出しにくいです。

僕、ここが対立構造になっていること自体が疑問なんですよね。三角構造・四角構造にして、より強固なものにしていかなければ、新しい民主主義なんて作れやしないのではないかと思うのです。

例えば、国民が行うべき政治家監視の役割の半分をAIに任せてみるとか。国民が政策に対して、SNSなどに一斉に所感を投稿して、それをAIが集計する。意見の相違があれば、折衷案はAIが出す。こんな風にして、国民にも政治家にも役割を与えた上で、AIが第三者機関になれば、今までとは違った方針・決着に行きつくのではないかなと思うのです。もちろん、投稿しないと罰則があるみたいな、ある種のペナルティーも必要としてです。国民も政治家も、フラットで対等な目線に戻ることができれば、少なくとも、同じような問題が起こることは防げるのではないかなと思います。

あとはですね、もう少しニュースに対して寛容になってもいいのではないか?ということも思いました。

確かにこの問題、日本という巨大な組織を運営するという観点から見れば、その程度は最悪中の最悪だと思います。でも、こういう問題があるからこそ、有識者や学者などが、面白い本や興味深いコンテンツを発信できているという側面もあると思うのです。問題のない社会が本当に実現したとすれば、それすなわち、興味や共感を得られるコンテンツの数が激減するでしょう。それは、あらゆるコンテンツが高額化していくということでもあります。コンテンツの数が絞られていくわけだから、需要と供給のバランスが崩れるのは当たり前で、そうなれば、コンテンツに値段をつけて、その値段がどんどん上がっていくのも当然というものです。無料で閲覧できて、簡単に共感できるコンテンツは、ほとんどなくなってしまうでしょう。

お金を払って得られるコンテンツの方が、上質だし面白い。これは通常の考えだとして、とはいえそれは、無料で見れるあらゆるコンテンツが、比較対象になっているから成立する感情でもあるわけです。

こういう問題は減らしていった方がいいし、再発を防止したほうがいい。それは、より良い社会を実現し、人間の幸福度を上げていくためには必要なことです。でもだからといって、変わらないことを嘆いたり、文句を言ったり、解決案を提案するだけがすべてではないと思います。その問題から生まれてくる「良い副作用」にも目を向けて、それらも内包した上で、面白がったり・議論したほうが、考えるこちら側からみても豊かだと思います。

この問題がどこに着地し、どういう結末で手打になるのか。引き続き動向は追いかけていきたいと思います。ニュース読むという行為において、大切になるのは取捨選択です。惑わされず、自分の目で確認していき、あらゆる側面から、きちんと考えていく習慣をつけていこうと思います。

今日はこの辺りで終わりにします!
また明日の記事お会いしましょう!

さようなら~



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