ある週末
どこにでもある日常を書いてみる。
光る君へをNHKオンデマンドで4話程観る
溜まってしまっていた光る君へを4話ほど一気に観た。それでも、まだ44話。
夏ぐらいにNHKオンデマンドに課金してちょこちょこ見始めた光る君へもいよいよ終盤。
放送は既に最終回終わってるけど、まだそこまでいってない。なんとか年内には最終回を観たい。今年のドラマは今年のうちに。
そういえば、ブラックペアン2を観ようと思って全く観てないことを思い出してしまった。観なきゃいけないと思うとなかなか気が進まなくなるのは気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない。
さて、話を元に戻そう。
紫式部にスポットライトを当てたドラマ。源氏物語はあくまでドラマ中に出てくる重要な役割を果たす道具というか、仕事というか、そんな感じの位置付け。
最初の頃は、女性貴族が顔出ししすぎてたり、公卿が下々の者と接点がありすぎたり、道綱が阿呆すぎたり、伊周の駄々のこねかたが幼稚すぎたりとツッコミどころがまあまああったけど、慣れとは恐ろしいもので、それにも慣れてしまった。ドラマだし、女の人顔見えなさすぎたら演出上困るし仕方ないよね。
いろんなところで言われていることだけど、平安時代の女性貴族の弱い立場や心のうちが描かれている点は良いのではと思う。
基本的には通い婚という制度もあってか、女性は待つ立場であることが多い。
さらには、父親の権限が絶大。身分制社会だし、基本的には収入源が男のみだから仕方ない。誰かに養ってもらわないとなかなか生きていけないシステムになっている。
この2つの点が当時の女性の立場を不安定にさせている。
家族も含めた男に翻弄されるのが当時の女性の立ち位置なんだけど、光る君へでは権勢を極めていく道長を動かす原動力が紫式部との約束というところがなかなか面白い。男に翻弄される立場の女性が政治を動かす男を動かしている。しかも、源氏物語で悪しき前例とされる楊貴妃のような形でないところが、源氏物語と対照的に描かれているような気もする。
他にも書きたいことはあるけど、あとは最後まで見終わってから。
どろろを4話程観る
最近ネトフリでアニメをちょこちょこ観てるんだけど、そのうちの一つ。まだ途中。
手塚治虫原作だけあって、正義と悪に割り切れない。
国を治める父親が国の繁栄と引き換えに、目、鼻、耳、肌、痛覚、両手足等あらゆるものを鬼神に奪われた百鬼丸と義賊を親に持つ幼い孤児のどろろ。この2人がとりあえず鬼神を倒して百鬼丸の身体を取り戻す旅をしているところ。
百鬼丸の親との再会シーンで、親に突き放されるところはなかなか考えさせられる。
特に母親は、これまで百鬼丸の無事をずっと祈っていた。にも関わらず、いざ再会となった途端に、自分は今まで安全なところでただ祈っていただけだったと急に覚醒。民の幸福を犠牲にして我が子を優先することは出来ないと掌返し。
全然関係ない話だけど、最近厳戒令で話題になった某国の大統領の背後に占い師的な人が…ってニュースが頭に浮かんだ。
為政者や経営者って孤独だから、何かに縋りたくなる時があるらしい。そういう意味では、道長も百鬼丸の父親も某国の大統領も芸能人も同じ人という括りになってしまう。
人外か人かという違いはあるものの、人の弱さにつけ込む存在というのは時代に関係なく普遍の課題だと感じてしまった。
「学力喪失」を少し読み進める
少しずつ読み進めている本。考える力とは、そして、どうしたら考える力が伸びるのかを著者なりの見解で解説してくれる。
幼い子供が上位概念を理解していく過程やAIと人間の思考の違い、考える力を伸ばす時のヒントの出し方等学ぶことが多すぎる。
子供たちの考える力がなくなってきていると言われてぼちぼち経つけど、そもそも考える力をちゃんと理解してなければ伸ばしようがない。
子育て中の親や先生だけじゃなく、すべての大人に必要な本かも。
詳しいことは読み終わった後に書く予定。
オーディオブックで「武器になる哲学」を聴く
結構好きな山口周氏の本。まだ途中。
数年前?に世界観をつくるで結構ハマった。ブランド化について考えるきっかけになった本。仕事の優先順位つける時の基準を変えてくれたかも。
今回は哲学を現代の文脈で解釈するというコンセプト。取り上げるかどうかの軸は、世界は何から出来ているか、どう生きていけば良いかという2つの問いと思考のプロセス、思考のアウトプットという2つの学ぶものから考えられている。この観点だとギリシャ哲学はほとんど取り上げられないことになるが、軸の説明があるので気にならない。
現代の文脈で解釈するというのは、有用感という言葉で説明されているが、要するに現代の文脈に合わせても応用がきくということのよう。
例えば、ユングのペルソナという概念は、属する集団毎に使い分ける人格という風に理解する。
以前は、職場や学校の人格は、家で使う必要がなく、職場や学校の人間関係で嫌なことがあっても家ではそこから切り離される時間があった。ただ、SNSの発達で家でも学校や職場の人間関係から切り離される時間が無くなってきた。常にいろんなペルソナを使い続けなければならないという状況が発生している。要するに逃げ場がない。そういう状況では、ペルソナの使い分けで対応できないから、いざとなったら逃げた方がよい。などなど。まだ最初の方なので、フロムとかニーチェとかデューイぐらいしか出てきてないが、続きが楽しみ。
夜は日本酒で晩餐
最近日本酒で晩酌にハマっている。
たまたま寄ったリカマンで獺祭が特売になってたから買ってしまった。獺祭って45でもフルーティでうまい。もっと高い方買えば良かった。
というわけで、しがないおじさんの、何のとりとめもない休日をお送りしました。
これ、誰得?