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帰ってこいよ
2024年12月30日(月)朝の6:00になりました。
何か成し遂げるとも、成し遂げずとも。
どうも、高倉大希です。
2023年1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日で730日目になりました。
2024年はうるう年なので、731日目にあたる明日でちょうどまる2年です。
いつもスキを押してくれていた人が、忽然と姿を消したり。
長らく見ていなかった人が、唐突に戻ってきたり。
これだけずっと note にいると、いろいろな変化があるものです。
窓の外で変わりゆく景色を、眺めているような気分になります。
私は漫画家の岡崎京子さんよ言葉を思い出した。「ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。」自分も部屋にこもりっぱなしではいけない。
きっと出勤前に読んでくださっているんだろうな、とか。
やっぱり土日の朝はみんなゆっくりなんだな、とか。
リアクションをくださる時間帯なんかも、結構おもしろかったりします。
画面の向こうには間違いなく人がいて、そこにはそれぞれの暮らしがあります。
そんなそれぞれの暮らしの中に、この note を読む時間が含まれている。
冷静に考えると、なかなかにすごいことだよなと思います。
『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。
いまでも変わらず、note なんていつやめてもいいと思っています。
自分の暮らしにとって、note はべつに必需品ではありません。
逆に言えば、だからこそ続けられているのだろうなと思います。
書き続けているだけで、いいことがたくさんあるわけです。
ふだんの暮らしに、どんな浮き沈みがあろうとも。
これからも淡々と粛々と、書き続けたいなと思います。
「どんな仕事でも、とにかく毎日、一〇年やったらモノになる」と言いましたが、一〇年以上やっている人は、まず、「自己評価が正確である」と言えるんです。
読むも読まぬも、読み手の判断。
書き手が言えるのは、せいぜい「読みましょう」くらいです。
来る者拒まず、去る者追わず。
毎朝6:00に、ここにいます。
帰ってこいよ。
それではまた、明日の6:00に。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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