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淡々と、粛々と


2024年10月5日(土)朝の6:00になりました。

9時間の往路が待ち受けていようとも、朝の6:00はやってきます。

どうも、高倉大希です。




淡々と、粛々と、行っていることがふたつあります。

ひとつは書くこと、もうひとつは撮ることです。


書くことで、出会うこともなかったであろう人たちと出会うことができました。

撮ることで、行くこともなかったであろう場所に行くことができました。


両方とも、明確な目的があって行っているわけではありません。

その先に何があるかがわからないままに、いまのいままで続けています。


言語ゲームにおける最大の報酬は、そのゲームをこれからも続けることができることそれ自体にあります。例えば、高校野球の甲子園大会を考えてみてください。みなさん、思ったことはないでしょうか?賞金がもらえるわけでもないし、仕事でもないのに、なぜ高校球児たちはあれほどまでに野球に情熱を燃やすことができるのか、と。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


毎日書く、毎日撮る。

決めているのは、これだけです。


毎日書く、毎日撮る。

たったこれだけで、日常が変わります。


考えているから書くのではなく、書くと決めているから考えます。

みつけたから撮るのではなく、撮ると決めているからみつけます。


書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね。

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


だから、平熱で書きたいなと思います。

だから、平熱で撮りたいなと思います。


よし、書いてやるぞ!とか。

よし、撮ってやるぞ!とか。


妙な熱がこもった時点で、「淡々と、粛々と」からは遠ざかってしまいます。

熱を頼りにはじめたことは、熱が原因で終わります。


さまざまな学校を視察・見学させていただく経験から一ついえるのは、よい実践をしている学校はおしなべてスタートが緩やかである。

藤原さと(2023)「協働する探求のデザイン」平凡社


淡々と、書きます。

粛々と、書きます。


淡々と、撮ります。

粛々と、撮ります。


きっと、まだ見ぬ人のもとへと連れて行ってくれるはずです。

きっと、まだ見ぬ場所へと連れて行ってくれるはずです。







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高倉大希
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