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#写真
【100枚超】これまで使ってきたカメラの羅列とその写真(2024.3月10日更新)
どのくらいのカメラを触ってきたのか、レンズはどんなのを使ってきたのか、その忘備として、カメラ、レンズを羅列するだけの記事です。
ミノルタα7000 父親が持っていたカメラ。発売年から察するに兄が小学校に入って運動会などを撮るために買ったと思われる。それ以前の写真は、謎にプラスチックな、フォーカスも目測なカメラが家にあったので、それで撮っていたんだろう。
大学に行くと、写真学科の先輩や同輩がマ
ライカで撮った写真で年賀状を作ったらなかなかどうしてきれいなプリントだった、という話
写真はプリントしてこそ、だと思いつつ、なかなかそんないとまも作る事なく。
これ、あるあるだと思うのだけど、長子の写真はけっこうあるんだけど、2番目の子は写真が思いのほか少ない、ということ、ありませんか。
次男のプリントが少ないんですね。こりゃいかん。と。お兄ちゃんの方は、A4サイズでプリントもして飾ってるのだけど、それはまた、x100fのデシダルズームとアクロスモードで撮影したのが思いのほか良
子どもの写真をプリントしての所感
ここ1年間ばかり、これまで撮りっぱなしにしていた子どもたちの写真をどうするか悩んでいた。5年分である。いくつかプリントはしたことはあるものの、その絶対数は少ない。
保育園の年度末には、毎回素敵な(そしてこれを先生方はいつ作ってくれているのだろうかと恐縮するほどに立派な)アルバムを作ってくださる。
それに比して息子たちの父は、撮ったらそのままで、時として写真をジジババにメールしたりするくらい
スナップ写真の思考回路
スナップ撮影には二つの方法というかアプローチがあるように思う。
一つは条件反射的に撮る、まさにスナップ、手首をきかせたような撮り方。何かに出会したら居合のように撮るやり方。
ライカなら絞りを絞って、ただひたすらシャッターチャンスを待つ撮り方になろうか。
もう一つが、とにかく歩きながら、何か面白い光景に出会ったら、そこでちょっと立ち止まって、構図とか露出とかピントを置くところを決めて撮るやり方。
写真は記憶の先取りなんだと思う。
ライカを使う人のスナップのやり方がゾーンフォーカス。
レンズ指標を頼りに、絞りを絞り込んで、被写界深度を深く取る撮り方。これだと確かに近づいてくる被写体、近づいていく被写体に、だいたいここへん、という感じで写真を撮ることが可能です。
しかし僕としては、好きな画角が50mmということもあり、そして何よりF値の低い、つまり、ボケやすいレンズを使っているのに、あるいはレンズの特性は開放にあると考え
光を撮るために陰を撮る、すなわち時間。
陰影とは陰と光のことだ、というのを最近自覚した。意味としては知っていたが、そうか光と陰か、とふと得心がいった。
フォトグラフとはよく言ったもので、光の絵ということになるわけだ。真実を写すことではない。だから見たままを見たままに写そうとしないでも良い。
昔写真学科所属の先輩にフォトジェニックってどう言うことを指すのですかと尋ねたことがある。彼は少し悩んで、これだよ。まあこう言うことだよ、と指
売れない写真と売れる写真
日本では写真は売れないと聞く。写真はアートとしての認識が低い。そりゃ「複製可能」な媒体であるから、それはそうなるかとは思う。
ましてやデジタルの時代。写真はますます容易に、技術より作者の頭の中こそが評価のポイントとなっていき、そしてそれを表現するための加工もさらりとできるようになった。そしてそこが技術としての評価ポイントにもなっているように思う。
それでも、飾りたい写真としてその作品を欲する
各レンズの焦点距離を武器に例える
ふと思ったもので。
武器に例えるのは、ちょっときな臭いですが、要は被写体との距離感の話だと考えていただけたらと思います。
前提としての「無限の住人」 単焦点レンズで比較をしています。それも基本ぼくが使ったことがある焦点距離です。ただ望遠や超広角はズームレンズです。また、フルサイズ換算です。
たとえとして出すのは、江戸時代までの日本の武器です。最初は現代のそれも例えに出していたのですが、や
カメラは左手で支える。右手は暇な方がいい。
カメラは左手で支えるものだ、と何処かで聞いたことがある。なるほど確かにその方が脇をしめられて、安定が増す。
肘を脇腹に当てて三脚よろしく自分の体幹を意識する。足は空手とか武道の構えだ。(幼少期から高校まで少林寺拳法をやっていました)呼吸を止めてそろりとシャッターを切る。
これくらいすると、手持ちでもスローシャッターが切れる。多少のブレはまあ、気にしない。
そんなことを思ったきっかけは、と