15年後の娘へのラブレター
子育てって悩みは尽きないもので。
マニュアル通りにいかないし、育児本なんて参考程度にしかならないし、そもそも子ども自体が十人十色。性格や気質が違えば、対応方法も全然違う。”正解” は誰も教えてくれない。自分自身が試行錯誤して見つけていくしかない。その答え合わせは、きっと、私がおばあちゃんになった頃。
そんな中でも、やっぱり子どものことを丸ごと信頼して、受容して、愛するって大切だなって思った。
「うちの子はこういう性格」「こんな気質」
だから「こんな対応をしなければ」とか「こんなサポートをしなければ」って勝手に決めつけないこと。
保育園も、友達も、学校も、家庭ですら、その子を形成していく “環境” のほんの一部でしかない。環境は同じでも、その子がなにを学びとり、なにを吸収し、なにを考えて、どんな風に成熟していくのかなんて、計り知れない。
だから結局、親にできることっていうのは、いい意味での「どうなってもいい」っていう精神なのかもしれない。「この子がこの先、どんな風に成長しても、どうなろうとも、丸っと愛するし、絶対に味方でいる」って肚を決めてどっしり構えることなのかな、と。
でもその姿勢を貫くには、親自身がどんな状況でも状態でも、子どもを愛と信頼で受け止められる受け皿が必要で。
子どもにアンガーマネジメントを教える前に、親自身がアンガーマネジメントを習得する。
子どもに自己肯定感や自己愛を育ませる前に、親自身が自己肯定感や自己愛を育む。
子どもにしつけをする前に、親自身が自分自身の生活を見直す。
結局のところ、子どもは親の背を見て育つ。口先の言葉じゃなくて、親の日々の何気ない言動を見て、それになぞらって成長していく。
「子どもは鏡」とはよく言うけれど。
本当にそうだよなってひしひしと感じる。
親自身が自分のトラウマを乗り越えられてなかったら、子どもが泣き叫んだとき、怒りや否定が出てくる。
親自身が自分自身を自己受容できていたら、子どもが泣き叫んでも、それすらも愛おしく、第三者目線で見守ってあげられる。
自分自身を愛すること。
自分自身を受け入れること。
自分の中にある恐れや、不安や、さみしさや、悲しさを、受け入れて、それを乗り越えていくこと。
その大切さを教えるために、子どもは生まれてきてくれているんだなあって思う。
自分は親には絶対向いてないってずっと思ってた。
こんな親でごめんね、こんな親に当たっちゃって、この子が可哀想って、ずっと自分を責めてた。
でもさ。
違うんだよね。
子どもは親が自分自身と向き合わって、成長していくことを促すために、生まれてきてくれている。
親が子どもを育ててるんじゃなくて。
子どもが親に育てられてる。
本当に、そうなんだよなって、ここ数日ひしひしと感じてます。
この子がいなければ、わたしはこんなに必死に自分と向き合うことをしなかったと思う。
この子がいなければ、わたしは自分のコンフォートゾーンを抜け出そうと、もがくこと、努力することをしなかったと思う。
子どもがいるからこそ。
わたしは強くなれる。成長していける。目を背けたい自分の弱みや痛みをちゃんと見つめて、それを乗り越えていこうって思える。
全部を癒す必要なんて、きっとなくて。そんなのきっと、どだい無理な話で。
長い人生の中で自分の心についてしまった痛みや悲しみは、傷跡になってこの先もきっと残るけれど。
その傷跡と共に生きていく術を身につけていく。
その傷跡を勲章として、それすらも美しく愛おしいものとして、受け入れていく。
そんな自分になれるように、子どもは背中を押してくれるんだよな。きっと。
親になって、はじめて分かったわたしの親の気持ち。毒親と呼び、逃げ続け、縁を切ろうとしたことさえあった親のことを、自分が親になってはじめて理解できて、許すことができた。
みんな、傷を負って、生きてる。
親も人間で、傷や痛みや苦しみを抱えながら、悩みながら、もがきながら、その時々にできる最善をやっている。それが、どんな形であれ。
それをそのまま受け継いで、次の代にそのまま丸投げするのか。
それとも、自分自身が向き合って、その負の連鎖を断ち切るのか。
その選択肢は、常に自分にある。
変化や成長を選ぶことは苦しい。痛みや傷と向き合うことだから。
でも、その背中を押してくれる小さな存在がいる。だから、わたしは頑張れる。
生まれてきてくれて、本当にありがとうと思うよ。
母にしてくれて、ありがとう。
愛してるなんて言葉じゃ、全然足りないくらいに愛していて。
ありがとうなんて言葉じゃ、全然追いつかないくらい感謝している。
いつの日か、あなたがもっと成長して大人になったとき、ひとりの人間として向き合って、色々話をしよう。わたしの人生の話。葛藤や悩みの話。苦悩の話。それをどんな風に乗り越えてきたのか。乗り越えようとしているのか。その背中を押してくれたのは、あなたの存在そのものだったんだよ、と。
サポートしていただいた方のことは忘れません