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詩と日記

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2021年7月の記事一覧

開会式追想 | 20210725 | #フラグメント やがて日記、そして詩。14

開会式追想 | 20210725 | #フラグメント やがて日記、そして詩。14

20210723
ついに東京五輪の開会式を迎えた。

蝉がここぞとばかりに鳴いている夏真っ盛りという日だった。

昼間のテレビをつけるとワイドショーも開会式の話題でもちきりだった。たまたまつけた番組は「ミヤネ屋」だった。すると、国立競技場のまえで若手リポーターがブルーインパルスの話をしたところで、「ミヤネ」なる人物が執拗に、大袈裟につっかかるのだった。

開会式を迎えるにあたって辞任・解任騒動が起

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ニットタイ・アウトライナー・開会式前夜 | 20210722 | #フラグメント やがて日記、そして詩。13

ニットタイ・アウトライナー・開会式前夜 | 20210722 | #フラグメント やがて日記、そして詩。13

今日は休みだったので朝食に昨夜の餃子と冷蔵庫のなかに残っていた豚の角煮とごはんを食べた。テーブルにならべたあとに、しまったと思ったが、捨ててしまうのももったいないので食べることにした。

案の定、眠くなった。

血糖値スパイクが起きやすいせいで仕事中もあまりごはんを食べない。だから、どんどんと痩せていくいっぽうで最近はかなり体重が落ちてきて、そろそろまずい気がしている。

ひとしきり、眠ってから、

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「季刊びーぐる」第52号入選作「あの日」 | 20210721 | #フラグメント やがて日記、そして詩。12

「季刊びーぐる」第52号入選作「あの日」 | 20210721 | #フラグメント やがて日記、そして詩。12

詩誌「季刊びーぐる」第52号に投稿した詩が掲載された。

選者の吉田義昭さんに選んでいただけた「あの日」という作品だ。

これは最近書いた詩ではなくて、昨年の第一回目の緊急事態宣言が発令されたときに書いてあったものだ。

公園のベンチで、スケッチをするように遊ぶ子どもたちを書いた。

ある意味目のまえのものをそのまま書いただけなのだが、その方がうまくいくことがある。ちょうど、今回の「びーぐる」の特

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断片を遺すこと | 20210720 | #フラグメント やがて日記、そして詩。11

断片を遺すこと | 20210720 | #フラグメント やがて日記、そして詩。11

この「日記」をはじめて10日が経った。コンセプトは「フラグメント」だけにしぼって、日記とも詩ともなりうる言葉の断片を遺していくこと、なんて、ざっくりと決めてはじめたのだが、自分でも意外につづいているな、と思う。

これまでの生活のなかでは、毎日何かを書くなんてありえないと思っていたが、いざはじめてしまえば、書かないと気持ちが悪いような感じがしてくるし、なにより、こういう積み重ねは精神的によい影響を

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即興詩 | 地下鉄 | 20210719 | #フラグメント やがて日記、そして詩。10

即興詩 | 地下鉄 | 20210719 | #フラグメント やがて日記、そして詩。10

地下鉄のにおい

少年のあこがれ

地下深くから吹きすぎる風は

なつかしいおもい

あのころの

乗ることが目的だった地下鉄に

毎日乗り降りしていると思うと

大人になったような気がして

しかし

ときおり

地下から地上へと出る瞬間があって

鉄道も

上り坂や下り坂を走っているのだとおもうと

むかしはよく不思議がったものだが

いまでは

なんの感動もなく

車窓のむこうで

疲れた顔

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無闇に感傷的な「伊勢物語」 | 20210718 | #フラグメント やがて日記、そして詩。09

無闇に感傷的な「伊勢物語」 | 20210718 | #フラグメント やがて日記、そして詩。09

『伊勢物語』を読んでいた。

一二五段あるが、「男」はほとんどすべての段で別の女たちと「情」を交わし、涙をながしつづけていたりする。

僕は院生時代に「歌物語」が気になっていて、この『伊勢物語』も何度か読んではいたものの、あらためて読んでもすごいなあと思う。

京を飛び出した「男」が数人で旅をして、行く先々の女と懇ろの関係になっていき、「情」の「歌」を詠み続ける。また、その「歌」のうまいこと。

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即興詩 | あなたになりたい | 20210717 | #フラグメント やがて日記、そして詩。08

即興詩 | あなたになりたい | 20210717 | #フラグメント やがて日記、そして詩。08

生きていると

何があるかわからないもので

あなたになりたい と言われた

あなたになりたいとはどういうことなのか

それはあなたが見ている

わたしになりたいということで

それはわたしではないわたしなのだろう

朝起きるのが苦手なわたし

ものが片付けられないわたし

何でもあとまわしにするわたし

あなたさえ

あとまわしにするわたし

電車の運転席から見える風景を見ていると

なぜか泣け

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即興詩 | ホワイトリリー | 20210716 | #フラグメント やがて日記、そして詩。07

即興詩 | ホワイトリリー | 20210716 | #フラグメント やがて日記、そして詩。07

あなたの部屋をでる

虫が鳴くようになった夜更けのにおい

ひとりになった心地

首にかけたままのヘッドフォン

もうすこし

虫の鳴くのをきいていようと

駅にむかう道すがら

街灯のならぶ坂道で立ち止まる

虫にはLED電球の光は見えないのだとか

他のいきものには見えない光があるということ

丘のうえから

あなたの部屋のあかりをみる

あれはたしかに

わたしには見える光

広がる街の明か

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クリスチャン・ボルタンスキー | 20210715 | #フラグメント やがて日記、そして詩。06

クリスチャン・ボルタンスキー | 20210715 | #フラグメント やがて日記、そして詩。06

クリスチャン・ボルタンスキーが死んだ。

2019年に国立新美術館で「Lifetime」を見に行ったり、表参道のLouis Vuittonのギャラリーで「アニミタス」を見に行ったり、当時はよく見ていた。

彼の作品は「死」で溢れていた。大量の風鈴が風に吹かれて鳴り続ける映像がただ流されているだけの作品といってしまえばそれまでだが、そこには死者の魂のようなものが聴こえるようだった。

そうでなければ

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即興詩 | だれもわたしをしらないところ | 20210714 | #フラグメント やがて日記、そして詩。05

即興詩 | だれもわたしをしらないところ | 20210714 | #フラグメント やがて日記、そして詩。05

だれも

わたしをしらないところにいきたい

せいぶつとしての

ほんのうとは

はんたいのことばが

あなたのくちからつむがれる

だれも

あなたをしらないところは

わたしにもいけないところだと

いったところで

だれも

しんかのなかできずきあげた

りせいとも

きょうきとも

いえない

いたみのなかで

かおをしかめている

いきたい

というほんのうが

ここまでわたしたちを

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即興詩 | わたしの人生 | 20210713 | #フラグメント やがて日記、そして詩。04

即興詩 | わたしの人生 | 20210713 | #フラグメント やがて日記、そして詩。04

勤務時間を終えたら

わたしの人生がはじまる

うばわれてはならない

なんて

冗談のように

同僚と話していると

それは冗談なんかじゃなくて

ほんとうのことだって

笑った

わたしたちのなぜは

いつだって

生きることだ

こんなふうに生きていてもいいのか

こんな人生でいいのか

生きるということは

どういうことなんだろう

いつまでも

青くさい問いをかかえて

いつのまにか今日

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〈わたし〉をほろぼすこと | 20210712 | #フラグメント やがて日記、そして詩。03

〈わたし〉をほろぼすこと | 20210712 | #フラグメント やがて日記、そして詩。03

蝉が遠くで鳴いている。まだ、おぼつかない。

少し熱がある。モデルナワクチンを打ってから三日目のことだ。どうしようもなくつらいということではないが、このだるさで明日からまたハードワークがはじまるかと思うとかなり憂鬱になる。

仕事に人生の大半をとられてしまうということ。それがまた、自分自身への糧になることのない、ただ時間と体力と気力ばかりが奪われる仕事を続けていくこと。いったいこれが、なんになると

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自分へのめりこまずに書く | 20210711 | #フラグメント やがて日記、そして詩。02

自分へのめりこまずに書く | 20210711 | #フラグメント やがて日記、そして詩。02

朝、ラジオで『アミエルの日記』の話を聞いていたら、急に日記がつけたくなった。思えば、このうすっぺらなノートを、すでに二年ごしで書きつづけているわけだ。私が日記を書かなくなったのは、いいにしろ、わるいにしろ、また私がよく知っている、また知らないいろいろな理由がある。ただ、今までの調子で日記を書きつづけて行くことは、もう意味がないようだ、ということだけはよくわかっているつもりである。もうすこし、自分へ

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「日記」の誘惑 | 20210710 | #フラグメント  やがて日記、そして詩。01

「日記」の誘惑 | 20210710 | #フラグメント やがて日記、そして詩。01

なぜ、「日記」に惹かれるのか?

紀貫之が「土佐日記」を書いてからというもの、『蜻蛉日記』や『更級日記』といった王朝女流日記が栄え、近代においても自然主義的な〈私〉性を高める装置としての「日記」が書かれ続け、そして、いまではそれらが「読まれ」続けている。

さらに、現代においては誰もが嬉々として「日記」をさらけだしている現状を、どのように受け取ればよいのか。そして、ほかならぬ、僕自身が、「日記」を

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