断片を遺すこと | 20210720 | #フラグメント やがて日記、そして詩。11
この「日記」をはじめて10日が経った。コンセプトは「フラグメント」だけにしぼって、日記とも詩ともなりうる言葉の断片を遺していくこと、なんて、ざっくりと決めてはじめたのだが、自分でも意外につづいているな、と思う。
これまでの生活のなかでは、毎日何かを書くなんてありえないと思っていたが、いざはじめてしまえば、書かないと気持ちが悪いような感じがしてくるし、なにより、こういう積み重ねは精神的によい影響を与える。
誰かに読まれることを前提に書いてはいるが、本来的にクローズドな空間である「日記」をつける感覚。それが、「断片」に留めてくれる気安さが、何かを書かせるのだと思う。
そして、「日記」とは何かを考える「日記」になりつつあり、今日などは仕事の合間に「日記文学」の論文まで漁りはじめた次第で、こうして、少しずつでも、断片的にでも、何かについて思考することが、行動へともつながっていくものなのだと実感もする。
今日はそれらを読んだことをまとめるようなことはできないが、さまざまな断片を遺しながら、ぐるぐるとまわりながらでも、どこか、核心のようなものに辿りつけるようにしたい。
自分のなかに、問題やテーマが芽生えはじめるとワクワクするものだ。こういう感覚は院生以来のことかもしれない。種をまきつつけて、また論文が書けたりできるといいなあ。
今日はそんな所感のみ。
本格的な暑さにもだえる。また、夏がやってきたのだという夜の空気が何かしらの喪失を思い出させる。何度も、何度も、味わうことになるが、そのたびにまた、何かを失っている。
過去、来れり。
それでは、また。
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