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開会式追想 | 20210725 | #フラグメント やがて日記、そして詩。14

20210723
ついに東京五輪の開会式を迎えた。

蝉がここぞとばかりに鳴いている夏真っ盛りという日だった。

昼間のテレビをつけるとワイドショーも開会式の話題でもちきりだった。たまたまつけた番組は「ミヤネ屋」だった。すると、国立競技場のまえで若手リポーターがブルーインパルスの話をしたところで、「ミヤネ」なる人物が執拗に、大袈裟につっかかるのだった。

開会式を迎えるにあたって辞任・解任騒動が起こったが、差別やさまざまな問題の一端は、こうしたいわゆる「(弱いもの)いじめ芸」を公然と放送してしまう倫理観と内輪感にあるような気がした。このあと、この人たちが「辞任・解任問題」について何らかのコメントをするところを見たくないと思ってすぐにチャンネルを変えた。

20:00
東京五輪の開会式がはじまった。なんだか緊張した。本当に大丈夫なのだろうか。この緊張が、自分が「日本人」であることを意識した瞬間であったように思う。自分が所属する「国」が、こんなにズタボロになりながら、7年ごしに用意してきた開会式が、どんなものになるのか。「期待」というよりも「心配」と「不安」でいっぱいだった。

はじまると、ダンスの演出、箱のようなものを運ぶ演出が多かった。既視感というのか、なんだろう、こういうのをどこかで……と思いながら見ていたが、そのときにはよくわからなかった。

演出は、どこか、断片的だった。脈絡のない、ストーリーや文化的なメッセージも、「復興五輪」以上のメッセージがなかったように思う。ひたすら、過去の東京五輪と、被災と、コロナ禍と、という「過去・現在」がここにあって、「未来」がなかった。

選手入場の際にゲームミュージックが流れてTwitterも大いに湧き、分裂症的に引き裂かれている人も多かったが、何か正体が知れないけれども、かつて愛したドラクエも、FFも、クロノトリガーも、僕のなかでかなしくうわすべっていく感じがした。記憶が霧散していく。

スピーチがあり、歌があり、ドローンの演出あり、ピクトグラムのパフォーマンスがあり、劇団ひとりからの海老蔵とジャズピアノによる歌舞伎があり、聖火へ……。

平和の祭典。

7年ごしの開会式。

これが、世界に見せたい「日本」なんだろうか。「日本」とは何か。「日本文化」とは何か。他ならぬ「わたし」は、何を見たかったのだろうか。何を見せたかったのだろうか。何を見てもらいたかったのだろうか。何を、見せるべきだったのか。

その夜は、なんだか眠れなかった。

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佐々木蒼馬-aoma‐
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