無闇に感傷的な「伊勢物語」 | 20210718 | #フラグメント やがて日記、そして詩。09
『伊勢物語』を読んでいた。
一二五段あるが、「男」はほとんどすべての段で別の女たちと「情」を交わし、涙をながしつづけていたりする。
僕は院生時代に「歌物語」が気になっていて、この『伊勢物語』も何度か読んではいたものの、あらためて読んでもすごいなあと思う。
京を飛び出した「男」が数人で旅をして、行く先々の女と懇ろの関係になっていき、「情」の「歌」を詠み続ける。また、その「歌」のうまいこと。
作者は未詳だが、いったいこれを誰がどうまとめたのか。
単純な創作であるとするならば、実にいろいろな地を知っていて、当時の移動を考えれば旅人くらいしか書けないくらいだ。しかし、これが一人の実体験なのだとすれば、ちょっとやりすぎである。
そう考えると、なんだかこう、全国津々浦々の「情」を交わす「歌」をコレクションするのが趣味の人がいて、それらを集めて、一連の「男」の「物語化」をはかって、ハーレム物語を作ってみた、というのが『伊勢物語』なのではないか、とかふと思ったりもする。
それにしても、こうもそのときどきの「情」を述べる「歌」がうまく、それが、平安時代から脈々と受け継がれてきた「精神」の部分にはたいへん興味深いものがある。
元来の抒情詩文化というのか、そういうものがずっとあるんだなあと思う。とはいえ、これは「貴族文化」でもあるので、それを「日本文化」と言っていいのかどうかはわからない。鈴木大拙の『日本的霊性』を読んでいても、平安貴族への言葉はかなり厳しい。
平安文化を描写する人は、当時の男が女の真似をして、服装美や容色美に苦心したことを記している。「男性の服飾」がいかに色彩美の豊かなものであったかは、当時の「物語」を読むものの誰しも気づくことである。袴などは男女が取替えて着ても差支えないほどであった。のみならず衣裳には薫物の香のめでたく床しいのを焚きしめ、顔は脂粉で飾ることを怠らなかった。それから彼らはまた不思議に涙脆かった。何かというと、「袖も絞るばかり」「涙に濡れる」のである。「河原のいとあらましきに、木の葉の散りかふ音、水のひびきなど、哀れもすぎて物恐ろしく、心細きところなり」というほど無闇に感傷的であった。(鈴木大拙『日本的霊性』より)
鈴木大拙はこの平安貴族たちの地に足のついていないところから、大地に根付いた「武士」の時代、すなわち鎌倉時代から「宗教」意識が日本に芽生えたという話になっていくのだが、この「無闇に感傷的」であり、それを無闇に「歌」にしてきた精神自体は、なんというのか、否定したくない何かがある。
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして(『伊勢物語』四段)
ここで「男」が感じた月や春の変化はおそらく本物で、全身で、その変化を感じて、全身で、一人、部屋のなかで泣いている。ある意味では、泥臭い、大地そのもののような感情であろうと思う。それでも、なすすべもなく、「歌にするしかない」という精神は捨てたものではないような気がする。
いま、これを言って、どうなるということではないのだが、すこし、なにかに近づいている気がする。
「日記」として、綴っているこのマガジンに、「即興詩」を載せ続けていることと、「歌物語」の系譜と。きっと、なにかがつながってくるはずだ。
今日は、『伊勢物語』を読むくらいしかできなかった。
仕事にさまざまなものを奪われている。明日も休日出勤である。