確率の雲の中でゆらぐ虚空にこの世界が現れる理由。揺らぎがリアルに変わる時『フワッと、ふらっと、量子力学の心理学』
『フワッと、ふらっと、量子力学の心理学』
1. ミクロの世界の不思議な現象
デイヴィッド・チャーマーズなどの現代哲学(分析哲学等)は、情報の二相という理論を唱えています。
これは、究極の実在は情報であり、情報空間から、現象(コト)や、物質(モノ)が生み出されているという考え方をしていて、まさに映画「マトリックス」の世界です。
ただ、映画マトリックスの場合は、
主人公が物理空間だと思っていた、実は情報が本質の世界
(コンピュータプログラムという情報空間であるマトリックスの世界)
から目覚めてみれば、
そこは、情報空間ではなくて、物理空間で、
ロボット達によって、
人間の脳幹が、巨大コンピュータにつながれていて、
やはり、主人公達は物理的存在である生身の人間で、
目覚めた人間達と、ロボットとが、
物理的な戦いをしていたという、
結局のところ俗世的な内容でしたが、エンタテインメントなので、そういう設定にしたのもしかたないかなとは思います。
なお、理論物理学者デビッド・ボームも、情報の二相論と似たようなことをいっており、
現実の本質は情報であり、情報とはエネルギーであり、
また、意識(心といっていいかもしれません)であって、
脳は、この本質のホログラムの一部であり
(但し、ホログラムですから、一部であっても全体を包含しています。一部=全体といってもいいということです)
かかる本質と共鳴し、意識の振動を生み出し、
現象(コト)や物質(モノ)の世界が形作られているというようなことをいっています。
量子力学の世界でも、モノはあるのかないのか、よくわからない、あやふやなものとされていますし、
時空についても、相対性理論によって、その名のとおり「相対」的なものであって、絶対的なものとはされていません。
(相対性理論については以下をご参照ください)
2. モノはあるのかないのか、モノなのか波なのか?
量子力学とは、
「ある時間に、どこで、物質が、観測される可能性があるか?」
を、
シュレーディンガー方程式
Hψ=Eψ
(Hはハミルトニアン演算子、ψは波動関数(固有関数)、Eはエネルギー固有値:シュレーディンガー方程式を理解するためにはかなりの時間を要するため、これを初めて見る方は「そういうものがあるんだ」というフワッとした感じで眺める程度で十分かと思いますので、そのまま以下を読み進めて頂ければと思います)
などにより、確率的に述べるものです。
量子力学の古典的解釈によれば、
光や電子は、観測されるまでは「波(確率的な)」であり、
観測されると「粒子(モノ)」となるという奇妙な不思議さがあるということです。
(このような振る舞いをするものを「量子」といい、またこのような解釈をコペンハーゲン解釈といいます)
コペンハーゲン解釈では、
粒子の位置や状態は観測されるまでは、
空間の各点ごとの存在確率の大小としてしか把握できず、
観測を行った瞬間に「波束の収縮」が起こり、
測定値はある値に定まる、
つまり、観測を行った瞬間、決定的に系に作用すると考えます。
ミクロの世界の不思議な現象は、二重スリット実験と呼ばれる実験を行うことにより確認されました。
http://www.zaikei.co.jp/article/20141130/224339.html
(東北大、アインシュタインとボーアが論争した2重スリット実験の検証に成功)
下記では、日立が行った二重スリット実験の動画が見ることができます。
http://www.hitachi.co.jp/rd/portal/highlight/quantum/index.html#sec02
参考) http://www.toholab.co.jp/info/archive/10572/
(電子線の二重スリット実験 株式会社 東邦微生物病研究所 (総合衛生研究所 ティ・ビー・エル))
https://www.youtube.com/watch?v=vnJre6NzlOQ
(2重スリットの実験:実験の解説動画としてよい作品であると上記東邦微生物病研究所が紹介している動画)
2重スリット実験とは、 二つの穴の開いた板に向かって、電子を飛ばしたとき、その奥にあるスクリーンに何が写るかを確認する実験です。
電子銃から大量に電子を発射すると、スクリーンに綺麗な縞模様ができます。
これを干渉縞といいますが、これは、波であるからこその現象で、干渉縞ができるということが、電子が波であるという証になります(これをA実験と以下呼びます)。
さらに、二つの穴のうち、一つを閉じて、同じ実験をしてみると、今度は干渉縞ができなくなります。
(これをB実験と以下呼びます)
波ではなく、粒として振舞うということです。
では、電子銃の出力を弱めて、大量ではなく、
1個、1個の電子を、二重スリットに向けて発射するとどうなるのでしょうか?
当然ながら、スクリーンには、小さな点がポツリとできます。
これも、電子が粒であることを示しています。
しかし、電子を1個、1個発射するということを、
二重スリットに向けて1000回ぐらい続けるとやはり、
干渉縞ができてしまい、波としての性質がまた現れてしまいます。
(これをC実験と以下呼びます)
電子は、2つの穴の、一方しか通れないとするならば、
実験Bと実験Cは同じ結果、
つまり、実験Cにおいても、1個、1個電子を発射するということを、
二重スリットに向けて1000回ぐらい続けても、干渉縞などできないはずなのですが、
実験Cでは、干渉縞ができてしまっています。
このような現象を説明する最も単純な辻褄あわせは、
「1個の電子は、観測されるまでは、波のように振る舞い、
同時に二つの穴(スリット)を通過し、
しかし、スクリーン上では、点状の痕跡を残し、粒子として観測される。」
という理屈です。
そして、コペンハーゲン解釈は、このような考え方を採用し、また多くの科学者がこれを支持しているということです。
このような実験や量子力学的な考え方などを合わせ考えると、前述のような結論になるとのことです。
3. 多世界解釈
前述のようなミクロの世界の振る舞いに関する解釈としては、コペンハーゲン解釈の他に、ヒュー・エバレットという人が主張した多世界解釈などがあります。
実験結果や量子力学的な考え方に沿うと、前述のように考えるのが自然で、
「観測すると波は収縮し、可能性の波であったはずの電子は粒(モノ)として発見され、この状態が固定化される。」
となり「覆水盆に帰らず」的になります。
(過去と未来が峻別されるといってもいいかもしれません)
まるで「かごめかごめ」遊びのような「後ろの正面だ~れ?」的な感じです。
この遊びも、
歌の最後の「後ろの正面だ~れ?」の掛け声があるまでは、
「後ろの正面」誰なのかは、
座って目を閉じたオニの周りをルーレットのように回る、
オニ以外の参加メンバー全員が重ね合わさった状態にあり、
「かごめかごめ」の歌が「後ろの正面だ~れ?」で終わり、
オニ役が答えを発し、目を開け後ろを振り返った瞬間に、
後ろにいた特定のメンバーが、なぞかけの正解として固定化されますが、まさに量子力学的です。
「量子力学を突き詰めれば、月を誰も見ていないなら、月はある特定の場所にはいない。誰かが見たときだけ、月の居場が確定する。」とまでいう物理学者もいます。
しかし、このように考えたくない、多世界解釈では、まず、あらゆる可能性の世界が全てもともとあって、そのそれぞれの「可能性の世界」に私達も住んでいるとします。
つまり、世界も数え切れないほどあって、誰しもがその各々の世界に数え切れないほど平行して、存在するということです。
例えば、ある人が、
たまたま「ある資格試験の合格通知を受け取った」
という事実を観測すると、
この世界しか存在しなくなる、他の可能性の世界はなくなる(これは、コペンハーゲン解釈的です)のではなくて、
他の可能性の世界、
例えば「資格試験に落ちてしまい、その資格とは縁もゆかりもなくなった。」という世界も実は並行してあって、
ただそれは枝分かれしてしまっているだけで、
なくなったわけではない、見えないだけでどこかにパラレルワールドとして存在していると解釈します。
こう考えたほうがスッキリとする点があるので、このような解釈も考え出されました。
モノが観測される前は、可能性の波であるなら、観測者である私たち人間も原子からできているわけだから、可能性の波ではないか?
なら、モノと観測者はセットで考えるべきで、こう考えると、多世界解釈となるということです。
この多世界解釈で考えると、
「資格試験に落ちてしまったため、その資格者になることは諦め、別の道を探していたところ、街でスカウトされ、
芸能人となってドラマに出て大ヒットし、一躍スターとなって、大豪邸を建てて住んでいる私。」
のパラレルワールドもどこかにあるということになります。
ただ、量子力学的な現象に対して「なぜ、このような現象が起こるのか?」という問い(解釈問題)については、確かめようがないところが多く、確かな答えを見出すことは現状では難しいものがあります。
コペンハーゲン解釈で実利的に困るところはないため、コペンハーゲン解釈でいいではないか、
哲学者ではないのだから、解釈については深入りせずにこれで良しとし、研究を先に進めようと考えている科学者が多いかもしれません。
ただ、確かめようがないことだとしても、色々と思索を広げることは悪いことではないことでしょう。
物理学者でない一般の方が、量子力学的な現象に対する哲学的な問いに対する思索を深めることは、誰に禁じられるものでもないものと思います。
4. ではなぜ日常では、波動性が表れないのか?
モノが観測される前は、可能性の波であるのなら、なぜ私達の日常生活上では、
量子力学的な不思議な現象が現れないのかということですが、
(例えば、野球のボールとピッチングマシンを用いて、2重スリット実験をしても、なぜ干渉縞が現れないのか?)
それは以下のような理由によります。
シュレディンガー方程式につながる、
物質が持つ波動性を示す物質波(ド・ブロイ波)の、
波長(波(波動)の周期的な長さ)λを求める、
ド・ブロイの波長公式は、「λ=h/mv」です。
(mv は運動量であり、p=mv としてpと表示される場合もあります。その場合は「λ=h/p」)
hは、プランク定数(光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数)と呼ばれるもので、
h=6.62607015×10^−34 J⋅s
(^−34はマイナス34乗を表しています)
とされています。
「λ=h/mv」の、mは質量、vは速度になります。
ミクロの物質、例えば電子はその質量が非常に小さく、よってmの値も非常に小さくなります。
そのような小さな値をmに代入すると、例えば730㎚のような、それなりに意味のある値が求まります。
対して、マクロの物質、例えば人間の体重ですと、男性平均体重など60数㎏あったりするわけで、
例えば65kgを、上記公式のmに、1m/sをvに代入し解くと、分子がマイナス34乗ですから、とてつもなく小さな、検知できないといってもいい値になります。
つまり、私たちの日常においては、物質波は検知されず、私たちの目に見えるマクロの世界においては、量子力学的な不思議な現象を目にすることはないということになります。
5. 東洋思想に魅せられる量子力学者達
色(モノ) 即是 空(情報・コト)という、東洋思想的な結論を目の当たりにした、
量子力学を構築してきた西洋の学者達は、思想的なパラダイムシフトを自然と強いられることになったのか、多くが東洋思想に興味を持つようになっています。
量子論の父、ボーアは母国デンマークから勲章をもらいその際に、選んだ紋章は、太極図でした。
その後半生には、量子力学と類似性が感じられるということから、東洋哲学を熱心に学んだとのことです。
マトリクス力学や不確定性原理を打ち立てたハイゼンベルクも、
インドの著名な詩人タゴールから東洋哲学を学び、
「量子力学と東洋思想は似ている」と述べ、
「日本の物理学者が多大なる貢献をしてきたのは、だからかもしれない。」
と言ったとのことです。
シュレーディンガー方程式を導出したシュレーディンガーも、
東洋哲学に興味を示し、
「西洋科学は東洋思想の輸血を必要としている。」
と述べたとされています。
さらに、量子力学構築の重要人物の一人、
ヴォルフガング・パウリも、
彼の場合は、東洋哲学を直にというわけではないのですが、
東洋哲学に類似性がある、ユング心理学に魅せられ、
ユングの弟子となり、
共同研究を行い、『原子と元型』という心理学の著作を発表するまでになっています。
(ユング心理学については以下をご参照頂ければ幸いです)
彼らの変わりようは、宇宙飛行士が宇宙に行って何かを見て、帰ってきて急に考え方が変わるようなものでしょうか。
このように、量子力学によれば物質世界は、
本質的に確率の世界である、正確に予測できない、
観測される現象は、偶然に選ばれるとします。
正確に予測できない、我々の存在も含めた物質世界は、
全て確率でしかわからないといえるものだと思われます。
(アインシュタインはこの量子力学の結論を批判し、「神はサイコロを振らない。」といったと伝えられています)
量子力学によれば、そんな世界に私達は生きているということになります。
予測できない世界ということは、結局のところは、この世界の奥の院はわからないということがいえるものだとも思います。
6. 量子もつれ(エンタングルメント)
ところで、量子力学によって明らかにされたものには、他に量子もつれ(エンタングルメント)という以下のような現象もあります。
量子もつれとは、
「2つの粒子が、何の媒介もなしに同期して振る舞う」
さまをいいます。
電子などの素粒子は、自転のような動きをするのですが、
これをスピンといいます。
(正確にはスピンは、量子力学的な量であって、
コマの回転のようなものとは違うのですが、
本質的には、人間の直感的想像を超えるものなので、
それではわかりにくいということで、自転のような動きとイメージします)
いま、2つの電子があって、そのスピン合計が常に0になるとします。
ということは一方がプラスなら、一方はマイナスになるということです。
しかし、どちらがどのようなスピンになるのかは、観測するまではわかりません。
この2つの電子を、同時に反対方向に発射し、10,000光年離したとします。
そして、一方の電子のスピンがプラスだと観測されれば、もう一方は観測するまでもなくマイナスと決定されます。
このことに対して、アインシュタインは、
「それは超光速で情報が伝わるということだから相対性理論に反する。
観測されるから決まるのではなくて、我々の知らない法則により最初から決まっているだけだ。」
と主張し(EPRパラドックス)、
反論しました。
しかし、後にアラン・アスペの実験などによって、
電子のスピンは、観測されるまで決まっていないということが明らかにされました。
7. 量子力学が人間の自由意思を保障する
量子力学は、
デジタル技術、PC、スマホ、DNAの構造解析、CTスキャン、
ナノテクノロジー、考古学、原爆、原発、量子コンピュータ
などを、説明する言葉でもあるのですが、
心理学や脳科学や哲学とも関係するものです。
例えば、自由意志との関係があります。
マクロ世界を完璧に予測することが可能な、
ニュートン力学(古典力学)が絶対だとすると、
脳細胞を構成する原子も、ニュートンの運動方程式に従うはずで、
ニュートン力学は決定論(あらゆる事項はなんらかの原因によってあらかじめ決められているということ)的ですから、
極論すると私たちも、自由意志などないロボットかゾンビみたいなものだということになってしまいます。
人間が何を考えようが、
それは、ニュートン力学的に決定されたこととなり、
人間は、ロボットなどのようなものと変わらない存在となってしまいます。
量子力学は、
物理現象で事前に決定されているようなものは何もなく、
全ては確率的にしか予言できないといいます。
つまり、この世界は、不確定で、不完全で、複雑だということです。
ゆえに、「量子力学による自由意志説」によると、
人間が、自由意志を持てるということになります。
ちなみに、これらの量子力学的特徴を、実用しようとするもののひとつに、量子暗号や量子コンピュータがあります。
量子コンピュータは、量子力学的な、
「重ね合わせ(複数の状態が、量子において同時に成立すること)」
の特徴を生かして計算する、量子計算という方法を用います。
量子計算の方法を用いると、
重ね合わせの原理により、一度にあらゆる計算ができるようになり、
(現在のコンピュータでは一度の計算ではもちろんひとつの計算しかできません)
そして、ありとあらゆるシミュレーション計算ができるようになる可能性があります。
それは、現実と、量子コンピュータが創造するバーチャルな情報世界との見分けがつかなくなる可能性があるということを意味します。
現実も、量子力学的な観点から考えるとバーチャルリアリティ(仮想現実)のようなものなのですが、
ゆえにそのバーチャルなこの世界を、忠実に量子コンピュータで再現できるようになる可能性があるため、
現実との見分けがつかなくなるかもしれないということです。
(ということは、逆に言えば、この世界そのものが量子コンピュータのようなものでもあるともいえます)
つまり、映画「マトリックス」のような世界が、現実に現れるかもしれないということです。
8. この世界は隙間だらけな空虚な世界。なのになぜ私たちは宇宙に落ちない?
量子力学の観点からすると、全ては幻のような不可解なものだともいえます。
物質的なものは、私達の身体も、物も、全てが素粒子から構成されているわけですから、このことは、世界の全てについていえるということにもなります。
(なので、アインシュタインはそういう不可解さを嫌って、量子力学に最期まで反対したのですが)
原子は、ご承知のとおり、原子核と電子から構成されていて、下図のようなイメージのものが、学校の教科書には書いてあったりするのですが、
原子を直径10メートルの玉だとすると、
原子核は、上図よりも遥かに小さなもので、
1㎜程度の砂粒ぐらいの大きさしかないと言われています。
このスカスカの原子が集まって分子を構成し、
世界を形作っているわけですから、
スカスカがいくらたくさん集まってもスカスカなはずで、
肉眼で原子まで見える目があるなら、
世界は煙のようなものにしか見えないかもしれません。
このことからしても、世界は幻のようなものと言えるのではないかと思います。
ただ、そんなスカスカな不安定な状態なら、
人が大地を踏みしめると、
世界の全てが崩れ去るような感じがするはずですが、
位置を正確に確定しようとすると、
運動量が不正確となり、その逆もまたいえるという、
量子力学でいう不確定性原理のおかげで、
全てが崩れ去ることが防がれています。
不確定性原理は、
電子や光子などは、そのものが持つ物理的性質として、
位置を確認したときは、運動量がわからず、
運動量がわかったときは、位置が確認できないとするものです。
素粒子(物質の最小単位)には、このような性質があるとのことです。
こちらを立てれば、あちらが立たず的なもので、ミクロな世界のみならず、マクロの世界でもよくあることです。
例えば、国民がタンス預金をすることはいいことなはずですが、全ての国民がタンス預金ばかりすると、世の中の経済が回らなくなり不景気となります。
これを経済学では合成の誤謬と呼んでいるのですが、これもこちらを立てればあちらが立たず的なことでしょう。
しかし、「不確定性原理」のおかげで、
私達は、地面から突き抜けて、
地球の反対側から、宇宙に放り出されて、漆黒の闇の中をさまよわなくてよくなります。
重ねてになりますが、
原子は原子核と電子から構成されていて、
その間には、ものすごく隙間があって、
地球から、この隙間を除くと、
リンゴぐらいの大きさになってしまうとか。
ですので地球は、
巨大な雲みたいなものに覆われた、リンゴみたいなもので、
実質スカスカといってよいものだと思われるので、
そのようなイメージで考えると、
私達はそのスカスカなところから落っこちて、
宇宙に投げ出されてしまいそうに思えます。
ところが、以下のような理由からそうはならないとのことです。
『ΔpΔx≧ h/(4π)』
(Δpは運動量の不確定さの幅、Δxは位置の不確定さの幅。πは円周率。hはプランク定数。h=6.62607015×10^−34J・s(ジュール秒))
これが、不確定性原理を表す式ですが、
(ハイゼンベルグにより提唱された量子力学の根幹を表す式です。
この式は、数学者の小澤正直・名古屋大学教授が、2003年に提唱した小澤の不等式により修正されています。
が、ハイゼンベルグの式がわかりやすいのでこの式を前提とします)
この式(ΔpΔx ≧ h/(4π))の右辺を、
仮にわかりやすいように「1」として、
ΔpΔx ≧ 1
そして、仮にΔx(位置の不確定さの幅)を「0.01」とすると、
Δp0.01≧ 1
(位置の不確定性が小さい=位置の正確性が高い)
その場合のΔP(運動量の不確定さの幅)は、
「100」から許されることになり、
100×0.01≧ 1
運動量の不確定性が大きくなります。
(運動量の不確定性が大きい=運動量の正確性が低い)
足の裏で地面(モノ)をギュッと踏みつけるということは、
モノの位置を正確に決めるようなもので、
そうするとモノの運動量が不確定、
つまり運動量が大きくなるということで、
足で地面を強く踏みつけると、
地面は、足の裏を押し返すことになり、均衡し、
私達は、地面から突き抜けず、
その場に立っていられることができるとのことです。
(ファインマンという物理学者が書いた定番の教科書(『ファインマン物理学Ⅴ量子力学』)にこのような内容の記述があるとのことです)
つまり、大地を踏みしめると、
足下にある原子の位置が狭まる(位置が正確に確定される)かわりに、
運動量が大きくなり(運動量が不正確となる)、
大地を踏みしめる足に抗するように働くからです。
このように私達の日常は「不確定性原理」のおかげで、かろうじて成り立っています。
普通は、こんなことを考えずに日々過ごしているわけですが、あらためてこのように考えると、世界の幻想的な性質が、真に迫って感じ取れるのではないかと思います。
参考文献)
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