大統領、議会、裁判所が激しく対立する国もある?行政 vs立法vs司法、三権の衝突の歴史。法治主義と法の支配の知られざる背景『フワッと、ふらっと、権力分立類型形成の法史学』
1. フランス型・権力分立類型
似て非なる言葉に、
法の支配と法治主義とがあります。
その違いは何でしょうか。
法の支配と法治主義との違いを、
理解する上では、両見解が生じる原因となった、
「権力分立類型形成史」
を確認する必要があります。
国家権力を一箇所に集中させると、
当該権力を濫用した政治が生じる可能性があるため、
権力を分けて、相互牽制させようというのが、
権力分立ですが、
その具体的内容については、
それぞれの地域・国家の歴史・文化によって異なります。
権力分立類型をざっくり2分類すると、
大きくフランス型とアメリカ型に分かれるものと思われます。
まず、フランス型ですが、
フランスでは、アンシャン・レジーム
(フランス革命以前の絶対君主政、封建的な社会体制)
の時代、
立法・行政・司法権の全てが王権とされていました。
しかし、実質的には、
上記三権のうち、
司法権は、第二身分である貴族に帰属していました。
(アンシャン・レジーム時代の身分制は、
国王→第一身分(聖職者)→第二身分(僧侶・貴族)→第三身分(市民・農民)
という階層となっていました。
第一身分・第二身分は裕福であるにも関らず、納税が免除され、
立法、司法、行政に参加できる資格のない第三身分のみが、税負担することになり、
このような身分制が市民革命の遠因になったものと思われます)
なので、王権が掌握していたのは実質的には、立法権・執行権(ないし行政権)ということになります。
そういう中、第三身分(市民等)が、
このような体制では我慢がならないということで、
せめて、ルール制定権(立法権)は我々によこせということで、立法権をまず最初に奪いました。
なので、
三権のうち、当時のフランス国民が最も信頼を寄せていた権力は、
王が掌握している執行権(ないし行政権)や、
貴族が司る司法権ではなく、
市民自身が手に入れた「議会」つまり立法権ということになります。
つまり、議会(立法権)に対しての信頼が強く、
執行(ないし行政)権当局(王権)や、
裁判所(司法権)に対しての不信があるということです。
そこで、フランスでは、
「法は誰を拘束するのか?」
という問いに対して、
以上のような歴史的過程及び市民階級の視点から、
法は「行政権及び司法権」を拘束し、
自身たる立法権(議会)は拘束しない、
また、信頼おける議会が制定した法であるから、
法もまた信頼できるであろうということで、
「法の内容の適正」は不問という考え方
(「形式的法治主義」)
がでてくることになります。
このような考え方が背景となり、
「法治主義」
という見解が形成されていくことになります。
以上が前提となって、
法治主義はまず、市民(立法権)の視点に基づき、
「国民の権利を奪い、義務を課す、
執行(行政権)や裁判(司法権)を行う場合には、
市民議会(立法権)が制定した法律上の根拠が必要である。」
という考え方として、最初に登場します。
上記が最も古いタイプの法治主義(19世紀フランスにおける法治主義)です。
市民(立法権)の視点から見ていますので、
当該市民(立法権)が制定した、
法の適正を誰かがチェックするという発想はないわけです。
敵方ともいえる王権(執行権ないし行政権)や、
貴族(司法権)になぜ、
我々(立法権)が制定した法の内容の適正をチェックさせなければならないのかということです。
近代においても、ド・ゴール将軍が、
「フランスの最高裁は市民だ」
との言葉を残しており、
裁判所を信用していないという感覚がここにも現れています。
このような原始法治主義の考え方が、
戦前の日本・ドイツに輸入されるにあたって、
「国民の権利を制限する場合、行政権(ないし司法権)は法律に基づかなければならない。」
↓
「ということは、法律に基づきさえすれば、行政権は、国民の権利を自由に制限できる。」
というものに変節してしまったわけです。
これを「形式的法治主義」といいます。
もちろん、司法権を信頼しない、
原始法治主義の考え方に基づき、
「当該法律の内容の適正は問わない。」
ともなっています。
また、日本やドイツは、
市民革命を得ずに、従来権力(王権等)が、
近代化を進めようとした経緯があるため、
執行権(ないし行政権)のお上意識が強く、
行政が法律に適合しているかどうかのチェックも「司法権」にはさせないということで、
行政自身が行うという形を日本では戦前採っていました。
これが、行政権自身が、行政が法律に適合しているかどうかの判断を行う「行政裁判所」ということになります。
戦後日本は、
憲法が基本的にはアメリカ型となりましたので、
司法権を信頼する体制(つまり、「法の支配」系)をも加味した形となりましたから、
現在は、
行政権・立法権を司法権がチェックするという体制になっていますが、
現在のフランス・ドイツはなおも、
「法治主義」系にあります。
「法治主義系」は、
誤解を恐れず極論でざっくりいうと、
「議会(立法権)万能!
議会(立法権)のやることについて、
司法権・行政権にはチェックさせない!」
という考えが根底にあるものだと解されます。
しかし、いくらなんでも、
議会(立法権)は誰にも拘束されない、
チェックもされないというのは、
現代においてはまずいだろうということで、
行政権・司法権のみならず、
議会(立法権)も「憲法」には拘束される、
つまり、
立法権が制定する法律は憲法に反してはならず、
法律が、憲法に違反しているか否かをチェックする、
「立法権」以外の機関も必要であるという考え方に変節しています。
これを「実質的法治主義」といいます。
ただ、法律が憲法に違反しているか否かをチェックする「立法権」以外の機関を「裁判所」と呼ぶことには、
いまだに抵抗があるようで、
フランスでは、当該機関を「憲法院」と呼んでいます。
2. アメリカ型・権力分立類型
次にアメリカ型・権力分立類型ですが、
ご承知のとおり、アメリカ合衆国の前身は、
イギリスのコロニー(植民地)でした。
「代表なくして課税なし」
をスローガンに、
アメリカ独立戦争が行われたわけですが、
この言葉をみてもわかるように、
コロニー時代のアメリカの人は、
イギリスの議会(立法権)も、行政権も全く信用していないことがわかります。
とりわけ、コロニーの人達の代表を送り込ませてくれもしないのに、
自由ばかりを制限しようとする、
「イギリス議会(立法権)」
には、
命をかけて戦ってもいいというぐらいの憎悪を抱いていました。
なので、三権のうちでおのずと、
比較的信頼できる(というより敵方意識が少ない)のは、司法権(裁判所)ということになります。
そのようなことから、アメリカコロニーの人達に、
司法権(裁判所)を信頼するという意識が生じてきたものと思われます。
上記は、司法権を信頼したというよりは、
イングランドのある著名裁判官(エドワード・コーク)を、
コロニーの人達が非常に信頼した、
あるいは彼の考え方に心酔したというところが正確かも知れません。
アメリカ大陸コロニーでも事業展開をし、
コロニーに縁のあったコークは、
① 理性による裁判を通じて形成されたコモンロー(判例法)こそが根本法である。
② ゆえに、コモンローに反するイギリス議会制定法は無効である。
③ 議会制定法が無効か否かを判断する権限を持つのは、コモンロー裁判所である。
と主張しました。
このようなことが述べられているコークの著書は、アメリカ大陸コロニーの人達の琴線に触れ、
多く読まれ、アメリカ人に多大なる影響を与え、
「憎っくき、英国議会の制定法が、
正しい法たるコモンロー(判例法に基づく法体系)に適合するか否かを、
判断する権限を持っている(コモンロー)裁判所の方が、
まだ議会よりましだ。」
という感覚が養われていったのではないかと思われます。
そういうことから、
英国議会が制定したタウンゼンド諸法(アメリカの13植民地に対して示した植民地規制法)等について、
「おかしいのではないか?」という声が、
コロニーの人達からあがることになり、
ついには、
アメリカ独立戦争に発展するということになります。
アメリカ建国の父の一人と言われているアレクサンダー・ハミルトンが、
違憲立法審査権
(裁判所が法律や命令、規則、処分などが憲法に違反していないかを審査する権限)
というアイディアを生み出す契機となったのも、
コークが書いた判例や著書だといわれています。
(ハミルトンのアイディア(違法立法審査権)が、実効性を持つに至るのは、ハミルトンに影響を受けたジョン・マーシャルの1803年の判決によってですが)
そうはいっても、
アメリカコロニーの人達にとっては、
立法も、行政も、司法も全てイギリス権力であり、
裁判所はまだましだといっても、
やはり完全な信用はおけない。
そういうことで、アメリカ権力分立は、
極めて分立度の高い、
完全形に近い、
三権分立制度へと育っていくことになります。
以上が前提となって、アメリカ型の「法の支配」は、
議会(立法権)に対しては敵意に近い反感があり、
それに比べると裁判所(司法権)に対してはまだ、
若干の信頼があるということから、
最も憎い、議会(立法権)、
次に憎い行政(行政権)
は、
当然ながら法(憲法・法律)により拘束され、
そして法律は、敵方議会が作ったものですから、
その内容の適正性をも当然に、
チェックする必要があり、
これを、議会や行政にチェックさせるわけにはいかない、
まだこれらよりは信頼がある裁判所(司法権)に、
チェックさせるべきだという考え方が出てくるわけです。
敵方、立法権・行政権のやることなすことは、
これらよりは、まだ信頼がおける、
司法権にチェックさせるつまり、
裁判所にチェックさせる、
つまり、裁判所に、
「違憲審査権」
を持たせるという考え方につながるわけです。
いわゆる法の支配
(「全ての国家権力が「正しい法」に拘束される」という考え方)
の徹底ということになります。
「法の支配」の考え方が明確に表れたのは、中世のイギリスであると言われています。
いわば、イギリスが「法の支配」の元祖ともいえるのですが、
イギリス型「法の支配」では、
アメリカほどの議会に対する不信がないため、
「法は、行政権のみならず議会(立法権)をも拘束し、
また法の内容は適正でなければならない(法の支配の考え方の根幹部分)」
ということは、アメリカ型と共通するのですが、
当該「法の適正性」については、
議会自身が判断してもよいという考え方となっています。
そういう意味で、イギリス型「法の支配」はアメリカ型に比べると不徹底であるといえるものと思われます。
以上を前提として、
「法の支配」理念をまとめると、
① 「全ての国家権力が「正しい法」に拘束される」
② 法の支配の導入動機は、権力濫用から国民を守り、
国民の個人としての尊厳を確立するところにあるので、
個人の「人権は保障」される。
③ 憲法は、行政のみならず立法をも拘束する。
(「憲法の最高法規性」)
(ここが、原始法治主義との大きな違いとなります。
原始法治主義では、
法は、市民の信頼が厚い議会を拘束しないということになります)
④ 手続の適正が要求される。
(適正手続=(due process of law))
⑤ 裁判所の役割が重要
ア)裁判所は、行政が法律に適合しているかどうかをチェックする。(米英共通)
イ)裁判所は議会(立法権)が最高法規たる憲法に従っているか否かをもチェックする。
(アメリカ型:イギリス型の場合は、議会自身がチェックする)
原始法治主義では、裁判所の信頼性が低いため、
その役割は重要ではないということになります。
現代的法治主義である「実質的法治主義」においても、
立法権が制定した法の適正性
(法律が憲法に適合しているか否か)
は、
フランスにおいては、
裁判所という名の機関ではなく、「憲法院」が、
ドイツにおいても、司法裁判所ではなく、
特別裁判所たる「憲法裁判所」が審理するということになっています。
日本国憲法は、「法の支配」系にあるといえます。
日本国憲法の人権編は、
権力行使抑制機能を持つ自由権を中心に置いていますが、
これは「法の支配」の理念の表れだと解されます。
憲法81条(最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。)
は、
まさしく法の支配の究極形を表す条項だと考えられます。
憲法99条(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。)、
31条(何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。)、
76条(すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。)
77条(裁判所の規則制定権)、
78条(裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。)、
80条(下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を10年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。)
等も、
「日本国憲法」上に現れた「法の支配」の理念だと一般に解されています。
(日本国憲法をより掘り下げて知りたいという場合は以下をご購読頂ければ幸いです)
ですが、その理念が根付いているとは決していえず、
そこで、
当該「法の支配」の理念を浸透させるという目的で、
行われた改革が、1999年からはじめられた「司法制度改革」です。
ゆえに、
裁判所に対する信頼を高める必要があることから、
当該「司法制度改革」においては、
国民が利用しやすい司法の実現を目指して、
制度基盤
ア)在野法律専門職のあり方
(法律専門職へのアクセスの拡充・弁護士過疎への対応・隣接法律専門職と弁護士との関係の再検討・法律扶助制度の見直し・ADRの拡充・司法に関する情報公開等)
イ)国民の信頼を高める民事司法実現
(裁判所へのアクセス拡充・裁判の迅速化等)
ウ)行政に対する司法のチェック機能の充実確保
エ)国民の信頼を高める刑事司法の実現
(裁判員制度等)人的基盤
ア)法曹人口の拡大、法曹養成制度のあり方改革
イ)法曹倫理
ウ)裁判所、検察庁の人的体制の充実等
が議論されたというのが、
司法制度改革の過程でした。
法の支配と法治主義の異同は、
単なる理念概念の違いであると理解するよりも、
当該理念概念の違いに基づく、
統治システムの異同だと考えたほうが理解が容易になるのではないかと思われます。
そして、「法の支配」(米・日型)と、
現代的法治主義である「実質的法治主義」は、
制度的には非常に近接してきており、
詳細を気にせずざっくりと考えると、
以下のように裁判所の位置づけだけが異なっていると解されます。
「法の支配」(米・日型)
行政や議会の憲法適合性を、司法裁判所がチェックする。
「実質的法治主義」
行政や議会の憲法適合性を司法裁判所ではない「特別裁判所」(憲法裁判所等:ドイツ・イタリア等)や「憲法院」(フランス)がチェックする。
(フランスの場合は、行政の憲法適合性は、行政機関の系列に属する国務院(コンセイユ・デタ)が事実上行う場合もあります。)
ちなみに、英国型「法の支配」では、
議会の憲法適合性を、
議会自身がチェックし(行政の憲法適合性については司法裁判所)、
原始法治主義や形式的法治主義では、
議会の憲法適合性は、問題とされないということになっています。
このように制度的にはどの権力分立類型も近接してきているとはいえ、
市民感情的にはまだ権力分立類型の歴史的な過程の名残が残っているのではと法社会学的には考えられます。
アメリカとイギリスの行政規制に関する比較を行った研究によれば、
アメリカにおける行政規制は、裁量の余地をできる限り少なくし、
一般的規準を厳格に適用し、違反者に対しては裁判所における刑事訴追が追及されるのに対して、
イギリスにおける行政規制は、刑事訴追はできるだけ避け、規制機関は広範な裁量権限を持ち、
規制対象者に対して、主に非公式な手段(日本でいう行政指導に近いものと思われます)を柔軟に用いて規制を行おうとしています。
アメリカでは、
元来、公務員は権威のある尊敬される存在では必ずしもなく、
ビジネスは政府を信頼しておらず、
一般公衆もまた企業行動を規制する政府の能力を信頼していないのに対して、
(逆に言えばいまだ、前述のような歴史的な過程が作り上げた司法機関のほうがまだ信頼できるという感情が市民の無意識の中に根を張っているのかもしれません。)
イギリスでは、公務員は尊敬される存在であり、
ビジネスは政府に対して協調的であり、一般公衆も企業に対して特に不信感を抱いているわけでもなく、
そのため行政機関に裁量権限を与え、行政指導的な非公式かつ柔軟な行政規制を行うことが可能となっているとのことです。
(参考:『法社会学』村山眞繊・濱野亮著 有斐閣アルマ 2003年 p164-166)
なお、法制度的にはアメリカ型なはずの、わが国の行政規制スタイルは、
イギリスの規制スタイルに近いものと思われ、また日本人は訴訟を避けたがる行動形態があるともいわれています。
日本人の訴訟を避けたがる行動形態がどのようなメカニズムによるものなのかについては、
様々な考え方(法文化説、機能不全説、予測可能性説、統合説等)がありますが、例えば以下のようなものがあります。
マーク・ラムザイヤー氏(ハーバード・ロー・スクール教授)は、
「法と経済学」の観点から、
わが国で訴訟件数が少ないのは、
裁判外における交渉による紛争処理が多かれ少なかれ合理的に行われている結果であり、
その意味で訴訟が少ないのは法制度が全体としてうまく運用されている結果である(予測可能性説)、と主張しています。
(参考:『法社会学』村山眞繊・濱野亮著 有斐閣アルマ 2003年 p92)
このように制度的にはどうであれ、
また表向きはどうであれ、市民感情の中にはまだ、
権力分立類型形成史の歴史的な過程の名残が残っていて、
それが見えない形で社会全体に影響を与えているともいえるかもしれません。
日本のように儒教を教養的にしか受け入れなかった国と異なり、
(儒教については以下をご参照ください)
その無意識の深層に、
「易姓革命」、「湯武放伐論」
(「徳を失い、天が見切りをつけ、天命を失った王朝は倒される」というような思想)
といったような儒教的な思想が根付いているかもしれない国・地域においても、
表向きは近代的・現代的な制度を採用していたとしても、
市民感情の中にはまだ、儒教の思想が色濃く残る、
権力形成史の歴史的な過程の名残が残っていて、それが時折り、影を落とすことがあるのかもしれません。
(参考文献)