#コラム
枯れるのもエネルギーがいるんだよ
まだまだだなぁと思う。何がって、自分が疲れてるから。
あ、とくに有益なことはこの先書いてない。戯言に付き合ってやるよって人だけに。
そういうこと言っていいの? プロだろ? お金払っていただいてお客さんに何かしらのパフォーマンス提供する人間が言うことか?
と言われたら力なくスライディング土下座するしかない。
プロなんだから体調とか、常にちゃんと書ける状態とか、パフォーマンス維持するのも仕事の
ごめんなさい神様よりも好きです
中学一年生の頃、小学生時代からの仲の良い友人がことごとくグレた。髪の毛を脱色して金髪にしたり、制服を改造して妙に丈の短い学ランを羽織ったり、これみよがしに煙草を吸いまくった。中にはそれだけでは飽き足らず、カゴを力ずくで外したママチャリをホームセンターで買ってきたカラースプレーで不自然な銀色に染めあげる輩や、油性のマジックペンで学校の机にでかでかと『地獄龍』と書いている輩も居て、もはや無法地帯であっ
もっとみる「書く」という、心の調律
以前、仕事で声楽の先生にインタビューした経験がある。地域で開いている体験レッスンを実際に受けて、その様子をレポートする内容だった。時間は60分程度。
発声練習に半分以上の時間を使った後、実際に一曲歌ってみる。ポイントを指摘していただく。課題曲は「ハナミズキ」だったと思う。
あらゆる方法で発声練習は行われた。中でも印象的だったのは、鼻の付け根を少し摘みながらガマガエルみたいな声を出す方法と、お腹
空虚はロックを鳴らせなくても
幼少の頃から感情を表に出さないタイプだと言われ続けて、文字を扱う仕事をしてもそれは情報の切り貼りであって、noteを始めたのは「自分の言葉や文章を探す旅に出る」名分で、それはつまり私が物事や現象に対してどのように感じるかを知る目的だった。
マイペースにやっているから3年続けても約160記事。多いのか少ないのかはわからないけど、何も持っていなかった私にしてはがんばったほうだと思う。
でも、書いて
それがあたり前だからと言えるもの
いまは何かにつけて「理由」が必要になる。良いことでも、そうでないことでも。それもちゃんとロジックが通る理由じゃないと、人が納得しないことが多い。
ビジネスの文脈ではなおさらだ。なぜこの企画なのか、この仕様になってるのはなぜなのか等々、そこに合理的な理由がないと話は進まない。
もちろん経済合理性がすべて駄目なわけではなく、それはそれでまったくなければないでおかしなことになる。でも、たまに「そこは
オランダのレンタサイクル屋さんでシリア人の青年に会った
結婚前に夫とヨーロッパを旅行したときの話。
オランダって自転車が有名ですよね。
ということで、アムステルダムでは絶対、自転車に乗ってみる!と決めていた我々。
フォンデル公園のすぐ近くにあるA-Bikeというレンタサイクル屋さんに行ってみました。
すると、店員さんはアラブ系っぽい顔立ちの方。
夫は、あんまり同郷(国としては違うけど)の人に声をかけるタイプではないんだけど、店員さんが声をかけて来
noteを「読む」からnoteで「会う」へ
なんとかエコノミーみたいな言葉はメディア界隈の人たちが、つい吸い寄せられてしまうのだけど、たまに芯を食ってるものもある。あ、難しい長い話ではないので。
「パッシブ・エコノミー」って聞いたことあるだろうか? 僕はなかった。なぜなら自分がさっき思いついたものだから。
passiveは文字通り「受け身」「受動的」ってこと。だから「受け身で回る経済」。
いや、ほらもう情報摂取するのもモノを買うのも、
努力の継続に必要なのは「再開する力」
英語の勉強をはじめてから、ちょうど丸二年が経った。
2年前に私が掲げた目標は「英語でインタビューして英語で記事を書けるようになる」。
当時の私の英語力からそのレベルを目指すとしたら、毎日3時間勉強しても3年はかかると言われたときの衝撃をいまだに覚えている。高校生活と同じだけの年数を勉強に費やさなければならないことに軽いめまいを覚えたけれど、気づけばもう2/3が経過した。
まだ当初の目標には到達
ヤギは海を渡るのか問題
どんな世界でも所有争いはある。気持ちの中の縄張りも含めて。
先住民と開拓者。古参と新規。コアなファンとにわか。それぞれが自分の領分とか、自分の環境の快適さを守る主義主張とかを持っていて、そこに侵食してくるものとぶつかったり、直接ぶつからなくても違和感を覚えたりする。
noteの街でもあるのかもしれない。「あるのかも」みたいにふわっとした書き方してるのは、自分ではそこまで意識してないから。
け
手紙は食べるが日常を切り取れないヤギ
日常を切り取るのが苦手だ。まあ、これはわりとメンズに共通する課題なのかもしれない。もちろん、そうじゃない人もいると思う。
だとしたら課題じゃなく個の問題だ。
前にも書いたかもしれないけど、いわゆる「日常の日記」みたいなのが絶望的に書けない。ライターなのに?
日常と非日常の閾みたいなところを書くのは好きだし、むしろ僕にとってはそっちが日常に見えることすらある。でも、そういうのは基本的にあまり