言葉が世界をノックする

タイトルはラジオで耳に入ってきた言葉。
小説家の朝吹真理子さんが吃音症のひとに向けたことば。

吃音(きつおん)とは、言葉が円滑に話せないスムーズに言葉が出てこないこと。「発語時に言葉が連続して発せられる(連発)」、「瞬間あるいは一時的に無音状態が続く(難発)」「語頭を伸ばして発音してしまう(延発)」などの症状を示す   - wikipediaより

極度の緊張をすれば誰でも言葉につまるのだけど、吃音症はそうではなくて。言葉につまることが通常な状態、決まった言葉のときだけに症状が出ることも珍しくない。たとえば「お、お、おは、おはようございます」みたいに “お” ではじまる言葉が言いづらいとか。そんなとき、吃音症と自覚している人は「きょうはいい天気だね」と、言葉を入れ替えることもあるらしい。自分が言いやすい言葉に変えてコミュニケーションを円滑にする工夫。もしかしたら、ぼくの周りにも密かにそんな工夫をしてる人がいるのかもしれない。

2021年1月に行われたアメリカ大統領就任式で注目を集めた詩人、アマンダ・ゴーマンさんも吃音症をもっている。アルファベットの「R」が入っている単語の発音が得意でないため、他の単語に置き換えることもあるそうだ。また、バイデン大統領も子どもの時に吃音に苦しみ、長い時間をかけて向き合った経験があるとのこと。

自分が吃音という言語症状だと知らない方も多いらしい。「当たり前のことをできない自分はおかしい」と思い込んで人前でしゃべれなくなる人もいる。授業で教科書をうまく読めずに笑われて、悲しい思いをしたという記事をいくつも読んだ。周りの生徒たちは、緊張した様子を軽い気持ちで笑ったのかもしれない。でも、症状への理解がないと思いがけず人を傷つけてしまうんだ。

「おはようも言えないの?」言った人はすぐに忘れてしまう言葉。言われた人には心のトゲとしてずっと残る言葉。「おはようが言いづらいの?」と聞いたなら、その二人は友達になれたのかもしれない。ほんの少しの言葉の差が、大きな溝にもなるし手を取り合うきっかけにもなる。

言葉って怖いな、と思う。

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吃音症の方がテレビで語っていた。「吃音だと公表すればいいと言われることもあるが、そんな弱点を公表する気になれないよ」。
話題になることがあまりなく、ひそかに苦しんでいる人が多いこの症状。多くの人がある種の引け目を感じているのかもしれない。

「言葉が世界をノックしてるみたいでいいよね」

ラジオで紹介された朝吹さんの言葉。語尾は “いいじゃん” だったかもしれない。少しまえに聞いた番組なので細部の記憶が曖昧だ。でも、大事なことは覚えている。

言葉が世界をノックする

やさしい言葉だな、と思う。
美しい言葉だな、と思う。
吃音を個性と捉え、感じたことをそのまま言葉にのせたような。朝吹さんの言葉は、はてしなくフラットだ。自分が引け目と感じていることを、こんなに美しく優しい言葉で包んでもらえたら、どんなに嬉しいことだろう。

友達からコンプレックスに関する相談を受けたとき。元気づけてあげようとか、相手を肯定してあげようという無意識の上下関係を人はつくりがちだ。もちろん、ぼくも。

仕事で伸び悩む後輩からの相談に、「ぼくにもそういう時があったんだよ」と声をかけたことがあった。これは聞き手によっては「今は仕事ができているぼくも、昔はきみと同じように悩んでいたよ」という無意識のマウントと思われる場合もある。言葉って難しい。

言葉には隠し切れない、そのひとの人格が現れるもので。しかも、ふとしたときの言葉にこそ色濃くでてしまう。美しく優しい言葉が無意識に自分の口から出てきたら、嬉しいだろうな。嬉しいと思った時点でそれは自然じゃないし、作為的なことなのだろうか。言ったことさえ忘れるように無意識にできなきゃいけないのか……

遠いな

遠いけど、いつかたどり着けたなら




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