Mirakiki

岩手県民。図書館で文献を漁ったり、ドライブをしたりする道路趣味者。たまに交通信号機とか、鉄道とか、建物とか。

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マガジン

  • 盛岡西廻りバイパスの謎

    遂に事業化された盛岡南道路も、4車線化工事中の盛岡西バイパスも、原点は半世紀前の構想にあった。社会の変化によって建設目的を変えながら、少しづつ形を見せるルートの過去と未来を探る。全18回程度を予定。

  • 国道4号「盛岡南道路」を探る

    岩手県盛岡市と、南隣の矢巾町とを結ぶ予定の国道4号バイパス「盛岡南道路」。建設が予想される場所の様子と計画の変遷を、雑な独自調査によって紹介する。

最近の記事

盛岡西廻りバイパスの謎(15)土橋白沢線と町の意向[南区間・5]

おばんでございます。西廻りシリーズ、今夜はなんと珍しい、3回連続での更新です。 盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について適当に調査するシリーズ。 南区間編最終回となる今回は、国道4号「盛岡南道路」の事業化へ向けた検討が行われる中、検討区間から外された「土橋白沢線」に対する矢巾町のスタンスについてクローズアップしていく。 今回は、町議会の記録がメインとなる。いつも以上に文字文字しい回となるので、ご承知おきいただきたい。 前回はこちら。 当初は土

    • 盛岡西廻りバイパスの謎(14)2つのルート案を検討[南区間・4]

      おばんでございます。西廻りシリーズ、今夜は3回連続での更新です。 盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について適当に調査するシリーズ。大学病院の移転を経て、いよいよ矢巾町から盛岡市永井へ至る国道4号「盛岡南道路」の事業化へ向けた検討が始まる。 今回は、その検討の中で行われたアンケートと、2つのルート案について簡単に紹介していきたい。 前回はこちら。 事業化への準備始まる道路の整備が決まり、予算が付き、詳細な設計や用地取得などの工事関連の実務が始まる

      • 盛岡西廻りバイパスの謎(13)医大移転で機運高まる[南区間・3]

        おばんでございます。毎度放置の西廻りシリーズ、久々の更新です。 盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について適当に調査するシリーズ。今回からは、矢巾町から盛岡市永井へ至る国道4号「盛岡南道路」の事業化に至るまでの経緯を取り上げる。 前回はこちら。 1970年代中盤に矢巾町土橋から都南村、盛岡市を経由し滝沢村分レへ至る「西廻りバイパス」の構想ルートが明るみになって以降、30年余、矢巾町内でバイパス建設の話に進展はなかった。 一方、21世紀に入り、将来

        • 盛岡西廻りバイパスの謎(12)〝未成バイパス〟の現状[南区間・2]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。もう、2〜3カ月に1回の更新が定例となってしまっているが、ご容赦いただきたい。 1974年、矢巾町土橋を起点とし、都南村や盛岡市を通り、滝沢村の分レ交差点付近へと至る「盛岡西廻りバイパス」の構想ルートが明らかになった。 その大半は、その後も構想線のままだったが、矢巾町土橋の国道4号現道を起点とし、国鉄東北本線と交差して同町白沢地区に至る区間は、1974年の暮れに都市計画道路「土橋白沢線」として

        • 盛岡西廻りバイパスの謎(15)土橋白沢線と町の意向[南区間・5]

        • 盛岡西廻りバイパスの謎(14)2つのルート案を検討[南区間・4]

        • 盛岡西廻りバイパスの謎(13)医大移転で機運高まる[南区間・3]

        • 盛岡西廻りバイパスの謎(12)〝未成バイパス〟の現状[南区間・2]

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        • 盛岡西廻りバイパスの謎
          15本
        • 国道4号「盛岡南道路」を探る
          5本

        記事

          盛岡西廻りバイパスの謎(11)幻の土橋起点のルート[南区間・1]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。また更新が日が開いてしまったが、気長にお付き合いいただきたい。 盛岡西廻りバイパスの構想線が明らかになった1974年から、盛岡南道路が事業化される2022年まで。この48年間、旧都南村・矢巾町では、国道4号現道の拡幅と、「裏の4号」的役割の並行路線の整備が進んだ一方、西廻りバイパスの話は停滞していた。 西廻りバイパス南区間の計画線・構想ルートは、この48年間どのような状況だったのか。今回からは

          盛岡西廻りバイパスの謎(11)幻の土橋起点のルート[南区間・1]

          盛岡西廻りバイパスの謎(10)都南と矢巾の縦軸整備[南区間・序]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。西廻りバイパスの整備と同様のペースでゆっくり執筆しているが、ご容赦いただきたい。 これまで紹介した通り、1970年代中盤に「盛岡西廻りバイパス」として構想が具現化されたルートのうち、最初に開通したのは現在「盛岡西バイパス」として開通した盛岡市前潟─永井間だった。 次回からは永井よりも南側の区間、近年「盛岡南道路」として事業化された矢巾町から盛岡市永井までの区間について説明する。当初の西廻りバイ

          盛岡西廻りバイパスの謎(10)都南と矢巾の縦軸整備[南区間・序]

          盛岡西廻りバイパスの謎(9)盛土部は完成何車線?[西BP⑥]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。既に西廻りバイパスの本筋から脱線気味となっているが、今回で国道46号「盛岡西バイパス」として建設された区間の話は終了となる。 2013年の暮れ、最後に開通した1.2kmについて、前回は盛土構造となった理由をあれこれ推測した。今回は、この区間が開通前に少し仕様変更されたのではないかという疑問を紹介するとともに、その理由も探っていきたい。 今回もマニアックな内容な上、文章がメインとなる。ご了承いた

          盛岡西廻りバイパスの謎(9)盛土部は完成何車線?[西BP⑥]

          盛岡西廻りバイパスの謎(8)何故か1区間だけ盛土[西BP⑤]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。私の身に色々とありすぎて、前回の公開から1年以上の時間が過ぎてしまった。半年ほど前から書く気力が湧き出てきてはいたのだが、今度は時間がなくなった。 西廻りバイパスに絡む部分では、特に大きな変化はなかった。せいぜい、前潟駅の完成ぐらいだが、これはまだこのシリーズの先の話である。どうでもいいことだが、noteのロゴが変わっている。 言い訳から始まった通算第8回。前回に続き「盛岡西バイパス」として2

          盛岡西廻りバイパスの謎(8)何故か1区間だけ盛土[西BP⑤]

          盛岡西廻りバイパスの謎(7)消えた高架道路の計画[西BP④]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。今回は「盛岡西バイパス」として建設された区間のうち、本宮交差点から南側、永井の盛岡友愛病院近くまでの区間について、建設の経緯を紹介する。 本宮から前潟に至る4.7kmの道路として工事が始まった西バイパスの事業は、2002年に永井までの3.1km区間が延長される。この区間は当初、地平部分を国が造り、市が中央分離帯に橋脚を建て、その上に高架道路を造る計画になっていた。まるで首都高のような構造である。

          盛岡西廻りバイパスの謎(7)消えた高架道路の計画[西BP④]

          盛岡西廻りバイパスの謎(6)大会控え西大橋が開通[西BP③]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。6回目以降は「盛岡西バイパス」として建設された区間について、着工から全線開通までの出来事を紹介する。 毎回の文量が長くなってきて、更新が億劫になりつつあるため、今回からこれまでの1回分を2回程度に分割する。西BPは上中下の3回を予定していたが、延長する。 本宮から前潟に至る4.7kmのルートとして事業化された西バイパスは、とある大イベントに関連して最初の区間が開通する。それからは、北西側から南

          盛岡西廻りバイパスの謎(6)大会控え西大橋が開通[西BP③]

          盛岡西廻りバイパスの謎(5)構想線との差異を探る[西BP②]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。5回目も「盛岡西バイパス」として建設された区間のルートについて考察する。 1970年代中盤に示された「盛岡西廻りバイパス」の構想ルートと、実際に建設された盛岡西バイパスのルートは、太田地区や本宮地区で差異があるのだ。何故今の形になったのか。憶測レベルになってしまうが、少しお付き合いいただきたい。 前回はこちら。 どこを通るかが曖昧に第1回目と第3回目で「広報たきざわ」を引用の上、矢巾町の土橋

          盛岡西廻りバイパスの謎(5)構想線との差異を探る[西BP②]

          盛岡西廻りバイパスの謎(4)遂に一部区間が事業化[西BP①]

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。1ヶ月ぶりの更新になった4〜6回目は、西廻りバイパスの構想ルートのうち、最初に建設された「盛岡西バイパス」の区間を取り上げる。 前回はこちら。 初回はこちら。 イケイケな時代の中で1970年代の中頃に構想された西廻りバイパスは、昭和も終わりになった80年代後半、現在「盛岡西バイパス」となっている区間の具現化に近付いた。 少し、時代背景を雑に説明する。 (実際の所、生まれていないから分からない

          盛岡西廻りバイパスの謎(4)遂に一部区間が事業化[西BP①]

          盛岡西廻りバイパスの謎(3)計画化には早過ぎた?

          盛岡市周辺で進むバイパス事業の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。3回目は、西廻りバイパスの構想ルートのうち、都市計画道路として決定された区間と決定されなかった区間について取り上げる。 前回はこちら。 1回目の内容を再確認記事の1回目で、盛岡広域都市計画区域の都市計画道路について、原案が構成市町村(盛岡市、滝沢村、都南村、矢巾町)の住民に示されたことを説明した。引用した1974年1月の広報たきざわの図では、西廻りバイパスのルートが太い線で書かれていた。 都

          盛岡西廻りバイパスの謎(3)計画化には早過ぎた?

          盛岡西廻りバイパスの謎(2)杜陵の国道ヒストリー

          盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。2回目は、西廻りバイパス構想の話をする前に、盛岡市街地の「旧国道4号」と「旧奥州街道」がどのルートを通っていたのか少し紹介する。構想が出てくる時代の前史に触れていきたい。 前回はこちら。 盛岡市内の南北街道史国道4号は、東京の日本橋から青森の青い森公園までを結ぶ国道である。元となる道路は江戸時代、「奥州街道」「奥州道中」「松前道」などと呼ばれていたとされるが、定義がまちまちだ。明治以降は「陸羽

          盛岡西廻りバイパスの謎(2)杜陵の国道ヒストリー

          盛岡西廻りバイパスの謎(1)半世紀前の構想を探る

          盛岡市と矢巾町を結ぶ国道4号のバイパス「盛岡南道路」が事業化された。そう遠くない将来、移転した岩手医科大学附属病院の近くから直接、盛岡市本宮地区に向かえるようになるという。 本宮にはイオンモール盛岡南をはじめとする郊外型商業施設が立ち並び、JR盛岡駅前に続く市道のほか、盛岡インターチェンジや雫石・秋田方向に繫がる国道が接続している。市内に住む一サラリーマンとしては、利便性の向上に繫がると好意的に受け止めた。 先般、盛岡南道路のルートについて、各種行政資料を基に拙文をまとめ

          盛岡西廻りバイパスの謎(1)半世紀前の構想を探る

          国道4号「盛岡南道路」を探る(5)未完成ルートを国道に

          盛岡西バイパスの南端から、矢巾町の岩手医科大学附属病院の近くまでを結ぶ予定の国道4号「盛岡南道路」を浅掘りするシリーズも、今回でひとまず終わりとなる。これまでの現地探索で気になった点について、各種資料から若干の謎解きを行いたい。(前回はこちら) ちょっと今回、長いです。永井だけに。 ここまで気になった点をおさらい前回の最後にも触れたが、もう一度ここまでの謎をおさらいする。 南道路が線路をくぐる予定の地点の高架橋だけ、橋脚と橋脚の間が広くなっていた。高架橋の東側には、何か

          国道4号「盛岡南道路」を探る(5)未完成ルートを国道に