盛岡西廻りバイパスの謎(8)何故か1区間だけ盛土[西BP⑤]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。私の身に色々とありすぎて、前回の公開から1年以上の時間が過ぎてしまった。半年ほど前から書く気力が湧き出てきてはいたのだが、今度は時間がなくなった。
西廻りバイパスに絡む部分では、特に大きな変化はなかった。せいぜい、前潟駅の完成ぐらいだが、これはまだこのシリーズの先の話である。どうでもいいことだが、noteのロゴが変わっている。
言い訳から始まった通算第8回。前回に続き「盛岡西バイパス」として2000年以降に開通した本宮交差点から南側の区間について、建設の経緯を紹介する。特に、最後に開通した南端の約1km区間が、なぜ盛土構造になったのか解明したい。
いや、解明したかったのだが、実は解明できなかった。このシリーズが始まってから、ずっと調べているのだが、どうしても辿り着けない。また推論、と言うより憶測の回になってしまうが、お付き合いいただきたい。
前回はこちら。
平面4車線で工事進む
盛土区間の話に至る前に、本宮交差点以南、都市計画道路の名前で言うところの「開運橋飯岡線」の区間について少しだけ説明する。前回までの話と被るが、ご容赦願いたい。
昭和の終わりに事業化された盛岡西バイパスは、当初は前潟から本宮まで建設して終わりのはずだった。もしかしたら、これは建前で、伸ばす前提だったのかもしれないが、これはわからない。
いずれにせよ、2002年度には本宮以南、永井までの区間も事業化され、西バイパスとして建設されることになった。以降は北から順に開通していく。09年には都市計画の変更により、この区間の上下2層構造の計画も消えた。
西バイパスが全線開通していない間は、通称・農免道(市道盛南線など)がその役割を補完。その時々の終点から円滑に農免道に合流できるように、迂回路が整備されたり、信号で制御されたりした。
南北移動の役割を西バイパスに譲った農免道の並行区間は、通行止めにされて盛南開発の住宅地の中に飲み込まれた。道路自体は今でも存在するのだが、歩行者用道路になっていて、地下には水路(暗渠)が設けられている。
上下二層構造の話が消え、平面道路にしては幅員が広くなった西バイパスは、上下計4車線(暫定)の本線と、側道上下計2車線の構造で建設されていく。
盛南エリア南端に到達
盛南エリア南端まで開通したのは、2010年の暮れのこと。このあと、震災を挟んで最後の区間が建設されていく。私が別の街に住んでいて、たまたま訪れた2013年の初夏には、もう舗装以外の形ができていた。
私は初見で「前方後円墳でも作るのか」と不思議に思っていた。土が剥き出しだったから尚更である。ここまでだだっ広い平面道路だったのに、急に盛土になる。でも、その先に線路がある訳でもない。謎だった。
私が大学2年生だった時の疑問を引き摺って、こんな記事を書いているのである。
盛土の理由を推測する
なぜ平面道路にせず、盛土にしたのだろうか。
冒頭でお伝えした通り、理由は特定できていない。関係する諸機関に尋ねれば良いのだろうが、その辺は報道機関辺りの仕事であろう。官公庁の皆さんにも申し訳ない。ただのサラリーマンができる範囲で①〜④の仮説を立ててみた。
一部は資料に依らない、完全な想像・憶測である。私は土木の素人だ。その点に注意しながらご覧いただきたい。
仮説① 地下掘らず予算削減?
一つ目の仮説は「農道や市道と交差する地下道を掘るには費用がかかり、高速道路のようにバイパス側を盛土にした方が安くできるから」である。
盛南エリアから南側は「市街化調整区域」であり、むやみに建物が建てられない。そこに田んぼがあれば、原則として農地のままになる。田んぼが広がる場所に道路を作れば、当然田んぼが分断される。
そんな時、バイパスを挟んで農業経営している方の支障を最小限とするために作られるのが「機能補償道路」だ。これは、何も農道だけでなく、一般の道路もバイパスなどの建設によって分断されれば、その機能を補うものが建設される。
西バイパスの盛土区間には、従前の道路の機能を補う施設として、三つのボックスカルバート(箱型の抜け道)が設けられた。
この三つのボックスカルバートは、もしバイパスを平面構造で作った場合、全て地下道にしなければならない。実際に、前潟〜本宮間の西バイパスには、地元住民や農作業をする方用に地下道の機能補償道路がある。
地下道となった場合、地面を掘らねばならず、工事費用が嵩むことが予想される。また、冠水の危険性もあるため、警告装置の設置やメンテナンスにも費用がかかるのではないだろうか。
本線を盛土にして、農道・市道側をボックスカルバートにすれば、その辺の心配はなさそうだ。
公共事業を評価する国土交通省の委員会の議事録でも「地下道の構造を見直して安くなった」という話が見られる。2層構造の見直して市の支出が100億円程度減って、国の支出が若干増えるが、構造の簡略化で国負担分のコストが減るよ、というくだりの話だ。
注目すべきは、5カ所の地下道について。本宮以南の区間のうち、盛南エリア内で地下道があるのはオートバックス前(向中野地下道)とトライアル前(飯岡新田地下道)の2カ所だけだ。エリア外には地下道はなく、前述の通りボックスカルバートが3カ所ある。
推測だが、地下道をカルバートに変更したことによって、いくらかのコスト削減に繋がったのではないだろうか。
ただ、盛南エリア内の向中野、飯岡新田の地下道は本来、出入口が現状の2倍の8カ所ある「スクランブル型」の地下道として整備する予定だった可能性があり、それに対応できるように歩道も拡幅されている。上記資料の「簡略化」はこれを指しているのかもしれない。
少し弱い部分があるが、これが仮説①である。
仮説② 余った土を活用した?
続いての仮説は、余った土を活用したのではないか?というものである。先ほど引用した資料にも書いてあった。もう一度こちらに貼る。
山を切り開いて道路を作ったり、住宅地を作ったりする際、崩した土「残土」をどうするかが問題になる。処分するにもコストがかかるのだ。安く土を処分しようとして、無秩序に谷筋を残土で埋め立てた結果、土石流が発生したとされる静岡・熱海の事件は記憶に新しい。
こうした残土を、逆に土を必要としている場所で活用できれば好都合だ。「他事業」がどれを指しているかは不明だが、運搬コストを考えれば、近場での国交省の事業で出た土を持ってきたのだろう。西バイパスの建設時期だと、国道106号の都南川目道路(宮古盛岡横断道路)辺りから持ってきたのかもしれない。
仮説③ 県道を跨ぐ高度稼ぎ?
次は、盛岡南インターチェンジに接続する県道36号上米内湯沢線を跨ぐための高度稼ぎのために、盛土にしたという仮説だ。現在「西バイパス南口」交差点は平面交差だが、いずれ盛岡南道路を整備する際、交差点を立体交差にすることを見越して、西バイパス側を高くしたのかもしれない。
ただ、立体交差とするには、交差点近くから盛土にすればよく、盛南エリアの端から盛土にする必要はない。
仮説④ 道路沿いの開発抑制?
最後は、道路を高くすれば、沿道の開発が抑制できるという理由から盛土にしたのではないか、という仮説だ。盛南エリア外は市街地調整区域で、むやみに開発ができない。ただ、何らかの抜け道的に建物が建ってしまうことが懸念されたのではないか。
とはいえ、西バイパスは前潟〜本宮の区間でも、農道・生活道路用の側道が設けられ、盛南エリア内の側道と異なり、本線車道からは容易に入れないような構造になっている。それによって西大橋から本宮までコンビニの一つも沿道に無い状況だ。盛土構造としなくても、開発は防げることだろう。
以上、またいつもの憶測交じりの記事になってしまった。
仮説①と②が有力ではないかと考えているが、どうだろう。結果的に③と④も実現できていると思う。今後もこの盛土の話は調べ続けたい。
さて、西区間編は次回でようやく終わる。まだ少しだけ、書きたいことがある。今度はそんなにお待たせしない。もう少々、お付き合いいただきたい。
つづく。