盛岡西廻りバイパスの謎(11)幻の土橋起点のルート[南区間・1]
盛岡市周辺で進むバイパス工事の原型となった半世紀前の構想について調べるシリーズ。また更新が日が開いてしまったが、気長にお付き合いいただきたい。
盛岡西廻りバイパスの構想線が明らかになった1974年から、盛岡南道路が事業化される2022年まで。この48年間、旧都南村・矢巾町では、国道4号現道の拡幅と、「裏の4号」的役割の並行路線の整備が進んだ一方、西廻りバイパスの話は停滞していた。
西廻りバイパス南区間の計画線・構想ルートは、この48年間どのような状況だったのか。今回からは、その部分をテーマとしていきたい。
前回はこちら。
まずは間違い探しから
ちょっと興味深い図の変化があるので、まずはその点をご紹介したい。
盛岡市の都市計画マスタープランには、周辺の市や町を含めた「都市交流のネットワーク」という図が添えられている。
この図の矢巾町付近には、盛岡西廻りバイパス(≒盛岡南道路)の構想線が青色の点線で描かれている。これが、2010年発行分と2023年発行分で少し異なっている。
少し、間違い探しをしていただこう。2つの図を見比べて、青い点線の違いに注目していただきたい。
お分かりいただけただろうか。
図の下半分、青色の点線が、古いほうは上から二つ目の駅の下を通っている。一方、新しいほうの図では、駅の上を通っているのだ。
だいぶ勿体ぶって説明してしまった。青色の点線、つまり西廻りバイパス(≒盛岡南道路)のルートが、2010年と2023年でJR矢幅駅の北を通るか南を通るかで異なっているのだ。
幻の土橋起点のルート
本シリーズの初回に、1974年に明らかになった西廻りバイパスのルートは、矢巾町の南側「土橋地区」が起点であったことをお伝えした。もう2年も前の話なので、皆さん覚えているだろうか。
そして、事業中の盛岡南道路(都市計画道路 藤沢永井線)は、矢幅駅の北側で線路を渡る計画だ。つまり、南側の点線が当初の西廻りバイパスとして想定されたルートなのだ。
先の「間違い探し」の古い方の図から、少なくとも2010年3月の時点では「矢幅駅よりも南側で線路を越える」という、西廻りバイパスの当初構想通りの想定であったらしい。
第3回でも紹介したが、南側のルートの一部は都市計画道路「土橋白沢線」という。2022年の盛岡南道路の事業化によって、このルートが国道となる可能性はなくなったと言える。
でも、都市計画道路としての計画は、2024年6月現在も生きている。ここからは、計画の概要や位置付けを説明し、次回は現地の様子を紹介したい。
いつも、前置きが長くて中身が少ない、最近のテレビ番組みたいになっていて、ごめんなさい。
土橋白沢線の位置付け
土橋白沢線の基本データを表にまとめると、下記の通りになる。
幅43mの街路。かなり道幅が広い。都市計画道路の幅員だけで比較すると、盛南地区の県道本宮長田町線「杜の道」(盛岡駅本宮線・幅60m)、国道46号盛岡西バイパス(開運橋飯岡線・幅50m)に次いで、県下3番目の広さである。既成済み延長は0kmだから、まだ1mも開通されていないことになる。
車線数は、往復で4車線の計画だという。4車線なのに幅43mというのも随分広すぎる気がするが、線路との立体交差の絡みもあるのだろうか。
いずれにしても、4号線と白沢集落を結ぶ道路にしては、幅が広すぎる。白沢で県道に接続する計画ではあるのだが、それにしても、オーバースペックだ。明らかに「白沢より先」を見据えた、大街路計画であることが伺える。
第3回で紹介した、1974年の報道をもう一度引用する。記事より、このルートが西廻りバイパスの起点として想定されていたことを再度確認したい。
報道のほか、1981年の『矢巾町新総合開発計画』では、国などへの要望方針に関するくだりで、このように記されている。
「国道4号線西廻りバイパス的」とか「第2国道的」と若干トーンが抑えられて曖昧になっているが、いずれしても、昭和の時代は重要な位置付けで捉えられていた道路計画なのだ。
幅員が43mの町道計画
岩手県発行の『岩手県の都市計画 資料編』にある、県内の都市計画道路の一覧表では「国県市道の別」という項目がある。完成後に何道になるのか、もしくは誰が整備する予定かを示している・・・・・・と思われる。
土橋白沢線は、県立図書館に残る1996年3月発行分〜2021年3月発行分をいずれも確認したが、「国県市道の別」の項目は全て「町」だった。資料が古いが、2024年現在も変わらないはずだ。
幅43mの「町道」。どんなに今イケイケな矢巾町でも、流石になかなかの規模だ。
それもそのはず。これまで「土橋白沢線を国道とする」という道路事業は無かった(今も無い)。国道として事業化されていない以上、「国・県・市道の別」の欄を「国」とはできなかったのだろう。
以前紹介した「開運橋飯岡線」も、同じ資料の種別の欄が元々は「市」だけだったが、国道46号西バイパスの本宮以南の区間が事業化され、国(国土交通省)が整備することが決まって、この項目が「国・市」になった。
とりあえずは町道で〝予約〟して、事業化後に国道として形にする予定だったのかもしれない。
南道路の事業化後は?
盛岡南道路の事業化前の2018年、矢巾町は「都市計画マスタープラン」の中で、土橋白沢線を「町の環状路線の一部」として位置付けていた。プランの中にはこのような図が載っている。
環状路線の北辺は都市計画道路高田煙山線、南辺が土橋白沢線。東辺は国道4号、西辺は県道120号(旧紫波地区広域農道/通称・農免道)だ。
北辺の高田煙山線は、南道路シリーズでお伝えした通り、一部ルートを変更して藤沢永井線、つまり盛岡南道路として計画が生まれ変わっている。
北辺の位置付けは現在、町道から国道の計画へと大きく変わったが、全体的な位置関係はほとんど変わらない。では、国道になれなかった南辺の土橋白沢線は、今後どうなるのだろうか。
そう思った矢先のことである。
このマスタープランが、今年(2024年)3月に一部改定された。先ほど引用した図も変更されている。新しいものを次に示したい。
お気づきだろうか。土橋白沢線が描かれていない。点線すらない。町の南端で細い黄色の線で「横軸幹線道路」が描かれているが、別の既存の道路だ。そもそも、環状道路の枠組みすら見当たらない。
この図に添える形で記載のあった文章も大幅に削除されている。下記の新旧対照表を見れば、一目瞭然である。
きれいに、環状道路の項目が丸ごと削除されてしまった。
この記事の執筆時点では、まだ土橋白沢線の計画は廃止されていない。それなのに、県下3番目の43mの幅員を持つ計画の街路──ついこの間まで「町の将来的な環状道路の一部」としても明記されていた道路が、都市計画マスタープランの図から消えてしまったのだ。
それがどういうことを意味するのか。まだ、何も決まっていないものの、町にとっての道路の位置付けが大きく下がっていることだけは、明らかに見て取れる。
実際に現地を見てみる
さて、次回。土橋白沢線の計画線上は、現在どのような状況にあるのか。1mすら開通していないというが、実際に工事は行われていなかったのか。
その辺を、ざっくりと調査してきたので、テキトーにご紹介する。
つづく。
※本シリーズは素人のサラリーマンが個人的に興味があるものを、根拠や資料の出典はできる限り示しつつ、推論を交えてまとめたものです。各行政機関等とは一切関係ございませんので、ご承知おきください。
参考文献
『盛岡市都市計画マスタープラン』(2010年3月、盛岡市発行、https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/036/219/honpen04-02.pdf、2024年6月23日閲覧)
『盛岡市都市計画マスタープラン』(2023年3月、盛岡市発行、https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/036/219/05_dai4syou.pdf、2024年6月23日閲覧)
岩手日報 朝刊 1974.11.27付 4面記事「高速化へ新街路造り/盛岡周辺/37路線を延長新設/県都市計画審が決定/36年ぶり大幅見直し」
『矢巾町新総合開発計画』(1981年3月、矢巾町発行)
『岩手県の都市計画 資料編』(2021年3月、岩手県県土整備部都市計画課発行)
『岩手県の都市計画 資料編』(1996年3月、岩手県県土整備部都市計画課発行)
『矢巾町都市計画マスタープラン』(2024年3月改定、矢巾町発行、https://www.town.yahaba.iwate.jp/yahabatown/002_mirai/toshimp_r0603_all.pdf、2024年6月23日閲覧)
『矢巾町都市計画マスタープラン』(2018年10月、矢巾町発行、https://www.town.yahaba.iwate.jp/yahabatown/switch/2016/2016020800344/5_zentaikousou.pdf、2024年6月23日閲覧)
『矢巾町都市計画マスタープラン 新旧対照表』(2023年12月、矢巾町公開、アーカイブ:https://web.archive.org/web/20240205114814/https://www.town.yahaba.iwate.jp/yahabatown/switch/2023/2023120600040/002_shinkyu01.pdf、2024年6月23日閲覧)