ちぃ〜

2023.6月〜適応障害→うつ病 2023.12月〜うつ病→双極性障害二型と診断 3週間の入院のこと、今現在のこと書き連ねていきます

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2023.6月〜適応障害→うつ病 2023.12月〜うつ病→双極性障害二型と診断 3週間の入院のこと、今現在のこと書き連ねていきます

最近の記事

国家試験合格と転職2(自己分析8)

ある日、私の受け持ちの患者さんが夜勤帯から熱を出し申し送られた。 リーダーの指示のもとで点滴や検査の準備をしていた。 その状況を知らないスタッフが私の厳しい口調で「いまオムツ交換の時間だから!!」と叱責してきた。 どう考えても熱を出している患者さんが優先 私のイライラがピークになり当時のプリセプター(指導者)にその思いを伝えた 思いを伝えた瞬間に緊張の糸がプツンと切れた気がした。 その日から仕事を休みがちになり、ベッドから起き上がることができず 泣きながら職場に連絡をする毎

    • 国家試験合格と転職1(自己分析7)

      46歳冬 2年間頑張ってきた学校と国家試験の勉強に専念するために仕事を辞め、春から別の病院で働くことが決まった。私が夢に見ていたホスピス病棟での勤務だった。夢が叶うと思うとこれから行う国家試験においてとても励みになった。 色々あった学校も無事に卒業できた 卒業式には袴を着てと思っていたが、燃え尽きてしまったかのようになり卒業式には行けなかった。 国家試験対策は朝方まで勉強をすることが多くなり昼夜逆転の生活が改善されることがなかった。2月体調的には万全ではない状態での試験だっ

      • 札幌への移住とクラスター(自己分析6)

        退院後、しばらくして私は息子のいる札幌へ移住することにした 移住してからは入院施設のある病院に通院するのがいいと言われ 自宅近くの大きな病院に紹介状を書いてもらった 体調もよかったため薬は自己中断し、調子が悪くなるとその当時働いていた職場の先生から処方を出してもらい自己判断で飲んでいた 仕事が落ち着き出してからはバリバリと働いていた 信頼する上司のもと同僚にも恵まれた 昔、生活できなかった頃の借金を返済するために正職員のまま夜勤専従にしてもらった。金銭面が落ち着いてきた頃、

        • ダメな母親の2回の入院(自己分析5)

          37歳 息子が札幌の大学へ行くことを決めた頃 私は突然布団から起きることが出来なくなった 毎日泣きながら職場へお休みの連絡をしていると、異変に気づいた上司が「一緒に病院へ行こう」と私を病院へ連れていった 「空の巣症候群、抑うつ状態」の診断だった。希死念慮もあった私に主治医は入院を進めてきて、約2ヶ月間入院し治療を行なった この時、息子にはとても迷惑をかけてしまったし、引っ越し作業を控えていたため 電話で私の指示を仰ぎながら準備させてしまった この時の私は、息子が自分の元を離れ

          生きるための山(自己分析4)

          この頃の私の座右の銘は「一生勉強!一生青春!」という「あいだみつる」さんの言葉だった 仕事も遊びも恋愛も常に全力!何事にも全力投球! そんな生き方をしていた 写真と出会ったのはその頃で、空を眺めるのが好きだった私は夕焼けの写真をスマホでぽちぽちと撮るのが好きだった それを見た友達から「空を撮るのが好きなら一緒に山に登ってみない?空を独り占めできるよ」と声をかけてくれた その時の私は気持ちの浮き沈みがジェットコースターのようで、人と約束をするということがなかなか難しかった 希死

          生きるための山(自己分析4)

          結婚と離婚(自己分析3)

          18歳 バイト先で出会った人との間に子供が出来て結婚した じぶん家族が持てたことが嬉しくてとても大事にした しかし10年後、夫婦の亀裂が生じ衝動的に離婚をした 結婚も衝動、離婚も衝動 子供を育てるためにパートを増やしたが、それだと子供との時間が 全く取れなくなってしまうことを危惧し、たまたま募集していた「看護助手」に応募し採用してもらった 子育てと仕事で必死な毎日が始まった 前述したが私の母は看護師である 小さなころこそ「看護婦さんになりたい」と言っていたそうだが 物心つく

          結婚と離婚(自己分析3)

          複雑な家庭環境(自己分析2)

          私は複雑な家庭環境であった 姉2人、兄1人、妹1人の5人兄弟。7人家族で育った 小学校3年の時に両親が離婚 私と妹が母についていくことになり、兄弟がバラバラになった 幼い頃から勘の良かった私は、なんとなく気付いてはいたが 姉と兄は母親が違う、いわゆる「異母兄弟」だった 確信したのはこの両親の離婚の時だった 人の顔色を伺ったり、なんとなく人を頻じることができない子だったと思う でも家では「いいこ」を演じていた 誰のせいでもない現状を誰かのせいにしたくない そんな風に幼い心でた

          複雑な家庭環境(自己分析2)

          高校1年生の夏、不登校(自己分析1)

          高校一年生の夏、私は不登校になった もともと勉強はできる方ではなかったし、勉強をする意味を見出すことができず 学校の成績は最下位争いだった 担任に「お前を合格させるか悩んだんだぞ」とよく言われていた 同級生に成績のことを馬鹿にされても、笑いのネタになっていたし いじめに遭うこともなかった でも学校へ朝起きていくということが、辛くしんどくなってきて 私の足は学校からどんどん遠のいた 学校へ行く時間が一番嫌な気持ちで埋め尽くされる時間帯になり、みんなが学校へ行っただろう時間にな

          高校1年生の夏、不登校(自己分析1)

          ひっそりと自己分析

          リワークのプログラムで始めた「自己分析」 自分を客観的にみることで、病気になった経緯や 思考の癖などが見えてくるというもの 辛かった過去を振り返らないと行かず 自分と目一杯向き合うことで完成を目指します noteにはちょこっと載せていこうと思っているけれど 嫌な気持ちになる人もいるかもしれないので 次回から更新しましたのお知らせはせず ひっそりと載せていきます なのでひっそりとフォローして ひっそり見ていただけると嬉しいです

          ひっそりと自己分析

          ジャーナリング

          精神科のリワークプログラムで教えてもらった 「ジャーナリング」 書く瞑想と言われている テーマを決めずに思いついたことや 今考えていることをつらつらとノートに書き出しているうちに 絡まっている気持ちのモヤモヤが見えてくるというもの 私は雑感と題してる日記を書く際に 一緒にジャーナリングを行なうことにした 少し継続したところで どんなものなのかちゃんとnoteに残したいと思う そして今週から私のリワークはSTEP3に移行し 平日9時から15時までにステップアップした リワ

          ジャーナリング

          歳の離れたお友達

          入院中に同室だったご高齢のおばあちゃまがいる 少し空気の通りが悪い病室におばあちゃまが来てから一転した 私たちは雑談するようになり、昼間でも閉めていたカーテンも みんなオープンにするようになった 品があってお話が上手で聞くのも上手 私とおばあちゃまはすぐに仲良くなった 私の話を聞いてると勉強になるとまで言ってくれて 「大事なお友達ね」と笑ってくれた 「あなたは看護師にちゃんと戻るべきよ」と何度も何度も励ましてくれて どれだけ力をもらっただろう 入院中は太陽みたいなおばあちゃ

          歳の離れたお友達

          押さえつけられている感情

          双極性障害の診断がついて、内服の内容も変わり2ヶ月が過ぎた 副作用も落ち着いて気持ちの振り幅も落ち着いてきた 落ち着いてきたっていうのが正しいのだろうけれども 私の中では、ウワーッてなる気持ちを上から押さえつけられ 鬱々として寝込みたい気持ちを無理矢理あげられている感覚 例えば感動する映画、以前の私なら何を見ても泣いていた 今は冷静に心が動くことなく観ている自分がいる 鬱々して動けないかもしれないと思いながらも動ける自分がいる 体と心がバラバラだ 調子がいいよと言いたいけ

          押さえつけられている感情

          母の手紙と副作用

          うちの母は手紙を書くのが好きな人で 何か荷物を送ってくれる時は必ずお手紙が入っている お手紙を書く時間がなく急ぎで荷物を送ってくれる時は 「無言でごめんね」とLINEがくる お手紙は母にとって会話なのだ 私はその母から届いた手紙を大切にファイルに全て保管している 最近の母からの手紙は簡素なものが多く 文字も乱れている 何やら手が震えてしまいうまく文字が書けなくなってしまったのだそう 心臓や肝臓に病気があり、喘息もある母の飲む薬は 私の薬の量など及ばないほど大量だ 何かの薬

          母の手紙と副作用

          リワークプログラム

          復職に向け、精神科でのリワークプログラムに参加することにした プログラムの内容はマインドフルネス、メタ認知、ハンドメイドやヨガ オフィスワークなど多岐にわたる。 職場と復職に向けて話をしたときに職場でも独自のリワークがあり どちらを優先していくのが良いのか十分に話し合った結果 精神科でのリワークとなった 最初は午前中のみ 体が慣れてきたら午後まで 最終的にはフルタイムでの時間を過ごすことで 職場復帰をしやすい環境を整えていくということになる 私はもともといた病棟(ホスピス)

          リワークプログラム

          躁状態と本当の私

          しばらく頭の中が忙しく、文章をまとめる気力が湧かなかった うつ病から双極性障害に診断名が変わり 私の心の中も変わろうとしている 調子が悪い そんな日は鬱々とした日だった 調子が良い そんな日は無敵のような体力で活動することができていた でもその調子が良い状態が治療が必要な「躁状態」なのだそうだ 私は今ままで躁状態にいる自分が好きだった それが自分らしさだと思っていた でも今考えると、あぁそうかあれは躁状態だったと思うことがある 精神科で長く看護師をしていた友人から 「釧路

          躁状態と本当の私

          大人のおねしょ

          恥を忍んでここに残しておく 退院して間も無く朝起きると寝衣とシーツが濡れていた、尿失禁だ びっくりしたけど喘息で夜中に咳き込んでいることが多いからその刺激でたまたま?などと思っていた そして2回目の失禁、これはもしかしたら眠剤で過鎮静になっているのではないかと疑うようになった その日から毎日尿とりパットをあてて眠ることにした しばらく失禁することなく眠れていたので、やはりたまたまだったんだなと思っていたら3回目、4回目と続いた 主治医に過鎮静になっているようだと相談したが

          大人のおねしょ