ダメな母親の2回の入院(自己分析5)
37歳 息子が札幌の大学へ行くことを決めた頃
私は突然布団から起きることが出来なくなった
毎日泣きながら職場へお休みの連絡をしていると、異変に気づいた上司が「一緒に病院へ行こう」と私を病院へ連れていった
「空の巣症候群、抑うつ状態」の診断だった。希死念慮もあった私に主治医は入院を進めてきて、約2ヶ月間入院し治療を行なった
この時、息子にはとても迷惑をかけてしまったし、引っ越し作業を控えていたため
電話で私の指示を仰ぎながら準備させてしまった
この時の私は、息子が自分の元を離れてしまう寂しさもなかったし
大学へ行かせることができて誇らしかったし
まさか自分が「空の巣症候群」になってしまうとは思わなかった
私は母からしてもらいたかったことを息子にしてあげることで
自分が幼少期に感じていた虚しさや寂しさを埋めながら自分を慰めていたのかもしれない
入院中は毎日泣いていた
「私はひどい母親」「母親の資格なんてない」などと看護師に泣きながら訴えていた
抑鬱状態の診断の一つとなった「家事ができない」というのがあり
この時の家の中はゴミ屋敷となっていた
家事ができない自分を責めて「悪い母親」とまた自分でレッテルを貼ってしまっていたのだと思う
今でも調子が悪くなると家事ができなくなるためバロメーターとなっている
退院して半年が過ぎ仕事も遊びも順調に薄んでいた頃、再び鬱の症状がでて入院した、2度目は職場にはクローズで入院し、入院先から職場へ出勤していた
その時の理由があまり記憶にないのだが鬱でひどい時に入院したことがあるだけに
このままだと危ないと思い受診した気がする
薬も自己中断していた
当時の主治医が「もう一人暮らしだし、安全のために入院しながら通勤するといい」と提案してくださったのは覚えている