札幌への移住とクラスター(自己分析6)
退院後、しばらくして私は息子のいる札幌へ移住することにした
移住してからは入院施設のある病院に通院するのがいいと言われ
自宅近くの大きな病院に紹介状を書いてもらった
体調もよかったため薬は自己中断し、調子が悪くなるとその当時働いていた職場の先生から処方を出してもらい自己判断で飲んでいた
仕事が落ち着き出してからはバリバリと働いていた
信頼する上司のもと同僚にも恵まれた
昔、生活できなかった頃の借金を返済するために正職員のまま夜勤専従にしてもらった。金銭面が落ち着いてきた頃、この先のことを考えて44歳で准看護師から正看護師になるための学校(通信制)に入学した
入学して意気込んでいたころ、当時の病院でコロナのクラスターになり
55床あったうちのほとんどの患者さんが亡くなりお見取りをした
悪夢を見ているようだった
泣きながら仕事をしたし、次々と仲間たちが脱落していく中で
必死だったし踏ん張ったし頑張った
クラスターの中での学校の勉強は本当に大変で
期日までに提出しなければならないものばかりだった
何度挫けそうになり学校の先生に泣きながら電話したことだろうか
クラスターが収まってくると今度は保健所から「コロナ専門の病棟にしてほしい」と指示がありコロナ病棟となることになった
クラスターが収まったのに、またコロナ?あんなに辛い思いしたのにまたコロナ??なんで?
私は納得ができなかったし、張り詰めていた糸が切れとことん疲れ果てて
職場に行くと涙が出るようになり1ヶ月間有給を使い休んだ
その時の私は再び鬱に転じていたのではないかと思う
それでも学校の勉強だけは踏ん張り続けていた
先輩から「今度はコロナになった人を助けることができるんだよ」と何度も励まされ、なんとか病棟に復帰した
今まで見慣れていた病棟は様変わりをして現実とは思えなかった
患者さんの顔が次々とよぎり涙が出るなか、無理やり仕事をしていた気がする
そうしないといけないと自分を奮い立たせ続けていた