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【連載】RYUKYU SOUL, HUMAN SOUL #20 ジョン万次郎

こんにちは。今週も連載をお読み頂きありがとうございます。

まずは今週も、読者の皆さまへの感謝から綴らせてください。以下の先週の投稿が1週間で117のアクセス数をいただきました。

連載開始以来、1週間以内にアクセス獲得数が100を超えることは初めてです。アクセス数、スキ、コメントの全てが励みになっており、皆さまの存在に感謝しています。今後とも共に学び合い、支え合っていけると幸いです。

連載の前回と前々回では6日間の沖縄一人旅の中で平和祈念公園を訪れ、これまでの沖縄の歴史がもたらした、本州の人の知らぬ場所で癒えることのない深い傷や犠牲者に対する切なく申し訳ない感情を目の当たりにしたことを書きました。その日公園を見終わった後は民家さんに車を運転して頂き、民泊のすぐ近くの大度海岸を案内して頂きました。今回はそこで民家さんが教えてくれたジョン万次郎という人物と、彼の人生から私が考えたことについて書こうと思います。

<ジョン万次郎>

糸満市にある大度海岸は、1851年にアメリカから帰国したジョン万次郎が上陸した地です。歴史の教科書には彼のことについて書いていませんが、彼の半生は劇団四季の演目にもなったことがあるそうです。

平和祈念資料館で日本とアメリカの武力戦争の悲惨さを沢山目にした直後であった私は民家さんの「ジョン万次郎は日本とアメリカの外交の第一人者なのよ」という言葉を聞いて、日米関係はどのようにして始まったのかに立ち返りたいと思いました。元を辿れば戦争は日米関係の悪化、もっといえば日本によるアメリカへの真珠湾攻撃から始まったからです。しかしジョン万次郎による外交が悪い評価を受けていないのであれば、関係が始まった当初は両国は戦争をする運命には無かったと思ったからです。

大度海岸にあるジョン万次郎の像の土台には、彼の人生を説明したパネルが付いています。民家さんに「また迎えにくるからまた連絡してね」と送って頂いたあと、それをじっくり読みました。彼のことは旅の計画にも無ければ民家さんに教えてもらうまでも知らなかったのですが、平和祈念公園を出た直後の私は彼の築いた日米関係にとても興味がありました。

大度海岸のジョン万次郎の像。指は故郷である高知県を指している。

万次郎は鎖国中の日本で土佐(現在の高知県)の漁師の家庭に生まれ、1841年に14歳で漁に出ていました。同年、船で漁に出た万次郎は遭難し、漂着した太平洋の孤島で偶然アメリカの捕鯨船によって救助されました。そして好奇心と行動力で船長に認められた万次郎はアメリカの学校へ招かれ、英語やアメリカの文明を知った彼は、「鎖国中の日本とアメリカの架け橋になりたい」という理由で帰国を決意しました。帰国の際に彼はここ大度海岸へ上陸し、その後役人や村人に対して学んできたアメリカの文明を沢山伝えました。

彼がアメリカで学んだことの中でも特に鎖国中の日本に持ち帰りたかったのは、当時封建社会であった日本には無かった民主主義や人権尊重の思想であったようです。これはなかなかすぐには叶いませんでしたが、当時の琉球王府の役人の興味を引きました。

私は、万次郎が数々学んだアメリカの文明の中でピストルのことよりも民主主義や人権尊重のことを特に日本へ伝えたかったという点、そして万次郎は彼の人間性によって船長から認められて留学が叶ったという点が特に重要だと思います。

私は大学で幕末史の授業を受けましたが、残念ながら江戸幕府による開国はどちらかというと外国から戦争技術を学ぶことを通じた富国強兵が目的で、民主主義や人権尊重の思想を訴える純粋な青年万次郎の望む開国とは違ったのかも知れません。また当時は誰も、20世紀の戦争が民間人を巻き込んだ戦争になるとは予測していなかったと思います。

日米関係がどこで道を踏み違えてしまったのかはわかりませんが、万次郎と捕鯨船の船長によって始まった外交のように、戦争ではなく平和のための技術や思想を学び、加えて政治家同士の人間性にもっと目を向けた外交ができれば、外交問題や国際戦争は免れられるのかもしれません。アメリカのトランプ次期大統領は「僕と安倍元首相であれば日米戦争は起こらなかった」と発言していたそうですよね。(彼らの国民に向けた政策を支持するわけでは決してありませんが。)

また、#4 でも書きましたが私には外国人の友達が沢山いて、日本人の友達と変わらず思いやりのある彼らは私に大切な気づきや学びをくれます。民家さんの奥さんも「基地問題があっても、アメリカ人の友達もベトナム人の友達も中国人の友達もいるけど、みんな仲良しよ。」と言っていました。どんなに政治家同士の仲が悪くても、それ以上に沢山いる国民に罪はありません。

異なる国の政治家同士だけでなく国民同士も、互いの生活の平和のために互いから学び、互いの出身国の政治や歴史よりも人間性を見つめる。そういった国際交流をしていけば国境を超えた絆は深まり、これが国民の力で戦争や外交問題を解決する力になると私は信じています。米軍基地問題を抱えながらも米軍基地の住人たちと共に生活ができている沖縄の人たちの中にはちゃんと、万次郎と同じ精神が生きています。

コメントや質問も受けつけております。

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