フランソワーズ

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詩誌『アンリエット』の峯澤典子さんの詩『一通』に寄り添ってみる

○(第1連) この始まりで、この詩の命題が明示される。詩のなかの〈私〉は、“待っている”ということが示される。 ○(第2連) まず「乞う」と、強い意志で始まる連は、手紙の送り主と送り先のことが書かれる。「とじる 瞼の」は、希うときに瞼を閉じる、祈るようにして。 「あおい鷺の野を そめる/こゆきの」。訪れる冬の美しい情景が思い浮かぶ。こゆきが白いので、鷺の白さはトーンを落とすように、「あおい」と形容。実際、鷺という鳥は少し灰色がかった青さの、暗めの白。 そしてこれが送り主にな

    • 現代詩としての戸川純_。(『肉屋のように』)

      チェンソー スターター 一気に引く手 お願い誰か私を止めて 骨まで響く振動で 全身感じる恍惚 あ駄目 殺意のボイラーコークスくべて ああもう我慢ができない 滴る生き血に餓えるわ 愛しい貴方が食べたい . . . 側頭脈が波打つくらい 頸動脈をマグマが滾る 美味しい身震いする程 美味しいわ身悶えする程 側頭脈が火を吹くくらい 頸動脈をマグマが滾る 美味しい身震いする程 美味しいわ身悶えする程 ⚫️戸川純の歌い方、唯一無二の個性によるところは大きいけれど、カッコ良さでいえば

      • 『素晴らしく幸福で豊かな』〈『共に明るい』収録〉(井戸川射子、講談社)の一節

        床の中央から見渡せば、配置した造花たちは数があるから豪華で、偽物だとは思えない。全て色付くこの部屋は、幸福で豊かな群生、森。ここで寝転べば、そのまま私が山になることも可能だ。  ⚫️「偽物」には見えないが、「偽物」であることには変わりはない。 その上で、人工的な、血の通わないようなところで、「幸福で豊か」でいられる〈私〉とは。 そして「山になることも可能」とある。 皮肉といおうか… 虚しさばかりを感じる。 小説の内容と照らし合わせれば、平静さを取り繕っているが、今ある自

        • 詩誌『アンリエット』の高塚謙太郎さんの詩『あさきゆめみし』に寄り添ってみる

          ○「遠まわりした帰り道」と「どうしているのかと」が根幹。ほかは枝葉(とは言っても、花や実、葉などの、木を特徴づける大切な要素であり、魅力でもあります)。 〈私〉は空を見上げ、思いを巡らす。そして情緒を映す鏡として、空の景色が詠み込まれる。 ○冒頭の「蜻蛉の」_ ただの遠まわりではなく、“何かに誘われるような”きっかけ。さらに蜻蛉の性質である“浮遊感”に、〈私〉は軽い幻惑を覚えながら、いつもと違う帰り道をゆく。鳥や蝶ではなく、蜻蛉というのが重要。また「蜻蛉の」で切って、改行し

          『別れを告げない』(ハン・ガン、斉藤真理子:訳、白水社エクス・リブリス)の一節

          何度となく脳裡に浮かぶその光景がずっと気になりつづけていて、その年の秋になったときにふと思った。よい場所を探して、丸木を植えることはできないだろうか。何千本も植えるのが現実的に難しいなら、九十九本―無限に対して開かれた数字―の木を植え、思いを一つにする人たち十人程度で力を合わせて、それらの木々に墨を塗るのだ。深夜という布で仕立てた服を差せるみたいに丁寧に、永遠に眠りが破られることのないように。そうしてすべてを終えた後、海でなく、白い布のような雪が空から降ってきて彼らを包んでく

          『別れを告げない』(ハン・ガン、斉藤真理子:訳、白水社エクス・リブリス)の一節

          『母の舌』(エミネ・セヴギ・エヅダマ、細井直子:訳、白水社エクス・リブリス)の一節

          わたしは目閉じる。愛の声がわたしを盲目にするだろう、彼らしゃべりつづける、わたしの身体がまるで真ん中で切られた柘榴みたい開く、血と穢れの中、一匹の獣が出てきた。わたしは自分の開いた身体を見下ろす、獣はわたしの開いた身体を押さえつけて、わたしの傷口をその唾液で舐める、わたしの足の下は岩場だった、かつて海が引いてったという、そして岩しかない、はてしない景色が取り残された、輝きは岩たちを見捨てた、岩たち叫んだ、「水、水」わたしは見た、海がこの獣の口から溢れ出るさまを。海は死んでしま

          『母の舌』(エミネ・セヴギ・エヅダマ、細井直子:訳、白水社エクス・リブリス)の一節

          詩誌『アンリエット』の峯澤典子さんの詩『雫』に寄り添ってみる

          ○(第1連) 「きのう まで/ひとつ、」の「、」が、ひと塊りの一体となっていることを強調。そのしずくがわかれるということは、二つの方向性を示している。わかれたしずくの一方は現実のこと。もう片方は〈わたし〉の追想、“あり得たかもしれない想像の世界”と読んでみる。そして詩は、後者の方を綴っていく。 ○(第2連) 「玻璃」とは、①水晶 ②ガラス 「胸の/うすい玻璃に寄せる」は、“けがれのない、透き通った心に映る”ことでしょうか。 「若い白蝶のような/語彙の滲み」は、無垢であった〈

          詩誌『アンリエット』の峯澤典子さんの詩『雫』に寄り添ってみる

          『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(ベアトリーチェ・サルヴィオーニ、関口英子:訳、河出書房新社)の一節

          マルナータは頬にある痣が急に痛いだしたかのように掻きむしると、肩をすくめた。「好きにしたら」くるりと自転車の向きを変えるなり、片足をペダルの上に置き、勢いよく漕ぎだした。そしてお兄さんとおなじ立ち漕ぎで、背中を丸め、風にスカートをふくらませ、市場の立つ通りの外れまで猛スピードで走っていった。買い物籠を抱え、驚いた鳩のように二手に分かれて逃げ惑う主婦の集団のあいだを走り抜け、路面電車の裏へと消えていった。            (p42) 嫌われ者のマルナータ。でも本人は全然

          『マルナータ 不幸を呼ぶ子』(ベアトリーチェ・サルヴィオーニ、関口英子:訳、河出書房新社)の一節

          『乳と母』(川上未映子、文藝春秋)の一節

          色んなこと、わかって、わかってるつもりではいるのやけれども、しかし考えれば考えるだけの億劫と、重くのしかかるものが大阪、母子、を思うと、その字づらからその音からその方角から心象から、いつもわたしの背後に向かって、一切の音のない、のっぺりとした均一の夜のようにやって来ては拭いきれぬしんどさが、肺や目をじっとりと濡らしてゆく思い。(p20) 母子家庭できつきつの生活を強いられている姉に対する思い。家族であるから助けてあげたいと思いつつ、大阪という遠距離であることもあって、実際に

          『乳と母』(川上未映子、文藝春秋)の一節

          西原真奈美さんの詩『消印』に寄り添ってみる

          ○(第1連) 「花は覚えている」。この短い詩の“芯”となる一文ではないでしょうか。そしてこの一文で詩を始めることによって、プロローグとし、かつサブタイトル的な“光彩”を放つ出だしに感じられる。 ○(第2連) 「書きなずむ」。物事が進まない“気怠さ”、“もの憂げさ”が漂うなかで、「そらせた花びら」という“灯火”がポッとともる。それを「切手にして」という思いつきに、〈わたし〉の胸のうちにかすかに湧き起こった、一瞬の喜びのようなものが仄みえる。 ○(第3連) 「犬のいなくなった

          西原真奈美さんの詩『消印』に寄り添ってみる

          『ゴムボートの外で』〈『ミルク・ブラッド・ヒート』収録〉(ダンディール・W・モニーズ、押野素子:訳、河出書房新社)の一節

          私は舌を噛み、目の前で羽のように広がる血を眺めた。波間に浮かぶ、小さな赤い潮流。舌を噛んだその瞬間に、私は悟ったのだと思う。自分が九歳で、美しく、命に限りのある人間であるということを。神が見るのと同じように、私には自分たちの姿がはっきり見えた。海の底で子どもの形をした四つの石になるまで、ずっと沈んでいくのだ。 (p127) ○父と継母と暮らす少女のなかにある死への願望。海水浴の際、溺れながら彼女が見た風景。 青い海と白い波。そこに広がりつつある血の赤。 少女の哀しみが、音の

          『ゴムボートの外で』〈『ミルク・ブラッド・ヒート』収録〉(ダンディール・W・モニーズ、押野素子:訳、河出書房新社)の一節

          七月堂古書部さんでいただいた、峯澤典子さんの詩『休暇』(詩紙)に寄り添ってみる

          ○(第1連) 「胸の書庫」とは記憶のこと。しかも「たどりつけない」という言葉が付されているから、単なる記憶ではなく、大切な、かけがえのない思い出。 その「たどりつけない」を、「ピアノのないピアノ/貝殻のない貝殻のような/とぎれとぎれの/浅い眠り」と形容している。タイトルからして、また出だしが「七月の」とあるから、“夏休み”を想起してもよいでしょう。その期間、“ピアノ(レッスン)”と“貝殻(海水浴)”の思い出があってもおかしくはないけど、では具体的な輪郭はと思い返すと…。たしか

          七月堂古書部さんでいただいた、峯澤典子さんの詩『休暇』(詩紙)に寄り添ってみる

          『塵に訊け』(ジョン・ファンテ、栗原俊秀:訳、未知谷)の一節

          朝になって目を覚ますと、もっと運動した方がいいなと思い、すぐに始めることにした。体のあちこちを曲げたり伸ばしたりした。それから歯を磨くと血の味がして、ピンクに染まった歯ブラシを眺め、こんな感じの広告を思い出した。外に出てコーヒーでも飲もうと決めた。 (P5)    冒頭に続く一節。 スランプでありながらも自我肥大化した小説家パンディーニの朝を描写したものだが、この何気ない一文に、アメリカらしさが詰まっている。それが「もっと運動した方がいいな」なのか、「ピンクに染まった歯ブ

          『塵に訊け』(ジョン・ファンテ、栗原俊秀:訳、未知谷)の一節

          『詩と散策』(ハン・ジョンウン、橋本智保:訳、書肆侃々房)の一節

          べつに私がひとり優越感に浸って相手を憐れんでいるわけではない。なにか下心があったからでもない。私にもあり、他の人にもきっとある孤独を労いあいたいという思いで、私たちは小さな円を描いたのだ。                                                (P49) 〈わたし〉は街で、果物売りやたばこを吸う男と時折、話をしている。 ただそれだけのつながりでさえ、”友情”であると、大切に心に刻んでいる。 そして作者はそれを”小さな円を描いた”と表

          『詩と散策』(ハン・ジョンウン、橋本智保:訳、書肆侃々房)の一節

          西原真奈美さんの詩『切っ先』に寄り添ってみる

          ○(第1連) 「押し返してこないものを/安心して 壊す」…破壊衝動みたいなもの?「押し返してこない」無力なものに対して、〈わたし〉は「安心して」とある。「壊す」という行為に対する“恐れ”があるのでしょう。 「半透明に煮くずれた/かぶのように」…比喩に“家庭的なもの”を感じる。そしてこれが〈わたし〉の姿とすると、「煮くずれた」というのは“壊れかけた”に通じるし、「半透明」というのも何やら曖昧な、はっきりしない、“心の薄さ”とか“弱った心”を想起させる。つまり、心が弱りかけている

          西原真奈美さんの詩『切っ先』に寄り添ってみる

          『野原』(ローベルト・ゼーターラー、浅井晶子:訳、新潮クレストブックス)の一節

          それからほんの数週間で、母もあとを追った。中身がいっぱいに詰まった買い物籠を提げて家に帰る途中、突然立ち止まり、頭を後ろへそらすと、しばらくのあいだ、はるか彼方、雲ひとつない青空のどこか一点にじっと狙いを定めるかに見えたが、直後に歩道の真ん中で横にふらつき、倒れて死んだ。籠から四つ、赤い夏のリンゴが車道へと転がっていき、しばらくそこで陽光を受けて輝いていたが、そのうちひとつ、またひとつと帰宅途中の車に轢かれていった。                              

          『野原』(ローベルト・ゼーターラー、浅井晶子:訳、新潮クレストブックス)の一節