『素晴らしく幸福で豊かな』〈『共に明るい』収録〉(井戸川射子、講談社)の一節

床の中央から見渡せば、配置した造花たちは数があるから豪華で、偽物だとは思えない。全て色付くこの部屋は、幸福で豊かな群生、森。ここで寝転べば、そのまま私が山になることも可能だ。 

⚫️「偽物」には見えないが、「偽物」であることには変わりはない。
その上で、人工的な、血の通わないようなところで、「幸福で豊か」でいられる〈私〉とは。
そして「山になることも可能」とある。

皮肉といおうか…
虚しさばかりを感じる。

小説の内容と照らし合わせれば、平静さを取り繕っているが、今ある自分から逃れたがっている空々しさを感じる。

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