詩誌『アンリエット』の峯澤典子さんの詩『雫』に寄り添ってみる
○(第1連)
「きのう まで/ひとつ、」の「、」が、ひと塊りの一体となっていることを強調。そのしずくがわかれるということは、二つの方向性を示している。わかれたしずくの一方は現実のこと。もう片方は〈わたし〉の追想、“あり得たかもしれない想像の世界”と読んでみる。そして詩は、後者の方を綴っていく。
○(第2連)
「玻璃」とは、①水晶 ②ガラス
「胸の/うすい玻璃に寄せる」は、“けがれのない、透き通った心に映る”ことでしょうか。
「若い白蝶のような/語彙の滲み」は、無垢であった〈わたし〉の素直な言葉たちから漂う余韻。後悔も含んでいることから、それを「詠みかえる」、“ああすれば良かった、あのように言えばと思いめぐらせている”うちに、「短い夜はあけ」てしまったと。
○(第3連)
「窓辺の背は/露草」というのは、詩の情景。追想であった第2連から、〈わたし〉を、読み手を立ち返らせる。
「遠い踏切の浅瀬へ 消える」の「遠い踏切」は、“過去の断片”。続く「浅瀬へ」は深くない汀ということで、追想があくまでも“ほんの細やかなもの”であり、引き潮のように「消えた」ということでしょうか。
○(第4連)
第4連は結びとして、俯瞰的に「雨あがりの/なつ」と始まる。
「片耳のふち」というのは、わかれたしずくの一方。そしてしずくそのものを表すとともに、追想をも指している。さらに「〜で」で結ばれている。ふと追想したことをふり返って、“あり得たかもしれない想像”を思い返してみたりという、ある意味で戯れのようなものと思っているのかもしれない。
●タイトルの「雫」。言葉のひとつひとつ、文のひとつひとつが、ひとしずくになっているよう。限りある一瞬を表しているように、短く息をしているように感じられる。そしてその律動に揺られて、詩を辿る。
一滴のしずくがわかれる景色、そのむなしさのうちに、思いを巡らせる。浮かんでは消え、消えては浮かぶ追想。その記憶は流れ落ちるしずくの跡を追って、夜明けとともに消えてしまった。
きらめいているけど、はかないその刹那の軌跡に、図らずしも人は感応してしまい、思いを馳せる。“湖底に映されるシネマのように”、静寂の中でも音や声を聴き、たまゆらの夢を見る。
そのようなことを感じさせる詩です。
※誤読、曲解があるかもしれません。ご容赦のほど。