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ノンデュアリティにおける無条件の愛とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」

ノンデュアリティにおける無条件の愛とは?大和田菜穂「すでに愛の中にある」

(中略)たとえば椅子に座っている感覚、コンピューターを操作する手の感覚、車が通り過ぎる音、紅茶の味、これらのすべてが無条件の愛なのです。
 幻想の「私」にとっては、とても興味の湧くようなものではないかもしれません。「なんだ、そんなのつまらなすぎる」「退屈な感覚だ」と思うかもしれません。でも、世界中の誰もが真に求めているのは、この無条件の愛だけなのです。(中略)

大和田菜穂「すでに愛の中にある」より

ボクは(本当は、ボクはいないんだけど、便宜的に、ボクと書かせてもらう)、この文章を読んで、ああ、いつも感じていたのは、「無条件の愛」だったんだな、って納得した。

たわいない日常の感覚が、無条件の愛だったんだね。ノンデュアリティ(非二元)に目覚めてないオレには、どこが胸を打つ文章なのかが、イマイチ理解できないけれど。

いやー、目覚めたら、いかに胸を打つ文章なのかが、わかるよ。

ノンデュアリティの言語化は実に難しい!

ノンデュアリティの言語化は、実に難しい!ボクも、この感覚が、「無条件の愛」と、表現されるべきものだとは、この本のこの文章を読むまで、わからなかった。

この文章を読んで、深く腑に落ちたわけだね?オレにはちと、わからない感覚だけど・・・。ところで、感覚、感覚、って言ってるけれど、ノンデュアリティでは、感覚だけあって、主体がないんだよね?

そうだね。「私はいない」、なんだよね。

「ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!」が腹落ちした!

「ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!」が最近、妙に、腹落ちしたんだよね。

これって、「バタ足ノンデュアリティ」の副題だよね。

日常生活の中に、無条件の愛が溢れているんだ。徹底、日常生活のことでしょ。

うんうん、そうだね。理屈としてはわかる。

あと、「私はいない」、ってのも、日常生活の中では、当たり前に起きていることだよね。

チャーハン作っているときとかは、自分のこと考えてないもんねぇ・・・。

解脱後のボクから、世界を見たとき、ああ、なんて、ノンデュアリティって、徹底して、日常生活なんだろう!って本当に、腹の底から思うもん。なんで、こんなに当たり前にあるものなのに、みんなノンデュアリティに気付けないんだろう?って不思議になるよ。

まさに、オープン・シークレットだね。って言っても、目覚めていないオレには、その感覚はわからないんだけど。

やっぱり、探求しちゃってるからじゃないかなぁ・・・。同じものを見て、解脱者と違うように認識してしまうのは。

探求するのをやめちゃえばいいのかなぁ・・・??

それも一つの方法だろうね。ボクは、しばらく本を読まないで、バイノーラルビートを聴きながら、ひたすら、ぼーっとしてたんだ。本を読むよりも、探求の度合いが低いと思ったからだ。そしたら、解脱できたと。

ノンデュアリティ・スピーカー達の名著。

ノンデュアリティに目覚めて、幸せにつつまれるためには、何かキッカケが必要だ。それにはノンデュアリティ・スピーカーの本を読むことが有効だと思う。いくつか列挙しといたから、良さそうなのを読んでくれてかまわない。迷ったら、オープン・シークレットあたりが、短いのでいいのでは?

⇧上のリンクを使えば、面倒な検索なし!活用しては?本書は、だいぶ薄いので、サクっと読みたい人にオススメ。トニー・パーソンズは、ノンデュアリティ・スピーカーの世界的権威。「開かれた秘密」っていうのは、ノンデュアリティにみんな日常的に接しているのに、気づいていないよ、というメッセージ。

⇧大和田菜穂さんは、日本人初の、ノンデュアリティ・スピーカー。世界的に活躍している。さすがは、日本人初、という内容。非常に示唆に富む本。「すでに愛の中にある」も、オープン・シークレットと同様、みんな既にノンデュアリティに接しているのに、気づいてないよというメッセージ。

「バタ足ノンデュアリティ」は人気シリーズで、11月に5巻目が発売予定。まずは難しいことを考えずに、バタ足で練習して、ノンデュアリティに目覚めるトレーニングをしようよ、みたいなコンセプト。

⇧上記三冊は、すべてKindle Unlimited。お得に読める無料体験!

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