トポスなき個人って何?小林よしのり「パトリなきナショナリズム」を題材にして。
トポスなき個人って何?小林よしのり「パトリなきナショナリズム」を題材にして。
ナショナリズムは、知ってるよね。
まあ、いってみりゃ「愛国心」でしょ。
じゃあ、パトリオティズムは?
ナショナリズムほど、よく聞かない単語だね。それって何?
「郷土愛」のことだよ。本書に以下の記述がある。
「郷土」は実感できるよね。
実際に、子供の頃、生活していたからね、
でも「国」=ネーション・ステイトは抽象的な概念だ。だから、「愛国心」も、想像や理によってしか捉えられないものなんだ。
なるほど。で、それがどうしたの?
小泉政権から、本格的に始まった、新自由主義(ネオ・リベラリズム)によって、「郷土」が破壊されているんだ。
新自由主義ってなんだっけ?
わかりやすく言えば、できるだけ小さい政府にして、経済を民間に大幅に委ねる経済主義、みたいなものだよ。
で、地域などの共同体が解体される結果、「郷土」も破壊されると。
本書に以下の記述がある。
これが、「パトリなきナショナリズム」の問題点だ。それが、「郷土」という共同体から析出された個人を統制するための、いかがわしい道具なのだと。
これって、みんな望んでやってるの?
実は困ったことにそうなんだよ。本書もこう書いている。
ゆゆしき事態だね。
ちなみに、bingによれば、中島岳志の研究により、以下の点が明らかになったらしい。
なに?
いわゆる「トポス(場所という意味)なき個人」、これが、本書の出た2007年よりも増えているらしいと。要するに、何の共同体にも属していない個人のことね。「トポスなき個人」だとどうなる?
まず、対話が減るよね。そうすると、社会の多様性も失われてくるね。
そうすると、大衆の気分化や、多数者の専制が起こりやすくなるでしょ。・・・みたいに、中島岳志も警告しているらしい。参考までに、そのbingの記事も載せておくね。(興味のない人は飛ばしてね!)
だったら、なおさらのこと、中間共同体を大事にしなきゃね。
でも、中間共同体を大事にしろといっても、それが、怪しげなカルトとかだったら、目も当てられないじゃん。
でも、そうした需要があるからこそ、カルトも出てくるんでしょ。
そうだね。そうした問題も、確かにあるね。