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トポスなき個人って何?小林よしのり「パトリなきナショナリズム」を題材にして。

トポスなき個人って何?小林よしのり「パトリなきナショナリズム」を題材にして。

ナショナリズムは、知ってるよね。

まあ、いってみりゃ「愛国心」でしょ。

じゃあ、パトリオティズムは?

ナショナリズムほど、よく聞かない単語だね。それって何?

「郷土愛」のことだよ。本書に以下の記述がある。

「郷土愛」=パトリオティズムは、実感を伴うことができる。(中略)だが「愛国心」=ナショナリズムは実感を伴わない。(中略)国家は抽象的なもので、知覚では捉えられない。それは想像で、あるいは理で捉えるものである。

本書147頁

「郷土」は実感できるよね。

実際に、子供の頃、生活していたからね、

でも「国」=ネーション・ステイトは抽象的な概念だ。だから、「愛国心」も、想像や理によってしか捉えられないものなんだ。

なるほど。で、それがどうしたの?

小泉政権から、本格的に始まった、新自由主義(ネオ・リベラリズム)によって、「郷土」が破壊されているんだ。

伝統や慣習を守るのは、家族・地域・企業組織・学校などの共同体であり(中略)新自由主義は、市場の効率を高めるために共同体を解体する。

本書151頁

新自由主義ってなんだっけ?

わかりやすく言えば、できるだけ小さい政府にして、経済を民間に大幅に委ねる経済主義、みたいなものだよ。

で、地域などの共同体が解体される結果、「郷土」も破壊されると。

本書に以下の記述がある。

しょせん「パトリなきナショナリズム」は、市場絶対主義の経済政策によって、「故郷喪失者」となった「砂粒の個人」を統制するために利用されるいかがわしいナショナリズムにすぎない。

本書153頁

これが、「パトリなきナショナリズム」の問題点だ。それが、「郷土」という共同体から析出された個人を統制するための、いかがわしい道具なのだと。

これって、みんな望んでやってるの?

実は困ったことにそうなんだよ。本書もこう書いている。

「郷土なんか滅びろ!」と、政治家もマスコミも国民も、本音を言いなさい!

本書153頁

ゆゆしき事態だね。

ちなみに、bingによれば、中島岳志の研究により、以下の点が明らかになったらしい。

なに?

いわゆる「トポス(場所という意味)なき個人」、これが、本書の出た2007年よりも増えているらしいと。要するに、何の共同体にも属していない個人のことね。「トポスなき個人」だとどうなる?

まず、対話が減るよね。そうすると、社会の多様性も失われてくるね。

そうすると、大衆の気分化や、多数者の専制が起こりやすくなるでしょ。・・・みたいに、中島岳志も警告しているらしい。参考までに、そのbingの記事も載せておくね。(興味のない人は飛ばしてね!)

トポスなき個人は2007年よりも増えているのか? を検索しています

回答を生成しています…

こんにちは、これはBingです。😊

トポスなき個人とは、自分の属する場所や共同体を失ったり、見つけられなかったりする人々のことです。社会学者の中島岳志は、このような人々が2007年以降、日本社会に増えていると指摘しています1。

中島は、2007年の年金記録問題やリーマン・ショックなどの社会的危機が、人々の生活や安全保障に大きな影響を与えたと述べています。また、日本の政治は、新自由主義的な構造改革を進めることで、人々の絆や共同性を弱めてきたと批判しています。その結果、人々は自己責任の意識が強くなり、他者との関係性や共同体を喪失したバラバラな個人になってしまったと主張しています1。

中島は、トポスなき個人が増えることで、社会の多様性や対話が失われ、大衆の気分化や多数者の専制が起きやすくなると警告しています。そこで、彼は、トポスを取り戻すために、小さな共同体から対話を始めていくことを提案しています1。

トポスなき個人は2007年よりも増えているというのは、中島の分析に基づく一つの見方です。他の研究者やデータによって、異なる見方もあるかもしれません。例えば、東京大学の本研究グループは、2007年より「働き方とライフスタイルの変化に関する全国調査」を毎年実施しており、人々の生活に与える影響を解明しています2。このような調査を参考にすることで、トポスなき個人の実態や傾向について、より深く理解することができるかもしれません。

bingより

だったら、なおさらのこと、中間共同体を大事にしなきゃね。

でも、中間共同体を大事にしろといっても、それが、怪しげなカルトとかだったら、目も当てられないじゃん。

でも、そうした需要があるからこそ、カルトも出てくるんでしょ。

そうだね。そうした問題も、確かにあるね。

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