ハードボイルド書店員日記【201】
<元気が出る言葉>
「あ、お久しぶりです!!」
かつての職場。休日の午後に訪れ、スポーツ書の棚を眺める。元・後輩に見つかった。相も変わらず接客業向きの笑顔。品出しが忙しそうだから声を掛けなかったのに。
「元気そうで何より」
「そうでもないっす。昨日バイトの子が辞めちゃって。レジの打ちミスが直らないんでちょっと厳しく注意したら」
「覚えないと次行けないな」
「ですよね! たぶんZ世代の感覚だと、俺らの仕事はタイパが良くないんすよ。最低時給だし」
おそらくそれだけが原因ではない。
「まあ仕方ないよ」
「あ、それで思い出した。先輩」
「もう先輩じゃないぞ」
「実は先週40歳になったんです」
「おめでとう、と言っていいのかな」
「マジへこみました。もう40かよって」
「気持ちはわかる」
いま思うと30歳は若かった。
「なんか元気が出る本、知らないっすか?」
「そうだなあ……お、ちょうどいいのが」
ひと棚を埋める「KAMINOGE」(玄文社)のバックナンバーから130号を抜き出した。見た目は雑誌だが書籍扱い。プロレスや格闘技の話題を主に扱っている。
「2年ぐらい前の号っすよ。そろそろ返そうと」
「26ページに載ってる中邑真輔のインタビューを」
「イヤァオっすね! アメリカで活躍してるんでしたっけ?」
「そう。で、日本のリングに上がっていたグンターってドイツ人レスラーに言われたことが」
くだんのページが開かれた。こんな文章が記されている。
「……なんでマイナス10なんすか?」
「わからない。外見のことかな。あとはもしかしたら食習慣とか」
「納豆はアンチエイジングに効果的って聞きました」
「でもいちばんは気の持ちようじゃない?」
「たしかに真輔、いつまでもカッコいいっすね」
「おまえもまだ30。全然これからだよ」
「ありがとうございます!! 元気出てきました」
「それは良かった」
「お互い書店で頑張りましょう!! あ、先輩もたしか今年で」
「マイナス10な」
<続・元気が出る言葉>
「先輩、どうもっす!!」
蒸し暑い平日の午後3時。クレジット用端末のロールを交換し、顔を上げる。満面の笑顔で迎えられた。どちらが客かわからない。
「今日休み?」
「有休取っちゃいました。初めて来たけどいいところっすね」
「立地だけは」
「先日は助かりました。で、相談なんですけど、元気の出る本、他にもないすかね? さっき自己啓発のコーナーを見たけどピンと来なくて」
「すまんな、俺の棚だ」
「え、大変失礼しました」
「いや、率直な意見をありがとう」
「文庫とかでも探したんですけど、推し方がありきたりというか」
笑いかけて両頬の内側を噛む。担当の女性がたまたま後ろでラッピングをしていたのだ。しかし発言を窘めようとは思わなかった。彼の印象は間違っていない。
「芸術書は?」
「見てないっす。でも岡本太郎なら大概読んだし」
「ちょっと待ってて」
他のお客さんが並んでいる。ベルを鳴らして応援を呼び、カウンターを出た。
「これはどうだろう?」
足早に戻り、三笠書房から2008年に出た「ぶれない」を手渡す。著者は2009年に亡くなった日本画家・平山郁夫だ。
「初めて見ました」
「まあまあ古いからな。担当に勧めたら一冊入れてくれた」
「画家っすよね? 俺らみたいな組織のしがないサラリーマンとは」
「この人は藝大でずっと働いていて、まったくのフリーだったことはないらしい」
記憶を頼りに172ページを開いてもらった。こんなことが書かれている。
続けて175ページも見せた。
「……先輩」
「ん?」
「率直な意見をありがとうございました。この本、いただきます」
わかってくれると信じていた。
元気を出す方法はふたつある。ひとつはポジティブな何かに触れる。もうひとつは元気が出ない原因を解決する。私も他人事じゃない。新人が辞めないようにしっかりやっていこう。