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掌編小説、詩など

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2021年8月の記事一覧

ハードボイルド書店員日記<52>

ハードボイルド書店員日記<52>

水曜の午後3時。レジを抜けて仕入れ室に入る。入社したばかりの雑誌担当が呆然と立ち尽くしていた。20歳のパブロ・ピカソみたいな顔。多くの荷物が梱包を解かれず、灰色の台車に積まれている。

「どうしたの?」「あ、すいません。予約の入っている雑誌が何度探しても見当たらないんです」「入荷してないってこと?」「ええ。調べたら梱包の数もひとつ足りなくて」都内の大きな書店では雑誌は発売前日の午後に入る。もちろん

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ハードボイルド書店員日記<51>

ハードボイルド書店員日記<51>

「お久し振りです。さっきいらしてましたよね。どうでした?」

休日。帰宅後にTシャツを着替え、キレートレモンを飲んでいるとLINEが来た。アイツだ。やはり気づかれていた。これから休憩だろう。大人しく休んでいればいいのに律儀な男だ。

「久し振り。悪くなかったよ」「ぼく、いま雑誌担当なんですけどどう思いました?」「俺がいたころよりも見やすくなってた。ナンプレ誌の横にフェア台を置いたのがいい」「それぼ

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ハードボイルド書店員日記㊿

ハードボイルド書店員日記㊿

日曜日の夕方。

無限に続くレジ業務からようやく抜けられた。事務所でPCの前に座り、取次の専用サイトを介して前週に売れた本の補充をする。他の店舗でよく動いたのにウチに入っていない商品を見つけて注文する。オンラインでできなければ月曜に出版社へTELする。本当はウチ担当の営業マンに直電するのがいちばん早い。彼らも数字を作るのに必死だから、品薄の売れ筋をどうにかかき集めてくれる。ただし繋がらないケースが

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ハードボイルド書店員日記㊾

ハードボイルド書店員日記㊾

「あれ? お久し振りです」

平日の昼下がり。レジで四六版のカバーを折っていると白いワイシャツを着た中年男性に声を掛けられた。首から入館証の付いた青いストラップを提げている。某出版社の営業だ。以前働いていた書店で接点があった。

「お久し振りです」「こちらにいらっしゃったんですね。ご担当は?」「ビジネス書と専門書全般です」「ああ残念」彼の勤める会社は旅行ガイドを専門に扱っていた。「ビジネス書、何が

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ハードボイルド書店員日記㊽

ハードボイルド書店員日記㊽

レジ外の時間。品出しが全て終わったので残りは巡回に充てる。「いらっしゃいませ」と言いながら店内を巡り、乱れている棚を整える。平積みの上に違う本が載っているだけで嘘みたいに売り上げが落ちる。特に児童書と実用書は注意が必要だ。

「あの、すいません」年配の女性が検索機の前で骨張った首を傾げている。タッチパネルの端末を使って在庫を調べてくれていた。「いらっしゃいませ」「芥川龍之介で海のなんとかって話があ

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