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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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2021年12月の記事一覧

【人生ノート 204ページ】善にまれ悪にまれ、その本場所を数多く踏んでいる人ほど役に立つ人であり、人間味のある人である。

豊富なる体験者「体験の多い人」を「えらい人」と、自分は言いたい。本の上での知識がどれほどあっても、それは要するに、いろんな単語をたくさんおぼえているだけで、人生の真剣勝負の場数をへた人にくらべては、吹けば飛ぶような手合いだ。 この意味において、善にまれ悪にまれ、その本場所を数多く踏んでいる人ほど役に立つ人であり、人間味のある人である。 ○ 固い殻を背負って、どこへでも歩きまわる蝸牛のような人間ほど始末においえぬものはない。 『信仰覚書』第八巻、出口日出麿著 【これま

【人生ノート 205ページ】 経験のせまい人は世界が狭いのだから、どうも角があって、つき合っていても窮屈だ。

経験のせまい人は世界が狭いのだから、どうも角があって、つき合っていても窮屈だ。 ○ ほんとうに行き詰らなければ、ほんとうの改造はできぬ。 ○ すべてのものは調和を求めている。 ○ いくらみたまの性来がよい人でも、人間的努力をせぬ人は現界ではつまらぬ。 ○ 体験の多い人がえらいのだ。 ○ すべては流転す。 凛応変が真理なり。 『信仰覚書』、出口日出麿著 【これまでの振り返り】

【人生ノート 206ページ】 ものを極める秘伝とは

一、先人の説けることを一通り承知すること 二、前者を単なる参考として、自己自身が実地にあたって、一々こころみ、一々考え、もって悟ること 以上の外を出ずることなし。 『信仰覚書』第二巻、出口日出麿著 【これまでの振り返り】

【人生ノート 207ページ】自己の諒解し得ることは、みな自己にそれだけの潜在能力ある故なり。

人の内分とは、その意志(愛よりす)想念(智よりす)に属する一切をいい、外分とは表情、言語、動作に属する一切をいう。その内分の積み重なりて形成されたるを内人といい、その外分の積みかさなりて形成されたるを外人という。霊眼で見るは内人にして、肉眼で見るは外人なり。 思うは内界にして、在るは外界なり。 思うが故に在り、在るが故に思うなり。 ○ 現界は苗床にして、霊魂は種子なり。 いかに良質の種子なりとも、これを悪しき苗床に蒔きなば、その発育の劣悪となるや必せり。また、如何に

【人生ノート 208ページ】 心のはればれとした朗かなときには、思ったままをドンドン実行すべきある。

すべて、現在、自分の感じ、考えることは、すなわち、目下の自分の属している霊界(心の籍)を示しているのである。 直霊に省みて、自分ながら、いやらしく、バカバカしく思うようなことを感じ、考える時は、これあきらかに、自分が副守護神(欲求)になりきっている時であり、晴々として愉快を感じ、考えもこれに伴う時は、これ明らかに、正しき霊と感応している時である。前者の場合には大いに慎み省み、克己忍耐して、努力して神に近づくように心がけ、身をへり下りて、人と争わぬようにせねばならぬ。そしてい

【人生ノート 209ページ】 上位に立つ人たち数人さえしっかりしておるならば、どんな仕事でも容易になし得るものである。

落ちつきのない人は、どうも信用しにくい。すぐ信用するかわりに、すぐ裏切るという恐れがあるからである。 人間はどうしても自己本位であり、目先本位であるから、ちょっとしたことにも狼狽し困惑しがちである。 責任の位置に立つ者は、ことに、よほどその言動を内省し注意せねばならぬ。自分はなんともなしに言ったり、したりすることが、すぐに多人数にいろいろと影響するからである。 頭に立つ人が粗雑で狭量であわて者であったならば、もはや、その団体はどうもがいてもダメである。 上位に立つ人た

【人生ノート 210ページ】 人間は失敗するから進歩するのであって、要するに、ドンドン失敗してドンドン進歩向上して行ったらよいのだ。

物ごとを何時までもクヨクヨと心に持って考えてばかりいることは、心身の大毒だ。す早く、現在の自分相応に処置してゆけばよいのだ。それを、力もないくせに、いたずらに理想にのみ走って、あれこれと 何時までもひねくり回しているから苦しいのだ。「もし間違ったら」とか「これでは不完全だから」とか思って、ためらうのは悪いくせだ。事にあたったら、す早く、現在の自分の識見相応に、そのことの外郭および中核をつかんで、それに対する処置を考えるべきである。 人間は失敗するから進歩するのであって、要

【人生ノート 211ページ】 つねに何かを得ようと努めるところに真の生活があるのだ。

敢然と踏み出せ 人間は絶えず何かを作り出しておらねばならぬ。 なんでもない引っ込み思案ははなはだよくない。能うかぎり、頭なり手足なりを活動させて、つねに何かを得ようと努めるところに真の生活があるのだ。 いつまでも同一境遇に執着して、それより一歩外へ出ることのできぬような意気地なしでは困ったものである。 中には、心中では、これではならぬ、も少し何とかせねばならぬと焦慮しておりながら、決断力が足らぬために、いつ迄もその境遇にあまんじている人々も随分多い。無論、時と場所によ

【人生ノート 212ページ】 苦労すればするほど可愛さがましてくるものである。

手数をかけるほど愛は生ずるものである。親が子を育てるにしても、なかなか一通りや二通りの苦労ではないが、苦労すればするほど可愛さがましてくるものである。 すべて、面倒や手数をいとうていては、何ひとつ真に自分のものにすることは出来るものではない。 ある団体のためとか、ある会のためとかいう場合でも、自分が身を入れる度が大なれば大なるほどそれらに対してより強い愛が生じてくる。 要するに、身を入れただけ、面倒をみてやっただけしか自分が拡がらぬものである。  『信仰覚書』第七巻、

【人生ノート 214ページ】 自己と他人とをくらべてみて、はじめて自己が明瞭になってくるのである。

ほんとうの自分を知るには「自分はこう思う」ということはいってもいいが、「自分のいっていることはまちがいない」というようなことをいってはならない。  世界は広く、自分は小さいのだから。自己を知るためには、自己以外のものを知らなければならない。自己と他人とをくらべてみて、はじめて自己が明瞭になってくるのである。  他人のしていることは良くわかるが、いざ自分のことになると、直接、利害関係がおよんでくるので、たちまち迷ってしまうのである。たいていのことなら、他人のしていることを、

【人生ノート 216ページ】 いく度も苦境をきり抜けてきた人は、どことなしに底力がある。

真価は逆境に立ったとき  何事にかけても、えらい人というのは、それ相当に苦心と努力をしてきているからで、けっして、生まれながらにして、その道の達人であったのではない。  どんな迂愚な人でも、ある仕事を三年つづけてやったなら、とにかく相当に、その道を解することはできる。  いかなる人でも、その人相応の素質を持たせられて生まれているのだから、それに従って努力さえしたらよいのである。「わしは年寄りだから」とか「おれは頭が悪いのだから」とかいう口実はなんにもならない。とくに日本

【人生ノート 215ページ】 何事も『見直し聞き直し』

すべて物ごとは、自己を中心にして考えるから偏るのである。広く、全世界を大局的に観るくせをつけねばならぬ。 自分のしていることはよく、他人のしていることは悪く、十人が十人まで考えがちのものであるが、これが非常な偏見である。全世界のものすべては皆それぞれに己の役割を演じているのであって、大きい神の御目から見たまえば、いずれを是、何れを非ともし難いのである。 要するに、皆それぞれに自分は自分らしく相応の仕事をしさえしたらよいのである。 外分から来る肉体心というものは、非常に不

【人生ノート 213ページ】 たよりない世の中に、たよりとなるはお日さまとお月さまとだけだ。

  人間の他愛なさ すこしく横文字が読めだすと、もういっかどの学者になった気持ちになり、医学校を出て四、五年もたつと、もう俺ほどの名医はないように思い出すものだ。そこが可愛いところであり、間違ったところである。 考えてみれば、たったこの間まで鼻汁(はな)たれ小僧であった連中が、いつの間にやら、学士になったり事務官になっているのだから世話はない。つい先達てまで、トンボつりに夢中になって、この角先を朝に晩に駆けずりまわっていたのに、ころ頃はどうしているだろうかと思っているうち

【人生ノート 203ページ】 えらいというのは、腹の大きいということなのだ。腹の大きい人ということは、怒るときに怒り、泣く時に泣くことのできる人なのだ。

どんな仕事をするにも、まず人間が融和しなければ、とうてい満足なことができるはずはない。 ○ 人間というものは、十日や二十日つき合ったくりで、その本音が聞かれるものではない。 いわんや、第一印象がどうのこうのと言ったって、一向あてになるものではない。 ○ やる時には、悪いことも思いきってする代わりに、ここだと思うときには、生まれ代われる人間でなくちゃ、いたずらにコセついて、ソワソワしているにんげんほど頼りないものはない。 いまの世は、この小才ばかりがヒョコヒョコして