
【人生ノート 211ページ】 つねに何かを得ようと努めるところに真の生活があるのだ。
敢然と踏み出せ
人間は絶えず何かを作り出しておらねばならぬ。
なんでもない引っ込み思案ははなはだよくない。能うかぎり、頭なり手足なりを活動させて、つねに何かを得ようと努めるところに真の生活があるのだ。
いつまでも同一境遇に執着して、それより一歩外へ出ることのできぬような意気地なしでは困ったものである。
中には、心中では、これではならぬ、も少し何とかせねばならぬと焦慮しておりながら、決断力が足らぬために、いつ迄もその境遇にあまんじている人々も随分多い。無論、時と場所によって、ここのところは敢然と思い切るべき時か、あるいは、今は忍耐すべき時であるかということは、まず考えねばならぬ。
○
世の、苦しんでいると称する人々の実情をみるに、その九分九厘までは、いずれも自分で自分をしばっているのである。やっていることに無理があるのである。
たとえば、小児の身に重量の荷物を負わして強いて歩かせんとしたり、にぎった手を放せば、壷からわけなしに抜けるのに、そうはしないで、手が抜けん、ぬけんと言ってわめいていたりする類のことが多いのである。
楽なようにしたらよいのに、わざわざ苦しいように、窮屈なようにとしているのである。
各自の目の前にたんたんと通じている大道を歩まずに、わざわざ細い横道へまわって迷っているのである。
要するに、自分で楽なと思うようにさっさとしたらよいのに、くだらぬ外分にとらわれて、強いて内心をおさえているから苦しいのである。特に、世間体をはばかるなどということは、一番バカ気たことである。」
『信仰覚書』第6巻 出口日出麿著