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【人生ノート 213ページ】 たよりない世の中に、たよりとなるはお日さまとお月さまとだけだ。

 

人間の他愛なさ


すこしく横文字が読めだすと、もういっかどの学者になった気持ちになり、医学校を出て四、五年もたつと、もう俺ほどの名医はないように思い出すものだ。そこが可愛いところであり、間違ったところである。

考えてみれば、たったこの間まで鼻汁(はな)たれ小僧であった連中が、いつの間にやら、学士になったり事務官になっているのだから世話はない。つい先達てまで、トンボつりに夢中になって、この角先を朝に晩に駆けずりまわっていたのに、ころ頃はどうしているだろうかと思っているうちに、もういっかどの哲学をコネまわしたり、こちとらが読んでも訳のわからぬ述語をたくさんならべた本を書いたりしているのだから早いものだ、あきれたものだ、かしこいものだ。革とじの本を二、三冊も読むと、造られた小さい人間の分際で、宇宙の組織が飲みこめたような態度になるところに、人間の稚気とバカバカしさとがある。そのくせ、関東大地震のようなのが、二、三度もつづけてあってごろうじろ。青菜に塩どころではない、目ん玉ばかり充血さして、足を宙に、手や腰をヘンな恰好に、ちょうど、この頃の表現派とやらの絵そっくりの世の中になってしまうのは、分かりきっている。

ちょっと褒められると、急に一足飛びに大家になりすまし、ちょっと攻撃されると、一時に勝ちが下落したと思うたり、思われたりするたよりない世の中に、たよりとなるはお日さまとお月さまとだけだ。

おれほどの者はないものばかりがより合うて、角つき合い、鼻つき合い、口さきばかりのつき合いで、結構な政治や研究がでけて、人類が日一日と長足な進歩をとげてゆかぬことは当りまえだ。

この度は、かくれていた神と人との力くらべ、智恵くらべだ。敵対うものは、あくまで敵対うがよい。長い鼻を一々ねじ折って、チト痛いだろうが、その折り口を磨き粉で、まるくなるまで磨いて進ぜよう。それがいやな者は、早くかぶとを脱ぐがよかろう。でなくば、永遠のアンチ・パラダイスで

針の山から鬼の鉄棒ダンスでも見物するがよかろう。

『信仰覚書』第四巻、出口日出麿著

【これまでの振り返り】


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