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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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2021年11月の記事一覧

【人生ノート 185ページ】 どんなつまらぬものにでも、そのもの以外では務まらぬ使命がある。だから決して、他のものを蔑視してはならぬ。

まず健全な肉体を 自分をつまらぬと思う癖よりは、えらいと思うくせが普通なり。ゆえに、ちょっとしたことに腹が立ったり、癪にさわったりするなり。むしろ、真に自分は小さい、つまらぬ者だと思うようにするべし。 ○ どんなつまらぬものにでも、そのもの以外では務まらぬ使命がある。だから決して、他のものを蔑視してはならぬ。 ○ 自然に身にそなわっているのが、すなわち生まれつきなり。各自よく人を観、また自分に省みるべし。特に自分のことは、なかなか分からぬものなり。よくよく省みるべし。

【人生ノート 186ページ】 実力以上によく見てもらわんと願ったり、いまの気持ちの反対を見せようと努力したりするから苦しいのだ。

自己をかざるな 自分に何かひけめのある人は、こちらは何とも思っていないのに、自分でいろいろと案じ過ごして、その行動がなんとなく陰うつとなりやすい。 貧窮な人が富者のまえへ出ると、なんとはなしに相手を疑うような、呪うような、そして、つねに自己に対して侮蔑をあたえているかのように感じやすい。そのために両者のあいだに、いい知れぬミゾができてくるものである。 優者はつねに劣級の者を侮蔑するときまったものではないのであるが、劣級者の常として、優越者に接すると、すぐにこの心配をはじめ

【人生ノート 189ページ】 自己を知るということはむずかしいことだが、大切なことだ。

宿命とは素質の発展 自分で、うまい工合に言い訳の理屈をつけて、人間というものは利己を行うものだ。 しかし、大局から見れば、何事も宿命である。みな、なるままになって行くまでだ。 実際、人間の目に見ゆるところをもって、ただちに、善悪正邪を区別することはどうしてもできぬ。要するに、あくまでも、我に厳で他に恕であるよりほか仕方がない。 見ようによって、理屈はどんなにでもつく。他人を悪く思うのは、自分が悪いからだ。「ああいう型の人だ」というだけで、悪人だというわけにはいかぬ。

【人生ノート 190ページ】 物事は周囲から、そうなってきたときは「勇気をふるい起こしてなせ!」という信仰である。

 私は原則として、活動主義であり、積極主義であり、体験主義である。  物事は周囲から、そうなってきたときは「勇気をふるい起こしてなせ!」という信仰である。  一時に一事を一心にすべきである。  先のさきまでを思いはかることは、心に倦怠をおぼえ、清新さをうしない、心が散ってかえって効果がないものである。  だいたいの見当はつけなければならないが、あまりもくろみすぎ考えすぎても、けっしてそのとおりにはならないものであるから、ただ、そのときそのときに一心をつくすべきである。  

【人生ノート 200ページ】言うまでもないが、感情は人間生活の基調なのである。これを度外視したところには、人間味はないのである。

感情第一 使用人を叱りつけるばかりでは思う通りにはならぬ。主婦が働いてみせねば、使用人は働くものではない。 人間は情には感ずるけれども、理屈には動くものではない。理智を主とする教育ほど間違っているものはない。 言うまでもないが、感情は人間生活の基調なのである。これを度外視したところには、人間味はないのである。 ○ 運ということをつくづく考えさせられた。運さえよい時にはドシドシ都合よくゆくが、運の向かない時にはいくらあせっても、あせれば焦るほど悪くなるばかりだ。 春に

【人生ノート 199ページ】 自分だけを見ずに、広く世間を見ていたまえ。いろいろなことがあるよ

 内省のない人に向上はない。  万事は人の問題。  たましいを広げよ  つねに耕せよ  人間は心の用い方が第一だ。  心の動きは必ず眼にあらわれるものであるから、どんなに装っていても、眼を注意してみればわかるものである。 「あの人のためなら……」といわれる人にならなければ、仕事はできない。  人をつかまえ、人を育て、人を使うことを知らないで、いたずらに自己の才能だけにたよっているようなことではだめだ。  真理は平凡なり。  平凡なる真理に透徹せよ。  最初が大事、

【人生ノート 198ページ】 心にわだかまりがなくて暮らしてゆける人が一番幸福な人であります。 

わだかまりない生活 いついつ迄に、ぜひこれこれのことを仕上げねばならぬというようなことが一番いやなことであります。小さい心で、一代や二代だけのことを計画してみても、スカタンを食うばかりではありませんか。なるようになって、その日その日を嬉しく、ありがたく暮らさしていただくのが一番よろしい。 食う心配、そのほか何によらず、或もののために心がしばられて苦しむほど嫌なものはありません。こういう生活を送っている人々が一番気の毒であります。みたまのよい人は、なおさら辛いことだろうと思い

【人生ノート 197ページ】 どんなことに対しても、歓喜の情をもって接すれば、かならず、相手もまたうれしくなり、ありがたくなるものである。

人の肉体心(そのときどきの人間的理知)ほどあてにならぬ頼りないものはない。人はそのときどきによって、勝手にどんなことでも思惟想像することができる。だが元来、人の思念なるものは、ことごとく霊界に根ざしているのであって、けっして、その人が勝手にそのときどきに作りあげられるものではない。ちょっと考えると、いやそうでなく、その時その時に勝手にどんなことでも思念し得るかのごとくであるが、その自己が作った思念なるものは、要するに、どこまでも自然界的単独のものであって、霊界との交渉は全然な

【人生ノート 196ページ】 心をゆたかに晴れやかに、温かくもつようにし、他に対して好感を与えるように心がけるべきである。

なんとなくそういう気持ちになる……ということが人間を動かしている実際だ。人はいろいろと理屈をいうが、理屈はどうにでも都合しだいにいえる。理屈を主としてはいけない。  すべては感情から発しているのだ。理屈ではない。  なんとなくそうした気持ちにさせるものは神だ。神は理屈で、または法律で人を動かしているのではない。  赤子は理屈はなにも知らないが、しかし両親をなつかしむ。理屈から生きているのでも、食べているのでも、死んでいくのでもけっしてない。ただ、なんとなく、そうした気持ち

【人生ノート 195ページ】よりよくなることに興味を持ちだしてくると、報酬などは目的とはしないようになり、ただ完成ということを目的として努力するようになる。

真の学問 歴史というものは、国民教育の上にもっとも必要な学科である。一国民のことだけでなく、広く世界的な歴史を、ぜひ、ひととおり心得ておかなければならない。われわれの先祖は、今までどんなことを考え、どんなことをしてきたかということを知るとともに、人間というものについて、深い教訓を得ることができる。  人類はじまって以来、何十万年になるかしれないが、その間、かれらは何をしてきたか? 接触しては戦い、戦っては和し、和しては考えと、いくたびとなくくりかえしてきた今日でさえも、なお

【人生ノート 194ページ】強いてはならない。強いられてはならない。十人十色の心のままに思う存分すすましめよ。

 今までの世には、偉人や聖人はたくさんあったが、神人はまれであった。  威ばる者ほどもろく、怒る者ほど小さく、残酷な者ほど弱いのである。そして、頑固なものほどころりとまいりやすいのである。だから、これらはみなすこぶる御しやすい。  いちばん難物なのは、ばかか利巧か、知っているのか知らないのか、平気なのか困っているのか、どっちがどうやら、わけのわからない人物である。  情の人はおぼれやすく、理の人は育てず。  情理かねるところ、はじめて信あり。  われとわが身を正確に評価

【人生ノート 193ページ】 心の持ち方さえ変えれば、世界は自由自在にかわっていく。

この世は想念の世界 この世はまったく想念の世界である。  想念すなわち形相である。想念は形相をつくり、形相は想念を呼ぶ。 「善を思えば善となり、悪を思えば悪となる」のであり、_朱にまじわれば赤くなるのである。  だからわれわれは、つとめて心をゆたかに晴れやかに、温かくもつようにし、たとえ不愉快なときでも、形においてはつとめて美しく晴れやかに、他に対して好感を与えるように心がけるべきである。  自分の愉快はなるべく他人に分かつようにし、不愉快はなるべく他に移さないようにと心

【人生ノート 192ページ】 人生とはどんなつらい環境にあっても、これを切りぬけようと努力をつづけるところに人生はある。

人生とはどんなつらい環境にあっても、これを切りぬけようと努力をつづけるところに人生はある。  いたずらに他をうらみ、世を呪ってはならない。  何かに向かって働くのが人生だ。  貧窮になってみて、はじめて、貧乏のどれほど辛いものであるかがわかる。病気になってみてはじめて、病人の気持ちが了解できる。死んでみて、はじめて、死というものが理解できる。  宇宙は大学であり、真理はどぶの中にもころがっている。  たえず何かを求めて、あがき苦しみ、もがき呻いて、そして、ついに何かを悟る

【人生ノート 191ページ】 一般に「こうあるべきだ」ということはいい得るが、つねに「こうなくてはならぬ」ということはけっしていい得ない。

 理屈を好まないおだやかな、ぼんやりとしたあたたかい心が神の心である。これに反して、落ちつきのない、冷ややかな理屈っぽいのは、けものの心である。  人体は霊の宿泊所であって、自己の心と感応するいろいろな高級霊、低級霊を容れることができるのである。このように作られているのであるからいたし方がない。だから、人は常に内心をつつしみ清めて、かりにも悪を思わないようにしなければならない。常に、われとわが心を省みて、悪魔のつけこむ隙のないようにしなければならぬ。  人とつきあっても、こっ