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【人生ノート 199ページ】 自分だけを見ずに、広く世間を見ていたまえ。いろいろなことがあるよ
内省のない人に向上はない。
万事は人の問題。
たましいを広げよ
つねに耕せよ
人間は心の用い方が第一だ。
心の動きは必ず眼にあらわれるものであるから、どんなに装っていても、眼を注意してみればわかるものである。
「あの人のためなら……」といわれる人にならなければ、仕事はできない。
人をつかまえ、人を育て、人を使うことを知らないで、いたずらに自己の才能だけにたよっているようなことではだめだ。
真理は平凡なり。
平凡なる真理に透徹せよ。
最初が大事、最後が大事。
たとえば、ある一つの山について論じる場合でも、単に人のうわさや地図で知っているくらいの程度で論じる場合と、実地にふもとに立ってのときと、山腹にいてのときと、山頂をきわめてのときと、それぞれ立場が違うにしたがって考えも違ってくるのは当然である。
大きい見地からものごとを考えずに、小さい一個人の利害や理知を中心として判断するのは、ひじょうな誤りである。
喫みあいたときの百本のタバコと、喫いたいと思うときの一本のタバコとでは、百より一がありがたい。
世の中にはおうおう、表面の計算とはあべこべのことがある。
世の中を渡り比べて今ぞ知る 阿波の鳴門に波風もなし
といって、過ぎ越し方をふり返ってみれば、ずいぶんあぶない丸木橋も数多く渡ってきたものである。阿波の鳴門ぐらいは、生命さえなげ出す覚悟でおれば、いつでも平気で舟を乗り入れることができるが、この人の世ではそうはいかない。死ぬに死なれず、生きるに生きられぬ羽目におちいることが幾度となくある。
なるほど、考えてみれば、この世は苦しい、淋しい、辛い。しかしながら、ほんとうは、苦しいのも淋しいのも辛いのも、みな自分であって、世の中ではない。
いくら得ても、少しも他人の妨げにならず、しかも、自己はこれによってますます栄え輝いていくのは、徳と知識と技術とである。
物質はわれらに、霊界の型、すなわち宇宙の真を教えるための玩具である。ゆえにこれは一時的のものであって、たいした価値のないものである。
ことに物質は、自分がより多く得るだけは、他人の分が減らされているのである。このような物質に執着して、この大宇宙の真をみることを忘れている人たちに、天災地変は、ある意味においてひじょうな薬であろう。
自分だけを見ずに、広く世間を見ていたまえ。いろいろなことがあるよ。
『生きがいの探求』、出口日出麿著