【人生ノート 189ページ】 自己を知るということはむずかしいことだが、大切なことだ。
宿命とは素質の発展
自分で、うまい工合に言い訳の理屈をつけて、人間というものは利己を行うものだ。
しかし、大局から見れば、何事も宿命である。みな、なるままになって行くまでだ。
実際、人間の目に見ゆるところをもって、ただちに、善悪正邪を区別することはどうしてもできぬ。要するに、あくまでも、我に厳で他に恕であるよりほか仕方がない。
見ようによって、理屈はどんなにでもつく。他人を悪く思うのは、自分が悪いからだ。「ああいう型の人だ」というだけで、悪人だというわけにはいかぬ。
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人間の素質というものは、なかなか容易に変ずるものではない。気性の荒い人は、幾度生まれかわっても荒く、やさしい人は、やはり優しい。ただそれが、生を経るにしたがって「まるみ」をおびてくるまでだ。
荒っぽい人の肉体は、多くは荒っぽくできており、やさしい人のは、やさしくできているのも争われぬ。
そして、たいていの人が、自分はどうした型の人間であるかを知らない。自分はいっかどの者であると思いがちだ。ゆえに、自分のごとくに他人のしないのをもどかしがり、また、自分のすることに他人が干渉するのを「失敬な」と思う。
自己を知るということはむずかしいことだが、大切なことだ。
宿命とは、人の素質の発展である。
素質をすこしでも変ずることができたら、宿命はガラリと変わる。素質を醇化せんとせば、まず、自己を知らねばならぬ。
『信仰覚書』第四巻、、出口日出麿著