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《世界史》ローマ帝国の東西分割
こんばんは。
Ayaです。
久しぶりのローマ史の更新です。
軍人皇帝時代(235〜284)
ヘリオガバルスの後に即位したいとこのセウェルス・アレクサンデルも給料未払いのため暗殺され、帝国は再びの混乱に陥ります。
ネロやコンモドゥスの死後にも同じようなことが起きましたが、今回はさらに複雑な要因が追加されていました。
それは、蛮族などの外敵による領土への侵犯です。この侵犯を阻む目的で、辺境各地への
《世界史》ローマ帝国の退廃
こんばんは。
Ayaです。
久しぶりにローマ史を更新しようと思います。
コンモドゥスが暗殺されたことで、ローマ帝国は再び混乱の時代を迎えました。
五皇帝の年(193年)
コンモドゥス暗殺の翌年・193年はネロの死後のように、次々と皇帝が入れ替わる年となりました。五皇帝の年と呼ばれています。
まず最初に即位したのは、ペルティナクスという人物でした。彼はコンモドゥス暗殺犯と密約を結んでいて、擁立さ
《世界史》五賢帝の時代
こんにちは。
Ayaです。
久しぶりに《世界史》マガジンを更新しようと思います。
ネロの死後のゴタゴタを経て、五人の優れた皇帝が即位しました。彼らを『五賢帝』と呼びます。この時代にローマ帝国の領土は最大となり、繁栄の絶頂を迎えました。
ネルファ(35〜98)
ネルファはネロやウェスパシアクスの時代に立身出世を果たし、ティトスとドミティアヌス兄弟の養育係もつとめていました。ドミティアヌスの暗殺後
《世界史》コロッセオの建設
こんにちは。
Ayaです。
前回取り上げたネロの死によってカエサル・アウグストゥスからの直系が途絶えました。ネロの死の直後は混乱に見舞われましたが、かの有名な五賢帝の時代を迎え、ローマ帝国は繁栄の絶頂を迎えることとなります。
さて、ネロの死によって各地の軍団が推戴する皇帝が次々と入れ替わる混迷の事態となりました。なので、この年(69年)は『四皇帝の年』といわれることとなります。
四皇帝の年(69
《世界史》カリグラとネロ
こんにちは。
Ayaです。
今日は暴君として知られるカリグラとネロについて取り上げます。
アウグストゥスの死後、二代皇帝として即位したのは、義理の息子ティベリウスでした。彼は帝政を盤石なものとしましたが、養父と同じく後継者問題に苦しめられます。
生前のアウグストゥスの命令で、ティベリウスはアウグストゥスの甥・ゲルマニクスを養子としていました。しかし、そのゲルマニクスが養父ティベリウスの前に亡くな
《世界史》アウグストゥス
こんにちは。
Ayaです。
今回はローマ初代皇帝・アウグストゥスについてまとめます。なお、アウグストゥスは『尊厳ある者』という意味の尊称であり彼自身は名乗っていませんが、混乱をさけるためアウグストゥスで統一します。
アウグストゥス(B.C.27〜A.D.14)
アウグストゥスはB.C27年騎士ガイウス・オクタウィウスの息子として生まれます。母はカエサルの姪で、カエサルは彼にとって大叔父にあたり
《世界史》ガイウス・ユリウス・カエサル
こんにちは。
Ayaです。
B.C146年に強敵カルタゴを滅ぼした共和政ローマは、広大な属州(植民地)を持つようになります。属州から送られてくる穀物で豊かになった一方、軍の中核を担っていた農民たちの地位は没落していきます。この状況を憂慮したグラッスス兄弟は改革を行おうとしますが、二人とも暗殺されてしまいます。
こうした混乱のなか登場したのが、ガイウス・ユリウス・カエサルでした。すでにクレオパトラの
《世界史》古代ローマの共和制成立
こんにちは。
Ayaです。
今日から古代ローマについてです。とりあえず、古代ローマの成立からネロまでとりあげるつもりです。
伝説では、古代ローマの祖先はトロイア戦争の生き残りアイネイアス(ウェーヌスの息子)とされています。この伝説は紀元前4世紀ごろには確立されていたようです。しかし、ギリシアを属州とすると、トロイア戦争は紀元前12世紀ごろであると知り、時代があわないということとなったのでしょう。
《世界史》混迷の時代
こんにちは。
Ayaです。
アメリカ史最終回の今回は『混迷の時代』をとりあげます。
ソ連解体によって、アメリカは世界一の超大国となりました。しかし、平和は続かず、テロとの戦いに明け暮れることとなるのです。
アメリカ同時多発テロ事件(2001.9.11)
2001年9月11日、早朝。ニューヨーク・マンハッタンにあるワールド・トレード・センターはいつもの朝を迎えていました。午前8時46分、爆音と