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特性を武器に生きる
人の悲しみが自分の悲しみのように、人の痛みが自分の痛みのように感じることがある。この現象にわざわざ名前を付ける必要はないと私は感じているが、名前をつけて安心する人がいるならつければいいと思う。
心痛む事件があると、まるで自分が体験したかのように心身が痛む。癒してあげたくても私には何もできなくて、弔うことしかできないこともまた不甲斐ないと感じる。
こういった感じ方には何か、落としどころがあるのだろうか。私が共感覚での生きづらさの軽減を少しずつ見つけていけているように、こういったことにも気持ちの軽減方法がきっとあるのかもしれない。
特性として受け止め、軽減法を知ることは自分への救いになる。
今日は心理学の勉強をしたあと、復習の意味も兼ねて分厚い本を「音読」した。ディスレクシアという学習障害と、共感覚が引き起こす本の読みづらさを軽減するために、私は本を「音読」する。
視覚情報から聴覚情報に変えると、すらすらと本が読める。頭に入ってくる。それを知った時の驚きや感動は今でも忘れられない。
分厚い本の数ページだけ音読した私は、昼下がりの気持ちよさに眠気を誘い、悲しい事件から目を背けたいという想いもあり心を落ち着かせる薬を飲み、気が付いたら眠っていた。
共感覚であることに意味があるかもしれない、と以前の記事で書いたように、
この「人の心や体の痛みを自分のことのように感じる」という特性は、何か意味があるのではないだろうか。人の痛みがわからない人もいる、そんな中で痛みがわかるのだから、わかるなりの何かが出来るという「武器」になり得るのではないか。
自分の特性をつらい、つらいとマイナスに受け止めずにポジティブに受け止め、そこに何か意味があるのではないか。それを武器に生きていく術があるのではないか。
そんな風に考えてみることも、必要なのかもしれない。
山口葵
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