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15時の手紙

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ささやかな昨日のできごと。
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#結婚

お金がない楽しさの先へ。映画『PERFECT DAYS』によせて

「お金がない」ことは選べずとも「楽しさ」は選べる、と前回に書いたあと、その続きを考えさせるような映画に、年の瀬になって出会えた。 役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督作『PERFECT DAYS』。 (以下、映画の内容に触れますが、さほどネタバレはありません) 築60年超えの木造アパートで暮らす独居中年の、何も起きない日常をじっくり丁寧に描いている。 夜明けとともに起床し、敷布団をたたみ、植木鉢に水をやり、歯を磨き、髭を剃り、身支度を整え、トイレ清掃の仕事に赴く。玄関を

身近な友人5人の性格が、その人の本当の性格

月に一度くらいの頻度で、新婚の妻をぼくの友人に紹介している。 ぼくらは結婚式も披露宴もしていないので、個別にささやかな顔見せの場を設けている。 昨日も、幼馴染の友人夫妻と昼食をともにした。 学生時代の写真を持ってきてくれて、懐かしい思い出話に花が咲いた。 こんな話も妻には知っておいてほしいと思ったし、ぼく以外の視点から語られるぼくについての話も聞いてほしいと思っていた。 よく「一番身近な友人5人の年収の平均が、その人の稼ぎ」と言われるけれど、それに倣うなら「身近な友人5人

家事分担を決め事にせずにいられたら

諍いのきっかけは、家事分担だった。 妻が仕事から帰宅すると空腹を満たそうと、いそいそと夕飯を作り出す。ぼくも手伝うことを促される。 もちろん一緒に料理をすることはやぶさかでない(むしろ一緒に料理をしたいと思っている)。しかし、日によってぼくは空腹でもなく、食事はもう少し後でよいと思っていたりする。 妻は、サーカディアン・リズムに基づき、夕食は18時か19時には摂るのが望ましいと主張する。それが「時間栄養学」に依拠した「健康」の秘訣であると説く。ぼくにはいささか教条主義的

生活は、飽くなき回転体

ふたり暮らしを始めて気づいたことは、生活は回るということ。 衣類は、箪笥から、ぼくらの袖を通して、洗濯機に、物干し竿から、畳まれて箪笥に。 食糧は、店先から、うちの食品棚に、ぼくらの胃袋を通って排泄物に。 住居には、用具が収まり、活用されて掃除し、ゴミに出されて埋立地に。 図書館の本は、うちに移され、脳内に収まり、やがて返却される。 ひとところに、とどまらない。 お金も回る。情報も回る。掃除も回る。時計も回る。 エネルギーも回る。気温も回る。地球も回る。血液も回

この夏の幸せの風景

8月31日には夏の終りを感じたいのは、なぜだろう。 空に浮かぶ雲のかたちに、時刻の早くなった夕暮れに、そこに吹く風に、鈴虫の音色に、夏の終りの証を見つけ、ひとときの宴が終ったような寂寥感をひとしきり得たい。 そもそも夏の終りが、名残惜しいのはなぜだろう。 冬の終りはさほど寂しくもないのに。 夏の盛りには早く涼しくなってくれればとあんなに願っていたのに。 だから慌てて、この夏のできごとを指折り数えて思い出している。 芝生の公園にラグとLEDランタンを持って、寝転がって読

3年くらい一緒にいるみたいな3ヶ月

結婚して3ヶ月になる。 婚活アプリで出会い、とんとん拍子でスピード婚したぼくらは、結婚式も結婚指輪もなく、SNSで周囲に公表することもせず、ひっそりと共同生活をしながら入籍しただけなので、するすると日常生活の地続きで新婚生活が始まった。 もしかすると3ヶ月もすれば違和感なども現れるのかもしれないと身構えたものの、そんなことも杞憂で、お互いにずっと昔から知っていたような気がしている。 妻にはよく「無理してない?」「我慢してない?」と訊かれる。 人知れず負荷を覚えたままでは生活

それで君はどう生きるのか

劇場長編としてはほぼ遺作になるのだろうという覚悟とともに、いやむしろ、『風立ちぬ』がフィナーレかと思っていたので「まだもう1作観られるのか」という喜びとともに映画館に出かけた。 宮﨑駿監督、最新作『君たちはどう生きるか』。 だから、冒頭の青い画面にトトロの画が描かれたクレジットの、「©︎スタジオジブリ2023」の文字を見た時点で、早くも感極まりそうだった。ああ、2023年にも新作を出してくれたのだなと。 (以下ネタバレを含みます) この映画は、宮崎監督の集大成として創

傲慢と善良と偏見

ぼくと妻は婚活で出会い、10週間後に結婚した。 衝動的な「スピード婚」に映るかもしれないけれど、ぼくとしてはむしろ慎重にことを運んでいる意識があった。 すぐに一緒に暮らしてしっくりきていたし、お互いの両親にも紹介し終えて歓迎してもらえていたので、無為に入籍を引き延ばすほうが違和感があった。 式は挙げず、結婚指輪も買わず、知人や親戚にとりたてて報せることもせず、二人だけでするすると日常の地続きのように、ごく自然ななりゆきとして新婚生活が始まった。 そして結婚後に、いろいろなこ

絆が深まるか、溝が深まるか

電動自転車は、夕暮れの鴨川を疾駆していた。 妻が前方を走っている。なだらかな下り坂で、ほとんどペダルを漕がずともするすると風を切って進んでいく。 上賀茂神社を出たときには山向うに陽が沈み、闇に呑まれるまでの青白い光が空に取り残されていた。日中は35度を超える酷暑だったけれど、この時刻には30度ほどに落ちていた。川面を渡る風が存外に涼しい。蝉の鳴き声が通り過ぎていく。 川べりでは時おりジョギングする人とすれ違うくらいで、妻はしぜんと陽気に歌を口ずさみだす。自転車の籠には、行き

お金と不安の関係

妻とよく話す話題がある。 実入りを増やすために、副業などのシフト勤務を増やすべきか? 将来への蓄えはどのくらいあれば適切なのか? 時間は有限で、お金もほぼ有限となると、トレードオフになることが多いので、どちらを優先すべきかは多くの人が頭を悩ませることかもしれない。 ぼくの結論は、おおかた出ている。 自分の「時間」を優先する。 「お金」は食うに困らない程度にあれば十分で、もし余禄を得るにしてもなるべく自分の時間を奪われずに(人的資源を投下せずに)稼げる方策を考える。それが実際

怒りを抑えるのではなく、怒りの必要がなくなるように

ぼくはそれほど怒りやすいたちでもないとは思うけれど、苛々してしまうことはたびたびある。すると、妻はてきめんに悲しげな眼をする。(妻に対してでなく、他人に対して苛立ちを覚えたときでも同様だ) 「急にカッとスイッチが入る人が苦手なの」 ぼくもそこまで「怒った」わけでなくとも、妻は声音を聞き分ける鋭敏なセンサーを持っているので、ほんのわずかな怒気であっても察知され、カウントされる。 ぼくは異論を試みる。「人間、気分を害することがあるのは、そんなに責められるべきことなのかな」 すると

すべては青い春の夢

そこには、ぼくの知らない妻が写っていた。 飲み会、集合写真、勉強会、プライベート旅行。 ぼくと出会う前の、ずいぶん昔のフェイスブックにタグ付けされた写真群をスクロールして見せてくれた。 どれも笑顔が素敵で、ありあまるエネルギーがオーラのように画像に焼き付いている。楽しそうだった。 あのころは必死だったな、と彼女は懐かしむ。たしかに必死そうだな、とぼくも思う。 意志の強そうな瞳が、すこし意外だった。 よく言えば情熱的な気の強さが、悪く言えば衝動的な危うさが、どことなく垣間見え

最も誠実な人は

暑い盛りの昼下り。大学時代にお世話になった文学教授のお宅に、妻のみみさんを伴って訪問した。 教授はだいぶ以前に退官されているので「元教授」ではあるけれど、文学翻訳や評伝の出版は数年に一度のペースで続けられている。ぼくは直接講義を受けたことがなかったのに、卒業後も折々にお目にかかって近況を伝え合うという、不思議な親交が長く続いている。 先日の結婚を報告すると、自宅に温かく招かれた。郊外線に乗り、新茶の手土産を携えて、数年ぶりにうかがった。 古いマンションの5階からは、窓越しに

健康になっている!

ぼくら夫婦は毎日、便通の回数の共有している。 これはだいぶ奇特なことかもしれない。 (便通を直接呼称するのは気が引けるので、「うーさんがきた」「Wooo-san comes」と言い合っている) 便通に留まらず、ぼくの血圧や、妻の生理も把握している。 そこに恥じらいや衒いの類いはなく、今日の天気を確認するのと変わらない調子で報告し合い、確認し合う。 これは健康のバロメータだからだ。 その情報を元手に、食材や献立を考える。(食物繊維を増やしたり、腸内環境を整えたり、肉食を減ら