最も誠実な人は
暑い盛りの昼下り。大学時代にお世話になった文学教授のお宅に、妻のみみさんを伴って訪問した。
教授はだいぶ以前に退官されているので「元教授」ではあるけれど、文学翻訳や評伝の出版は数年に一度のペースで続けられている。ぼくは直接講義を受けたことがなかったのに、卒業後も折々にお目にかかって近況を伝え合うという、不思議な親交が長く続いている。
先日の結婚を報告すると、自宅に温かく招かれた。郊外線に乗り、新茶の手土産を携えて、数年ぶりにうかがった。
古いマンションの5階からは、窓越しに遠い山並みが見えた。ベランダには大事に育てられている真紅の花が眼に鮮やかだった。まったく華美ではない、シンプルに整った内装。家はこのくらいこざっぱりした感じでよいのだと思わせる落ち着きがあった。
教授夫妻とぼくらの四人でリビングテーブルを囲み、手作りのお茶請けをつまみながら夕暮れまで話しこんだ。(みみさんを紹介する場となったので、彼女にはたくさん喋ってもらうことになった。少し気疲れさせてしまったかもしれない)
教授は昔とちっとも変わらない雰囲気で、ぼくは終始懐かしい思いに浸っていた。
きっぱりした率直な物言いも、言葉を一語ずつ考えこんで言い淀むような話しぶりも、まるで変わらない。いつも会うたびに背筋の伸びる思いがする。言葉が軽くない。本当の謙虚さとは、長年勉強し続ける姿勢の中に滲むものなのだと考えさせられる。最も誠実な人は、勉強し続ける人なのだ。
陽が傾くにつれ、涼しくなった風が部屋を抜けた。
これまでは教授と二人で会って世間話をしていたのに、今は家族同士として会って四人で話している。こんな日が自分にも訪れるなんて、とひときわ感慨深さを覚えた。
胸一杯の余韻に浸るように、途中下車して川沿いを暗くなるまで散歩してから家路につく。
すでに高齢となった教授にお目にかかれるのは、ともすると今回が最後かもしれない。今日のことを、ずっと忘れずにいられるだろうか。日曜日の昼下り、夏の始まり、澄んだ気持で過ごした静謐な時間。