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この夏の幸せの風景
8月31日には夏の終りを感じたいのは、なぜだろう。
空に浮かぶ雲のかたちに、時刻の早くなった夕暮れに、そこに吹く風に、鈴虫の音色に、夏の終りの証を見つけ、ひとときの宴が終ったような寂寥感をひとしきり得たい。
そもそも夏の終りが、名残惜しいのはなぜだろう。
冬の終りはさほど寂しくもないのに。
夏の盛りには早く涼しくなってくれればとあんなに願っていたのに。
だから慌てて、この夏のできごとを指折り数えて思い出している。
芝生の公園にラグとLEDランタンを持って、寝転がって読書した。
黄昏の荒川をサイクリングした。
夜の多摩川を歩きながら、遠くの打ち上げ花火を見つけた。
散歩の途中でいくつもの夜祭に遭遇した。
甥っ子と花火をした。
京都に初旅行をした。
イケアにも出かけた。
映画館で映画を見て、カフェで感想を話した。
ピアノ三重奏のリサイタルに出かけた。
上野の旧岩崎邸庭園と横山大観記念館に出かけた。
頂き物のサザエのつぼ焼きや夕張メロンや飛騨牛ステーキを食べた。
バナナケーキやスパニッシュオムレツも焼いた。
夜間の救急外来にお世話になった。
ビアガーデンで通り雨に降られた。
満月を見に夜の公園に出かけた。
なんのことはない、ささいなできごとの集積。
これがこの夏の風景。
日常の中で見た、穏やかで健やかだった幸せの風景。