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身近な友人5人の性格が、その人の本当の性格
月に一度くらいの頻度で、新婚の妻をぼくの友人に紹介している。
ぼくらは結婚式も披露宴もしていないので、個別にささやかな顔見せの場を設けている。
昨日も、幼馴染の友人夫妻と昼食をともにした。
学生時代の写真を持ってきてくれて、懐かしい思い出話に花が咲いた。
こんな話も妻には知っておいてほしいと思ったし、ぼく以外の視点から語られるぼくについての話も聞いてほしいと思っていた。
よく「一番身近な友人5人の年収の平均が、その人の稼ぎ」と言われるけれど、それに倣うなら「身近な友人5人の性格が、その人の本当の性格」と言えるかもしれない。(類は友を呼ぶとすれば妥当な話だ)
だから友人を紹介することは、半ば、自分の客観的な立ち位置を開示することになる。友人を鏡像にして、自分の評価が反射される。
(もちろんそんなことを考えて友人付き合いをしてきたわけではないけれど、これは否めない側面だろう)
ぼくは集団付き合いが苦手なので、これまで友だちとはほとんど一対一で付き合ってきた。友だちは多くない。それでも各学校、前職の同僚、今の仕事仲間などそれぞれに友だちがいるので、そんな友人たちを5人も集めて濃縮すれば、かなり正確で立体的な「自分像」が立ち上がるのは間違いない。
同時に、友人の目を通して「妻とぼく」がどう映るかもフィードバックされる。
付き合いの長い友人からすれば、「ぼくと合うか」は一目瞭然だろう。
結婚相手に関して、友人や親族からの目線を気にしたことはなかったし、気にしたくもないと思っていたけれど、まったく無視することもまた難しいと感じている。
思えば、長年付き合ってきた友人たちは「かつてのぼくの分身」のようなものかもしれない(たとえ性格や人生観にいくらかの隔たりが生まれていたとしても)。
妻もやがて自他の境目があいまいになるにつれ、ぼくらは写し鏡の分身になっていくかもしれない。
それは少し楽しみだったりもする。
幼馴染の友人は「奥さんが本当に良い方で安心しました」と、帰りにLINEをくれた。
妻を友人に紹介した帰り道はいつも、ぼくはひときわ幸せな気分になる。