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歴史

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2020年6月の記事一覧

大学生2

大学生の春休み、気持ちが塞ぎ込みがちだったある日
リビングにあるテーブルが無性に虚しく感じられた。

″物が虚しい″という感覚は初めてで、未だによくわからないのだが
とにかく虚しくて仕方なかった。

後にも先にも、物にそこまで虚しさを感じたことはない というくらいだ。

虚しくて虚しくて、死にたくなった。

これも未だにわからないが
とにかく死にたくて仕方なかった。

この理解できない感覚により

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大学生1

私は演技が上手いほうだと思う。

それまで、病気を隠すために
場をやり過ごすことを日常的に続けてきたからかもしれない。

だけど、大学生になると、もう隠しきれなくなったのか
友人に気付かれるようになった。

もしかすると心のどこかで「多少知られても仕方ない」という気持ちが芽生えていたのかも。

当時一緒に過ごしていた子たちは
ちょっと幼くて、ターゲットを変えて嫌がらせをする節があった。
私の手洗い

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高校生3

高校に入ってから、飲食店でアルバイトをした。

臭いが強烈な場所があり、いつも吐きそうになるのだが
他の人はさほど気にしていないようだったので
「自分は鼻が良いほうなんだ」と気に留めないようにした。

仕事では、触れない物などはなく
洗い物も、ゴミの片付けも、人並みにやって
退勤する時の手洗いも人並みに。

本当は、汚れも臭いも取れていない感覚で洗い足りないので
別の場所に立ち寄って洗うようにして

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高校生2

行動が鈍いわけではなかったが
強迫行為によって、何をやるにも時間がかかる。

そのため、子供の頃から
待ち合わせは後に着くほうが多かった。

中高生になると、見た目に関わる身支度にも時間がかかるようになるので
遅刻することが多かった。

悪意がなくても遅刻。
言い訳を考える癖がついてしまった。

辛く感じる一方で、ルーズなキャラクターでいることは
相手にも自分にも″私は細かくなんてない、ゆるい奴な

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高校生1

部屋がゴミ部屋になった。

掃除ができないうえに
一度汚いと判断すると、むしろ自ら汚すようなことをする。

何故だか、きれいと汚いを
より明確に分けようとするのだ。

もう、閉鎖された空間しか信用できなくなり
最後の砦といわんばかりにクローゼットだけが
″きれいな物を置ける場所″となった。

万が一クローゼットの扉が空いていて
汚いものが侵入してはいけない と
扉を閉めるときは力ずくて押し、何回も

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中学生3

長期休みの大掃除がさらに過酷になり、鬱っぽくなっていた。

この頃から、自分の強迫行為に対して
命がけ という言葉を使うように。

真夏でも真冬でも、飲まず食わずでも寝なくても
儀式を完璧に遂行しなくてはならない。

「これさえ終われば」という希望を頼りに、血走ったような目をしてやり続ける。

が、実際には底なし沼。

中学生にして、腰が疲労骨折に近い状態になり
今尚悪いままだ。

中学生2

とある授業では、ノートをとるのではなく
先生が用意したプリントに穴埋めをしていくスタイルだった。
重要な箇所は、赤ペンで。

その赤ペンで書く作業が特に難しかった。

そもそもは、字の少し薄いところを修正するという目的でなぞるのだが

その″なぞる″作業がやめられない。

繰り返して太くなった文字が不格好になるので
それをならすために、塗りつぶしたり。

特定の箇所にインクがのりすぎて
プリントが

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中学生1

中学生になると、とにかく周りの目が気になるように。

人前で手洗いを長くしてしまったら″終わり″だと思っていた。

学校では女友達と常に行動を共にしていて
トイレに行くのも一緒。

なので、手洗いの工程を工夫し「これを完了すればOK」というルールを設けた。
どうにかやり切ることができていた。

おかげで、この頃は最も手洗いの時間が短かかった。

しかし、家での症状は悪化。
いくら掃除をしても、キレ

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高学年3

学校で、手洗いの時間が最も長かった時期。

手洗いだけでなく絵の具のセットを洗ったりするのも大行事で
1人で手洗い場に残るのが当たり前の光景だった。

冬は冷たい水との戦い。休憩しながらでないとできない。
いつも手が真っ赤だった。

この歳にもなると友人から
「〇〇ちゃんて、潔癖症?」と指摘された。
「え⁈なにそれ?」って引いている子もいた。

私は「な訳ないじゃーん」みたいなかんじで
必死で誤魔

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高学年2

思春期になり、過食傾向に。

お腹は空いてないんだけど、欠乏感を満たさずにはいられず
ご飯やお菓子を食べ終えると、家にある食料を探し漁っていた。

戸棚の奥に眠っている古いもの
(例えば海苔とか、ハチミツを舐めるとか)
を食べ続ける。

身体の許容範囲をとっくに超えているから
よく具合が悪くなったり、下痢をしていた。

当時は過食症という病気がポピュラーではなかったため、自分では″ストレス食い″と

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高学年1

高学年になると、もう日々の掃除をしきれなくなり
長期の休みに大掃除を計画。

今考えても、これがとにかく過酷だった。

まず、手をつけるタイミングやその時の自分の状態までも
観念に従っていないとNG。

ほぼ不眠不休で、数時間の仮眠も
計画通りに起きれなければ、様々な儀式をやり直さなければならない。

終わるまでお風呂に入ることを許さず、一週間以上入らなかった。

もちろん、入らなかった期間に着て

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中学年3

本をスムーズに読みすすめられなかったのも
おそらくこの頃からでした。

最初の記憶は、教科書でなく
漫画でした。

漫画のイラストや台詞を何度も遡って確認。
時間がかかりました。

反復確認せずに進んでしまうと
落とし物をしたまま歩いているような感覚です。

この症状は現在でもあり、本だけでなくドラマや映画でも同じです。

中学年2

そしてこの頃、新たな症状がありました。

頭に浮かんでくる不道徳な言葉を
口に出さずにいられない というものです。

当時の年齢で知っていた不道徳ワードなんて
たかが知れており
浮気、万引きの二つだったと記憶しています。

例えば、万引きなんてするはずがないのに
頭にワードが浮かんでしまったから
母に「万引きしようと思った」と伝えるのです。

当然母は「何言ってるの?!」と
怒ったり悲しんだりして

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中学年1

手の荒れの延長で、爪先をいじって
自ら出血させるようになっていました。

皮や爪を剥いたり、酷い時には
爪切りでえぐったり。

唇の皮も同様で、唇はすぐに血が出るので
いつもベロベロ舐めていました。

自分でもびっくりしたのが
祖母の家で食後、コタツにあたってテレビを観ながら
無意識に唇の傷に塩を塗り込んでいたことです。

父に発見され、ひどく叱られました。