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エッセイのようななにか

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#エッセイ

「人間」になりたい

「人間」になりたい

Photo by すしぱく

妖怪人間ではないのだが、
時々心のなかで「ああ人間になりたい」とつぶやいてしまう。

きっかけはギヴンの「まるつけ」という曲を聴いたことだった。

僕らはどうかな 上手いこと
「人間」をできてるかな

そのフレーズを聴いてハッとした。
ああ私は毎日、一生懸命、「人間」になろうとしている。
ちゃんなれているか、いつも不安に思いながら。

隣人を愛し、弱き者は助ける。

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色気と個性は香水のように

色気と個性は香水のように

自分の気配を消して役割を演じ、相手を喜ばせることだけに徹したとき、最高のパフォーマンスが生まれる。

しかしそうすると反対に、自分の個性がより良い形で輝く。

いくら消そうとしても、自分というものからは逃れられない。
だから隠しきれずに少しだけ滲み出る。
それが良い個性の現れ方だと思う。

色気にも同じことが言える。

どちらも香水のように、強すぎれば不快になり、さり気ないほど香しい。

というこ

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仕事を辞める日を決めたらいい仕事ができるようになった

仕事を辞める日を決めたらいい仕事ができるようになった

いい仕事ができるようになった。
というのは個人的な感覚であって、実際の仕事のクオリティが高いのかどうかは正直わからない。

しかし、タイトルのように「今の仕事を続けるのは長くても来年の◯月◯日まで!」と決めてから内面に劇的な変化があった。
とてもポジティブに、目的意識を持って仕事ができるようになったのだ。

決めるまでの私は、仕事を辞めるか辞めないかただグダグタ自問自答を繰り返すばかりだった。

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肉布団に徹する

肉布団に徹する

今私は肉布団に徹している。

そう書くと「頭がおかしいなコイツ」いう目で見る人がいると思うが、もうちょっと読んでほしい(ページを閉じないで!)。

膝で猫が寝ているのである。
つまり今私は、“猫用の”肉布団になっているのだ。

猫を飼ったことがある方には共感してもらえると思うが、猫と布団で一緒に寝たり、寝ている猫を膝に乗せるのはとても気を使う。

人間がモゾモゾモゾモゾ動けば、猫は居心地が悪く

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ボールペンとペーパーナプキン

ボールペンとペーパーナプキン

よく行く喫茶店のマスターにボールペンを借りたことがきっかけだった。

その時お店には、わたし、マスター、マスターの友人がいた。

以下、そこでの会話。
(わ→わたし、マ→マスター、友→マスターの友人)

わ:「すいませんすこしの間ボールペン貸していただけますか?忘れてしまって…」

マ:「いくらでもどうぞ。なに書くの?日記?」

わ:「そうです日記で…」

友:「(↑答え終わるより早く)え?ポエム

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体調不良のまま文章を書くとどうなるかやってみた

体調不良のまま文章を書くとどうなるかやってみた

具合が悪い。今、とても具合が悪い。
ふと布団の中で、「こんな具合悪い中書く文章なんてロクなものではないだろうな。面白くないだろうな」と思い、
わたしはこれまで無意識のうちに、「コンディションの良いときにnoteを書こう」と決めていたことに気づいた。
※普段のわたしのnoteがいかにおもしろいかそうでないかは置いておく

そこで今回は個人的な実験として(体調も最悪からは少し上向いたので)、体調不良の

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私は「わたし」を信じたい

私は「わたし」を信じたい

「自分を信じる」
というのは、とても孤独な作業だと思う

しかしそもそも「生きる」こと自体、
誰にとっても孤独なものだ

どんなに幸福でも、孤独なものだ

しかし「生きる」という孤独を優しく包むのもまた、
「自分を信じる」ことだと思う

他のだれも、わたしを信じてくれなかったとしても、
わたしがわたし自身を信じることで
生まれる希望の光がある
#詩 #エッセイ #日記

2019と”ほぼ日5年手帳”と

2019と”ほぼ日5年手帳”と

はやく2019年にならないかとひと月前からずっとそわそわしていた。

2019年始まりの"ほぼ日5年手帳”を購入したからである。

上の写真のように、同じ日付の日記の枠が5年間分まとめてあり、ぱっと開くと「○年前の自分は何をしていたのか?どんなことを考えていたのか?」ということを簡単に確かめられるのだ。
そんな自分の辞書のような、素晴らしいものを作りはじめることができると思うとワクワクして仕方がな

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近すぎてみえない

近すぎてみえない

「近すぎると見えない」というのは、不思議に感じると同時に真理だなぁとも思う。

自分を知りたいという欲求が、いつからかどんどんどんどん大きくなっている。

知りたいということはつまりわからないということ。
自分はここにいるのに、自分にはその像がはっきりと見えない。

そのことがとても不思議でおもしろく、辛くもあるし、「そりゃそうだよなぁ」とも思う。
目の前に人差し指を近づけて寄り目になりなが

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私のシェルター

私のシェルター

「助けてくれ!!!」と心の中で叫びながら駆け込む場所がある。

本屋である。
日常の中でつもりつもったモヤモヤが、容量を超えて爆発しそうになったとき、わたしはよくそこへ行く。

前に”わたしにとって本が心の杖(支え)である”といったことを書いたが(「わたしの杖は、紙でできている」より)、本屋は”杖を売ってくれる場所”ということになる。

心がバキバキに折れているときに、「なにか答えはないか!!!」

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聴くことが心に効く

聴くことが心に効く

最近、人と会話をしているときに
「ああ私の話なんていらないな」
とよく思う。

それは決してネガティブな意味ではなく、
目の前の相手の話をだまってきくことが一番その人の
やわらかな笑顔をみることができる気がする

ということなのだ。

聴く。「聴くという文字には“心“という文字が入っている。
心で相手の話をききなさい。」
ということを以前どこかで耳にしたが、妙に納得した覚えがある。

相手の話をさ

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はじめるから ハジマル

はじめるから ハジマル

「ブログやりなよ!」

こう言ってもらえたのは今日で2回目だ。
1回目は中学の友人に。2回目は成人してからできた友達に。
ふたりとも、「〇〇ちゃん(私)けっこういいこと言うからやってみなよ」というニュアンスの言葉で背中を押してくれた。

そんな風に褒めてもらって、文章を書くことを薦めてもらって、最初は謙遜した。
「そんな面白いこと書いたりできないよ〜〜」
と両手を激しく振って否定した。
ただ同時に

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あなたは 私の 神さま

あなたは 私の 神さま

6月12日の夜、祖母が亡くなった。
92歳だった。

「おばあちゃん、おはよう。今日は天気がいいよ。」「いってきます。」
「おやすみなさい。今日もありがとう。」

祖母にわたしの声がきこえているかどうかはわからない。
けれどわたしは、葬儀から帰った日からほぼ毎日、
気が向いたときに祖母の写真に手を合わせ、話しかけている。

それも、"手を合わせなくては"という義務感からではなくて、なんとなくそう

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わたしの杖は、紙でできている

わたしの杖は、紙でできている

杖、というのは人生の杖のことである。

人生と言うと大げさかもしれないけれど、わたしはこれまで生きてきた中でたくさんこれに助けられてきた。

紙でできた杖。
それは何かと言うと、あらゆるジャンルの本と、日記のことだ。

わたしは本のなかから、自分と同じように悩んだり苦しんだりする人々(架空の人物も含む)を見つけ、
共感してもらったような気持ちになったり、
困難をのりこえるアイデアや勇気をもらって

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