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聴くことが心に効く

最近、人と会話をしているときに
「ああ私の話なんていらないな」
とよく思う。

それは決してネガティブな意味ではなく、
目の前の相手の話をだまってきくことが一番その人の
やわらかな笑顔をみることができる気がする

ということなのだ。

聴く。

「聴くという文字には“心“という文字が入っている。
心で相手の話をききなさい。」
ということを以前どこかで耳にしたが、妙に納得した覚えがある。

相手の話をさえぎらず、否定せず、
聞き手個人の意見を押し付けないこと。

”心できく”というのはこれを実行することだと思う。

全部が清く正しい人間なんていない。
みんなきれいで、みんなきたない。
みんなやさしいし、みんなつめたい。
自分にとっての正解が、誰かにとっての不正解だったりする。

だから私は、人間が耳から入ってきた情報を
(とくに人の心について)ただ頭で処理して、
それで出た答えを押し付けても、
あまりうまくいかないような気がするのだ。
(科学についてはまた別である)

本当にただ相手の話を聴くことしかできない。
そんな現実に直面することはたびたびあるが、
自分の無力さが本当に辛くなったりする。

そこでなにか一言でも相手に伝えて、
相手を救ったような気持ちになって、
その無力感から楽になってしまいたい。
そんな欲求が私の胸を圧迫する。

でもその自己愛の塊をぐっと抑えることができた瞬間、
自分のちっぽけさに傷ついた瞬間、
相手がもっている傷をすこしだけ自分のものにして、
ほんのすこし痛みを分かち合うことができるのではないかと思う。

とはいえ、ついつい自分の話をしすぎてしまったり、
自己愛の圧力に負けていらぬアドバイスをしてしまったりする。
(クソリプというやつである)
私の周りの人々にとって自分の話が毒になっていないか、
ときどき不安になる。

いつか、誰かの心の薬となるような人になりたいと思う日々である。

*2018/07/22に誤って消してしまった投稿を加筆修正し再投稿しました。
以前いいねしてくださった方申し訳ありません。

#エッセイ #日記


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