狂言巡
連日猛暑日を更新するこの時期に、差し迫った用もないのに外出するのは自殺行為に等しい。あずきは最近断捨離したワードロープの中で最大限に涼しい服を選んだものの、日陰のベンチにマネキンの如く座っているだけでダラダラと汗が流れ続ける今日の気温では全く無意味な事であった。 「暑い……」 辺りが暗くなるより先に流れ始めた祭囃子に誘われて、さほど広くもない神社の参道はまともに歩けない程の人いきれだ。あずきはそんな人口の波に揉みくちゃにされる事を固辞した結果、道から逸れた古びたベンチ
静かな室内にページを捲(めく)る音が響く。以前から読書の習慣はあったが、長期入院を契機に頻度は高くなった。退屈を紛らわす為に本は最適であろう。実用書ではなく娯楽本を手に取る事も増えた。束の間ではあるが現実を忘れさせてくれる。昏く涯の無い道を歩んでいる事を……。 事故に巻き込まれ、十年近く昏睡状態だった。その真実は自分の精神を摩耗させていった。思い通り体が動かせない恐怖、ところどころ記憶が抜け落ちている恐怖、己が己でなくなってしまうかもしれない恐怖。心が押し潰されてしまいそ
とある休日。火志磨の住むアパートで遊ぶ事にしたのはいいが、カチューシャが乗った電車が遅延を起こしているらしいと、火志磨と一足先に到着していたあずきのスマホにほぼ同時にメッセージが届いた。 「先にメシ食ってろってさ」 「手伝うわ」 「サンキュ、なーに作るかな……卵あったし炒飯とか……お、キムチ発見。早く食っちまわないとな……」 冷蔵庫を開け、まず卵のパックを手に取った火志磨の目に、陰で隠れていた物が留まった。奥から取り出したプラスチックのトレイに表記された賞味期限を見る
部活も急ぎ用事も特にはない、冬の日曜日。何故か、秋燈(あきひと)の部屋に幼馴染の春猫(はるねこ)と後輩の棗(なつめ)が居ただけの事です。 「……お前達……」 「気にするな、秋燈」 「そーですよ、秋燈さん。気にしないで下さーい」 「気にするなといわれても……」 この部屋には炬燵が置いてあります。そう、先日、霜が降りた事をきっかけに秋燈は部屋に炬燵を出しました。それを何処からか聞きつけてきたのでしょう。もしくはふとした拍子に自分で言ったのかもしれません。彼が鍛錬の一環であ
「……はッ! すんません、半分寝てました……。なーんかこんな静かなトコでぼそぼそ話してたら眠くなってきませんか? んなことないッスか……? 俺には格好の子守歌だったスわ、えっと、話しますね」 「公衆便所とか公衆電話。夜に見たら、きもちわりーと思いません? オレはマジ好きじゃないんスよー。でも近所に公園があったら、モチそれもついてくるわけで……夜中の公園って、テレビでみるよりけっこー暗いんスよね。そんな周囲が暗い公園に、公衆便所とか公衆電話のある部分だけ、馬鹿みたいに蛍光灯がキ
周防元就(すおうもとなり)が【愛】なんて言葉を知ったのは、ほんの最近の事だ。 友人(そう呼ぶには元就としてはかなり納得がいかないが、便宜上そう言う他ない)ジェラール・ブルゴーニュという男の愚痴を、彼は何度か聞かされたことがある。彼は愛人(決して恋人とは表示できない)に付き合いを絶たれるたびに、情けの無い事においおいと喚き散らすのだ。 「君だって本気ではなかっただろうに」 すると彼は躍起になって反駁した。 「そんなことあるものですか! 本気じゃなかったなんて、そんな
「オレの夢の話を聞いてくれないか。その夢っつーのは、オレが出てくる夢なんだ。え? 自分の夢なら普通そうじゃないのかって? あー、そういう意味じゃない。説明がむずいな」 山吹嵐(やまぶきらん)としての自分の他に、嵐の姿をしたヤツ……というか『山吹嵐』そのものが出てくる。つまり、自分が二人いる。 「なんでかって? 知らねえよ。夢なんだからしょうがねえだろ」 格好はほとんど同じだが、シャツの柄や、ズボンのデザインはよく見たら色や形が微妙に違っている。 「他に誰がいたのか
同級生が告白されている場面に出くわす。あまりある事じゃないのだが、実際にないわけでもない事だ。 「お疲れさん」 「うん、疲れた」 放課後の部室棟裏というおあつらえ向きなスポットで、天を仰ぐ黒髪の少女。神風青空(かみかぜあおぞら)は土生川(はぶかわ)シラノの友人の夕陽(ゆうひ)の従兄妹でにして天空学園女子トップクラスの変わり者。しかし、上級生を中心に一定数、妙な人気があるのだ。 「今の誰じゃ? 初めてみる顔じゃな、二年か?」 「そう。はぁ、本当に疲れた……疲れさせて逃
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな <小倉百人一首 五十番 藤原義孝> 俺は、運動場の隅っこに『オバケ』が居るのを知っている。 それがいわゆる幽霊なのか妖怪なのか、はたまた妖精というものなのか。詳しい区別が付けられないし、どう区別をつけるのかなんて知らない。 見た目は自分より一つ二つ下の少女だ。顔が崩れてるとか手足が多いとか少ないとか、はたまた透けてるとか角が生えてるとか。そんなグロチックな容姿はしていない。目立つと言えば、銀色の髪を腰まで伸
皐月棗(さつきなつめ)という人間は、美少年というに相応しい美少女である。 透き通るような白い肌、紅を引いたような赤い唇。綺麗に整えられた細い眉、眦の吊り上がったガーネット色の双眸は、長い睫毛に包まれている。なよなよとした嫋やかさとは違う、しなやかな黒猫を連想させる細やかな四肢。 一見冷たげにも見える落ち着いた容姿とは裏腹な、人懐っこくオープンな性格。彼女の仁徳ぶりは学年性別を問わず信頼され、慕われている。艶をたっぷり含んだチョコレート色の髪はショートカットで、TPОが許
九割の教室が倉庫化としている区域の階段は、当然の事ながら普段は人の出入りが寂しいものだ。 そしてその五階と四階の踊り場の壁には、一枚の鏡がはめこまれている。それは大人二人の全身が映るほどの大きさで、卒業生の数人が送ったものだそうだが、それに纏わる妙な噂があった。 『真夜中にその鏡の前に立つと、見えないはずのものが見える』 ある時、その噂の真偽を確かめてやろうと考えた生徒が二人いた。 一人は二級生(高等部二年生)で髪をポニーテールにしている大塚美姫(おおつかみき)、
I continue hoping that war never happens...... 私の誕生日は線香の匂いと共に、始まる。毎年この日は自分以外に、いいや、日本という国にとっても忘れられない一日だろう。私はそんな日に生まれてきた自分というのを、一度も不満を感じた事はなかった。『誕生日』だと思うより先に、『終戦記念日』と言う言葉が浮かび、軽く苦笑。自嘲では、ないと思う。――稽古帰りに何処からか漂ってきたお香の匂いに、そんなことを考えた。 自分の手元には、色とりど
『必読』 恋というには烏滸がましい、不謹慎な話です。 自慢というほどではないが、対人関係の立ち回りはうまい方だった。その類で苦労した事など、覚えている限り一つもない。今だって、なかなか稼げる仕事(アルバイト)を回してくれる友人の恩恵により、定職に就く事なくフリーターでのらりくらりと生計を立てている。 上司や先輩、得意先に保護者、客にへこへこと頭を下げて思ってもいないおべんちゃらと謝罪を口から吐き出す社畜に成り下がるなど、考えただけでもゾッとしない。そんなものクソくらえ
俺は最近年上のおねいさんに欲情(ムラムラ)します。ここで勘違いしないでほしいが、年上のおねいさんといっても、誰彼構わずムラムラするわけではない。変態であるのは認めるが人物限定の変態だ。俺がムラッとくるのは、朝良く見かけるようになった、近所の団地に住んでいるらしい『一二三実里(ひふみみのり)』さんだけだ。 爽やかな朝日を浴びてキラキラと眩しく光るその人は、いつでも背筋を凛と伸ばして歩いている。挨拶をすれば少し驚いた顔をして(それがまた非常に綺麗なのだ)魅惑の低音(しっとりエ
「淡島渚(あわしまみぎわ)の番やでー!……なんや、うちもってきたお菓子(おかしん)へってないなあ。え、梅はおかしんとちゃう? なにゆうてんの、この梅はお茶請けのやつなんやで? ハチミツ漬けやから渋いお茶とめっちゃあうねん! やから遠慮しやんとようけ(たくさん)食べなぁよ」 「前置き考えんのめんどいから起きたことそのまま話すわ。未来が先にわかったらええなーとか、思たことない? うちはあるで。ちっとかり前までは、未来が分からんかなてそればっか考えてたわ。今は考えてへんのかって?