まつり飯
連日猛暑日を更新するこの時期に、差し迫った用もないのに外出するのは自殺行為に等しい。あずきは最近断捨離したワードロープの中で最大限に涼しい服を選んだものの、日陰のベンチにマネキンの如く座っているだけでダラダラと汗が流れ続ける今日の気温では全く無意味な事であった。
「暑い……」
辺りが暗くなるより先に流れ始めた祭囃子に誘われて、さほど広くもない神社の参道はまともに歩けない程の人いきれだ。あずきはそんな人口の波に揉みくちゃにされる事を固辞した結果、道から逸れた古びたベンチに避難していた。飲み物を売る出店がそこかしこにある事と、その何処にでもあずきが好きな物を扱っている事が救いだった。コンビニよりも更に強気な価格設定のそれは、熱をたっぷり蓄えたあずきの躰を懸命に潤す。有り体に言えば帰りたいすぐにでも。けれどそういう訳にもいかない。一人で来ているワケがないのだから。
あずきがもう数十回目ともいえる「暑い」を口に出した瞬間、人の波をすり抜けて参道を進む男女の姿が見えた。色とりどりの浴衣にまみれてTシャツの上からでも判るムキムキ体系の青年と銀髪ポニーテールの長身美女は少し浮いていたが、あからさまにウキウキとしている表情だけが、そこかしこにいる中高生の波に妙に馴染んでいた。
「仕事終わったぜ、これお土産」
「じゃんけんに勝ったから ベビーカステラもう一袋貰えた! 一緒に食べよう」
汗を滲ませてこちらに小走りで駆けてきた恋人と親友の頭部に犬の耳が、腰の後ろにはパタパタと揺れる尻尾が見えたからいよいよ熱中症になりかけている。そういえばコーヒー飲料は水分補給の手段にはならないと聞いた事があるなとあずきはぼんやり思い出しながら適当な相槌を打った。
火志磨とカチューシャの腕には複数のレジ袋がぶら下がっている。屋台でよく扱っているハイカロリーな食べ物は嫌いではないが、夏バテ気味の胃腸が受け付けられるか不安が脳裏を掠めた。それでもニコニコとレジ袋を揺らす二人を見上げていたら食欲とは別の欲求が高まってきた。やはり、長時間熱気に晒されるのは良くないのだ。
「それ、家で食べましょう。これ以上外に居たら私死んじゃう」
同じ姿勢で座っていた所為で立ち上がる動作もぎこちない。腰は生活する上で重要な部位である。無理するとその後に響くという事を経験則でウンザリする程に理解してはいたが、一刻も早く湧き上がった衝動をどうにかしたい気持ちに勝てない。あずきは一度ゆっくり腰を伸ばすと、戦利品で塞がったカチューシャの手に自身のそれを差し出す。カチューシャはごく自然な動作で右手にかけていたレジ袋をヒカルの左手へと渡した。
「そうじゃなくて」
好物の焼きおにぎりだったから勘違いしたらしい。少し汗ばんだ男女の手をぐいっと引き寄せて握る。驚きで目を見開いた彼らをよそに、あずきは参道に背を向けて歩き始めた。
「あずき、酔ってるのか?」
「飲んでないわ」
「……見られてもいいのい?」
「この辺りは知り合い居ないし、誰も注目しないわ。帰りましょう」
「「うん」」
急いた心が語気を強める。不機嫌なわけではない事を証明するかのように、あずきは握っていた掌を開いて指を絡めた。更なる抗議を受けた際には、汗で滑るからとでも言い訳すれば良い。全ては憎っくき暑さの所為にして。