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鬼灯

 I continue hoping that war never happens......

 私の誕生日は線香の匂いと共に、始まる。毎年この日は自分以外に、いいや、日本という国にとっても忘れられない一日だろう。私はそんな日に生まれてきた自分というのを、一度も不満を感じた事はなかった。『誕生日』だと思うより先に、『終戦記念日』と言う言葉が浮かび、軽く苦笑。自嘲では、ないと思う。――稽古帰りに何処からか漂ってきたお香の匂いに、そんなことを考えた。
 自分の手元には、色とりどりの鬼灯がたくさん入った編み籠。先程、友人達から贈られた物だ。誕生日の、プレゼントとして。本物の鬼灯から、プラスチックや硝子、折り紙や和紙で作られたものまで。全てが、それぞれ色を放ち、光っていた。紙製の鬼灯は部活の後輩達が作った物だとも聞いた。夏になったら必ずといっていいほど『それら』が置いてあった。母親の実家に住んでいた頃は、曾祖父母が自家菜園の一部で普通に作っておられた。
 しかし引っ越して、流石にマンションでは作る事が出来ず。その代わりなのだろう。七月九日の四万六千日の縁日で買ったと聞いた、鬼灯籠が窓辺に置いてあった。これはこれで粋だと思うが、それでもやはり向こうに居た頃とは違って。居間や仏間の一画を占領していた暖色のあれと、窓辺にぽつんと置いてある籠一つでは少し寂しい気もする。――そんな話を、そういえば何かのはずみで友人や後輩達に話したような気がする。誕生日の事は話した覚えが無いのだが。まあ、おそらく実家を知っている茉莉か弟に聞いたのだろう。
 籠の中から鬼灯を一つ、取り出してみた。ぬか雨(家内ではこう呼ばれる。一般的には霧雨)で周囲の輪郭がぼやけている中、鬼灯の赤さだけが、はっきりと存在を示しているように見えた。それはまるで、家路を照らしてくれる、提灯のよう。そう思った。まだ、真昼のはずなのにねえ。確かに曇ってはいるが。この色はたくさんの昔を思い起こさせる。たまに振返る、歩んできた己の道程。
 学校や校外学習で聞いた昔話。祖父母が教えてくれた体験談。絵画や文献が語る凄惨な過去。その全てを。『あの時代』から、どんなに時間が流れても、決して忘れてはいけない歴史は心の中で生き続ける。空を見上げた。気が重くなりそうな曇天だったが、すぐに気の置けない友人達や弟妹のように思える後輩たちの顔が浮かび、心は暖かさを失わずに済んだ。今夜は、良い夢が見られそうだ。自然と口元に浮かび上がった笑みを、傘で隠した。はてさて。
 この、嬉しい贈り物のお返しに、何を作ってあげようかしら。彼らが好きそうなお菓子のメニューを考えながら、静かに歩いていく。細長い雨が降る中を、鬼灯の光を道連れにして。

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